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「ね、ねえ、マミヤ。あんた、なんで空軍に入隊しようと思ったのよ」
「んー、陸でも空でも、別にどっちでもよかったのよねぇ。でもせっかくなら、他プレートの様子も見たいじゃない? どーせ戦闘員になるつもりはなかったもの。だから、より他プレートに近い空軍に決めたのよぉ」
「他プレートの様子が見たいから、入隊したの?」
「たぶんそーう」
酔っ払いのようにくすくす笑いながら、マミヤはチトセの膝に頭を乗せてきた。彼女はじゃれるのが好きだ。なんだかんだでいつもくっついてきて、撫でろと言わんばかりにちらりと見上げてくる。一度も撫でろと言われたことはないけれど、撫でてやれば嬉しそうに表情が綻ぶのだから、そういうことなのだと思う。
だからいつものように、チトセはさらさらの髪を撫でてやった。羨ましいほど指通りがいい。前にマミヤのシャンプーを使わせてもらったことがあるけれど、同じものを使っているはずなのにチトセの髪はこうまでさらさらにはならなかった。
「ねーえ、チトセぇ」
「なに?」
自分の膝にこの国のお姫様が乗っているだなんて、なんだか不思議な感覚だ。
うっとりと目を細めたマミヤが、微笑みながらチトセを見上げる。
「突然ですが、ここで問題で―す。『生まれた瞬間から死んでいて、けれどもずっと生かされ続けるもの』はなーんだ?」
「急になによ、それ」
「もー、分かんないなら素直に言いなさいよぉ。じゃあねぇ、今度は簡単な問題。わたしの名前はなーんだ?」
「ちょっと、いい加減にしなさいよ。どうしたのよ、マミヤ。疲れてんの?」
「そーよぉ。マミヤなの。わたし、マミヤ・リネットってゆーの」
急に訳の分からないことを言い始めたマミヤに覚えたかすかな苛立ちは、その一瞬で霧散した。
「え……?」
乾いた声が唇を割る。なにを耳にしたのか、すぐには理解できなかった。
膝の上から、暗い緑色の瞳がまっすぐに見上げてくる。
弧を描く唇は、そのくせぎこちなく引き攣っていた。
「わたしね、マミヤ・リネットってゆーの」
リネット。それが王家に伝わる名前だということは、さしものチトセでも知っていた。
けれどそれは、こんな風に耳にするものではないはずだ。
「王族ってね、出生届に苗字書かされるのよぉ。知らなかったでしょう?」
そんなこと、知らない。
マミヤの頭に置きっぱなしの手が震えた。撫でるのをやめたチトセをせかすように、マミヤの方から頭を摺り寄せてくる。
他のプレートではどうか知らないが、このプレートの大多数の国が苗字というものを持たない。とはいえ、苗字制度が存在しないわけではなかった。だが、それは生きているときに名乗ることは皆無と言っていい。
苗字は死者のものだ。生者のものではない。
死んでから初めて、名前の後ろに家名がつく。自分の家が持つ名を知らないわけではないから、いくらでも口にすることはできる。だがそれは、普通ではありえないことだった。誰もが避ける。このプレートにおいて最大の侮辱が、相手をフルネームで呼ばうことだ。
「出生届に苗字って、それ、」
「面白いわよねぇ。苗字なんてふつー、自分じゃ遺書くらいにしか書かないってゆーのにねぇ」
遺書には家名までを書き残す。それは死者からの手紙を意味するからだ。「死んだものだと思ってくれ」との意思を残すものだ。
マミヤは笑う。
この世に生まれてから一番最初に与えられたものをチトセの前に広げて見せて、それがどんなにかつらく苦しいものか知った上で、その上で、笑うのだ。
「わたし達はね、生まれたときから死んでるの。だからどんな扱いされてもしょーがないんですって。王族の命は、国のものであって個人のものじゃないのよぉ」
「そんな、だってそんなの……」
ぱたり。透明な雫がマミヤの頬に落ち、滑っていく。
いくつもいくつも落ちていく雫は、マミヤの瞳から溢れるものではなかった。
繋いでいた手がほどけ、その指先がチトセの目元をそっと拭う。
滲んだ視界の向こうで笑うマミヤが憎かった。綺麗な顔に大人びた表情を浮かべて、途方に暮れた迷子を宥めるようにチトセの頬を撫でてくる。
あまりの苦しさに、濡れた呻きが漏れる。
「ぜんぶ、ぜーんぶ緑のために生かされてるのに、わたし達のこといらないって言うんだもの。酷いでしょう? 今まで散々利用してきて、これからもずーっと利用するつもりのくせに、いらないって言って捨てようとするのよ。わたし達からたくさんのものを奪っておいて、まだ奪おうとするの。嫌だったのよ。ゆるせなかったの」
緑の瞳に、涙が滲む。ぷくりと膨れた透明な珠は、やがて表面張力が破れて眦からこめかみへと流れていった。綺麗な顔がくしゃりと歪む。溢れる涙が止まらない。チトセの涙とマミヤの涙が混ざり合い、マミヤの深緑の髪を濡らしていった。
胸が張り裂けそうな苦しみに、焼けつくような眼窩の熱に、悲鳴にも似た嗚咽が鼓膜を貫く。
――熱くて、痛くて、苦しくて、つらい。