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 ソウヤがなにを思って翼を広げたのか、今のナガトには分からない。テールベルトのために飛び続けた人が、そのテールベルトに逆らって翼を失おうとしている。
 彼はナガトや奏達にとって、まぎれもないヒーローだ。圧倒的な危機に晒された自分達を助けてくれた、輝かしい正義の味方。けれど同時に、彼は軍人としてあるまじき道を選んだ。
 説明されればされるほど、訳が分からなくなっていく。まるで曇天の中を飛んでいるようだ。雲に遮られてなにも見えない。降りるべき道が、どこにあるのか分からない。このまま当てもなく空を飛び続ければ、やがて燃料が底を尽いて墜落してしまうだろうに。

「――っしゃ、感知した! このプレートには存在しえない信号の中で、一定数の信号を送り続けてるものがある。おそらくホンボシだ。……時間はねぇぞ」
「艦長、それってまさか……!」

 端末を見て膝を打ったヒュウガが、ちらりと奏を一瞥した。おそらく彼女には聞かせたくない内容なのだろう。それでもヒュウガは、強い口調で言った。

「この島国を丸ごと吹き飛ばせる爆弾様だ。早いとこ解除しねぇと、俺達全員英雄か極悪人へ転職だな」


* * *



 いつものようにピルケースに手を伸ばし、グラスの水を口に含んだところで思い出した。「あ、」と思ったがもう遅い。慣れた手つきで片手で蓋を開けたピルケースの中には、なにも入ってなどいなかった。
 薬がなくなったのは三日も前の話だというのに、習慣というものは恐ろしい。なにも含むことなくそのまま水を飲み下し、ムサシは空のピルケースをゴミ箱に放り入れた。さすがにこうすれば、明日から馬鹿らしい真似をしなくて済むだろう。
 あれば分けておくのに便利なピルケースだったが、中身を提供してくれる者がいなければ意味がない。入れ物なんぞはまた買えば済む話だ。惜しむほどのものではない。
 まあそれも、中身を提供する者が帰ってくればの話だが。
 ふっと息を吐き、ムサシは姿見に映る己の姿をまじまじと見つめた。少しばかり整った中性的な――どちらかといえば女性寄りの――顔立ちは、二十代に達するかどうかという頃合いだろう。これはもう何年も変わらない。毛先を緑に染めた白い髪は、つやつやと輝き光を反射させている。
 上着を脱ぎ捨て、無造作に椅子の背に掛けた。自室なので誰に遠慮する必要もない。ネクタイを緩めて床に落とすと、それはまるで蛇のようにとぐろを巻いた。白蛇のようだと陰で密やかに囁かれるムサシには似合いの光景だ。
 掛けた上着が、座席に乗せていた書類を巻き添えにしてずり落ちる。バサバサと床に広がった書類を拾い上げ、適当に束ねて机の上にでも置こうとしたしたムサシの目に、一人の隊員の名が飛び込んできた。

「――カヤ・オニハス。まだ二十三歳でしたか」

 写真付きのそれは、亡くなった隊員の情報を示すものだった。随分と若い隊員だ。ナガトやアカギの同期で、とても仲が良かったと聞いている。彼らが暴走したきっかけとなったのが彼だ。彼は、持ち帰れるものなど一つも残さず死んでしまった。せめて腕の一本、――いや、髪一本ですら残っていたなら。
 白の植物に“喰われた”隊員の遺族は、震える声で「覚悟していました」と言って頭を下げてきた。気丈に振る舞う瞳には涙が浮かび、今にも泣き叫びそうな表情を必死に押し隠しているように見えた。
 立派な隊員でしたと告げたが、その実ムサシはこの隊員のことはあまりよく知らない。良くも悪くも目立たない優等生だった。
 カヤ・オニハス。その名前を指でなぞり、一つ溜息を吐いて書類から意識を切り離す。
 そういえば着替えの途中だったと思い直し、シャツに手をかけたところで、ふいに鏡の中の自分と目が合って苦笑した。いつまでも若々しいその顔には、ほんの少し疲労が滲んでいるようにも見えた。

「色にこだわりすぎるのは、こんな世界だからですかねぇ」

 緑にこだわるのも。白にこだわるのも。
 こんな世界だからか。

「こんな髪にしてる私が言えたことでもないですけど」

 白を塗り替えようとする緑。
 全体的に染めなかったのは、別段この色が嫌いではないからだ。白い髪を持って生まれたことに、今は不満など抱いていない。身も心も弱かった幼少の頃は呪ったこともあったけれど、いつしかどうでもよくなっていた。
 とはいえ、今日のようなことを引き起こす原因となっているのは間違いないので、その点に関しては多少思うところもある。薄い身体に走り回る好奇の視線を思い出し、シャツを脱ぐ手を止めた。枯れた指先が先を争うようになぞっていった肌の表面には、遥か昔に刻まれた傷跡が今も醜く残っている。


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