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 毛先にだけ癖のついた焦げ茶の髪を風に遊ばせ、ソウヤは背中の奏に首を巡らせて声をかけた。軽く振り返るという、たったそれだけの仕草が様になる。

「もう大丈夫だ、近くに感染者の気配はねぇよ。でも、ちょっとえぐいもんあるから目ぇ閉じてろ。ナガトが抱えて運んでやるから心配すんな」
「あ、は、ハイ……」
「よく頑張ったな、上等だ。怖かったろ?」
「っ……!」

 切れ長の青い瞳を和らげて笑い、大きな手で頭を撫でるのだから、される側はたまったものではない。あわやという窮地を救われた奏は、ようやくそのことが理解できてきたのだろう。涙の痕が残る頬をほんのりと赤らめ、熱に浮かされたような表情でソウヤを見上げている。
 先ほどのソウヤは、まさにヒーローそのものだった。目前まで迫った危機を、彼の手が打ち砕いたのだ。
 顎で「早く来い」と告げられて、ナガトははっとして二人に駆け寄った。息絶えた感染者の体液を踏まないよう気をつけ、ばくばくと音を立て続ける心臓を落ち着かせるべく、腕に結んだ赤いマフラーをぎゅっと握った。
 ソウヤの背に隠れるようにしていた奏の姿を間近で見ると、その痛ましさに胸が突かれた。髪は嵐のあとのように乱れ、化粧も汗と涙でよれている。真っ赤に充血した目も、鼻も、切り傷の滲む頬も、身体中についた枯葉や土汚れも、そのどれもが彼女が生きようとした証だった。
 泣いていたことが丸分かりの瞳と目が合った瞬間、ナガトはソウヤがいるにもかかわらず、奏の身体を強く抱き締めていた。抑えなど利くはずもなかった。これがどうして我慢できるだろう。

「えっ!? あ、え、なが、」
「――かなで」

 腕の中で驚いたような声が漏れる。
 ――知ったことか。
 掻き抱いた華奢な身体は心配になるほど薄く、柔らかい。小さな頭をしっかりと抱え、汗とシャンプーの混ざった香りを、胸一杯に吸い込んだ。

「あっ、ちょ、ちょっと! ナガト、あんたなんでここにおんの? 閉じ込められてるんとちゃうかったん!?」
「助けに来た」
「は? え、だって、」
「お前が心配だから、助けに来た」

 声が聞こえる。その声が、すぐそこでナガトの名を呼んでいる。
 強く抱き締めればすぐにでも折れてしまいそうな、こんな小さな身体で、この子はここまで頑張ったのか。弱々しく抵抗を見せる腕は、未だに震えているというのに。
 どれほど怖かったのだろう。どれほど不安だったのだろう。助けに行くと勇む心は事実だろうが、感じた恐ろしさもまた事実に違いない。
 ナガトを呼ぶあの悲痛な声が、耳の奥から消えてくれない。
 もし、ソウヤがいなかったら。
 それを考えるとぞっとする。自分は間に合っていたのだろうか。この手で彼女を助けることができたのだろうか。もし、目の前で失っていたら。――そんな恐ろしいことは、考えたくもなかった。
 困惑しきりの奏を強く抱き締めて、その首筋に鼻先を埋めた。齧りつきたくなるほどあたたかな肌の熱が、押しつけた唇に伝わってくる。

「えっ、あ、ちょ、ナガト……?」
「ナガトー、そういうのはあとにしろ。とりあえず艦に戻るぞ」

 呆れたような声に促され、はっとしてナガトは奏を解放した。
 淡々と感染者の処理をするソウヤの背に、今度は疑問が浮かび上がる。

「ソウヤ一尉! あの、どうしてこちらに……?」
「あ? んなもん、お姫さんの我儘聞いちまったからに決まってんだろ」
「お姫さん……? って、マミヤ士長のことですか? いや、でも、彼女がどうやってそんな」
「あのな、ナガト。言っとくが、ありゃ本物のお姫さんだぞ。――アレが証拠だ」

 にっと笑ったソウヤが空を指さし、ナガトは奏と一緒にその方を目で追って唖然とした。
 空間圧縮システムを発動させて一回り小さくなった空渡艦が、木々を避けるようにして着艦する。その空渡艦には、普段見慣れた深緑よりも少し明るい緑の塗装が施され、側面はテールベルトの国章である優雅に羽を広げた孔雀の文様が刻まれていた。さらにはテールベルト王家の紋章旗までが揺らめいている。

「うっそ……」

 話に聞いたことはあるが、実際にこの目で見たことなどなかった。おそらく一生見ることがないであろうと思っていた空渡艦が、目の前にある。
 日頃自分達が乗っている空渡艦よりもずっと優美な姿をしたそれはまさに、テールベルト王族専用艦だった。

「いや、でも、え? ちょっと待ってください、だってマミヤ士長は王族って言ったって傍系の人間でしょう!? それがなんで、え、待って、本物って言いました? 本物って、え?」
「落ち着け。表向きは傍系ってことになってるらしいが、実際あれ見たらなんも言えねぇだろ。まあ俺も詳しい事情は聞いちゃいねぇが、あいつは正真正銘のテールベルト王家直系の“お姫様”だ」

 開いた口が塞がらない。
 テールベルト空軍において、王族の人間が入隊しているという事実は有名だった。そんなことは誰もが知っているし、マミヤの美貌につられて、ナガト自身も積極的に声をかけていた覚えがある。しかしそれは、彼女が傍系の人間だったからだ。直系の人間がよりにもよって空軍に入隊することなどありえないと、誰もがそう思っていた。


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