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ベッドに座った奏から、ふわりとムスク系の甘い香りが漂ってくる。一度、奏から香水を借りたことがある。穂香は遠慮したけれど、「たまには」と押し切られて太腿の内側にこの香りを纏ったことがあった。けれど、奏のようには香らなかった。甘く蒸された大人の香りは、穂香にはまだ遠い存在に思えた。
香り一つですら、思い知らされる。
この人とは、違うのだと。
「なあ、ほの。……昨日のこと、どう思う?」
朝、二人で庭を確認したときにはなにも言わなかった奏が、重々しく切り出す。その視線は、まっすぐ棚に向いていた。
小さな鉢の観葉植物が並ぶ中、不自然に空いたスペースがある。――昨日までは確かにあった、ホワイトストロベリーの鉢がそこから消えていた。
「ナガトとアカギ。持ってかれた鉢植え。……そこは、現実やんな?」
ホワイトストロベリーがあった場所と、自分自身の首を指さして奏は聞いた。
その細い首には、うっすらと痣ができている。――あのときのものだと、彼女は言った。
それすら気のせいだと、夢の一部だと言ってしまいたい。けれど彼女は、逃げることを許さない。まっすぐに向けられる視線の強さにたじろぐも、身体はどこにも行けない。
心臓が早鐘を打つ。今にも逃げ出したいほどの速さで駆けだしているのに、肋骨がしっかりと囲っているせいでどこにも行けず、穂香の胸の内で暴れまわっている。
「うちらしか感じひんかった地震は、あの潜水艦みたいなんが着陸したときのなんちゃう? 着陸って言うんか知らんけど」
「で、でも、あんなマンガみたいなこと、あるわけ……」
「あたしもそう思う。やから、国が隠してるような機関の連中ちゃうかなって。自衛隊とか、そのへんの特殊部隊とかならありえるかも」
そんな考えに至ってしまえる奏の発想力をいつもは羨ましいと思っていたが、今回ばかりは疎ましい。だって、この「ありえるかも」は、もうなんの疑いも抱いていない「ありえる」と同意語だったからだ。
ありえるはずがないと言いつつも、彼女はもうすでに彼らの存在を現実のものとして断定している。そして、彼らが言っていたことの九割を、事実として視野に入れ始めている。
どうして、あんな馬鹿みたいな話を飲み込める。あんな話、ありえていいはずがない。
「……で、でも」
「人を凶暴化させる、みたいなこと言ってたやん? あれってさ、最近のニュースでよく見ん? 裏で薬物パーティーが行われてたんちゃうかって言われてる変な事件、ここんとこ立て続いてるやん」
「だっ、だとしても、もう私達とは関係ないよね? だってあのホワイトストロベリー、もうないし……」
どうやらこれは切り札になったらしい。
事実がどうであれ、もう自分達に直接関わりがないのではどうすることもできない。その証拠となるホワイトストロベリーは彼らが持っていってしまって、穂香の手元にはなくなっている。
もし仮に、奏の言うように彼らが本当に国の極秘機関の者であるならば、真実はどうやったって蓋をされるだろう。
「そうやなあ」と奏はぼやくように言った。そうやなあ。どんなに物分かりのいいふりをしていても、奏の視線はしばらく、ありもしないものを見ているようだった。
――そして二週間後、事態は急変した。
* * *
『人気アイドルグループリーダーが、テレビ局で突然暴れだし、番組スタッフ三名に軽傷を負わせ――』
『教師のいじめが原因か? 小学四年生児童、集団自殺』
『七十八歳、無職の男性が本日未明、近隣住民を次々に殺害していった事件について――』
苛立ちに任せ、奏はテレビの電源を切った。どの局を見たってどこも同じような内容ばかりを放送しているのだから、これ以上は意味がない。
ここ二週間で報道されている事件のすべてが、奏には“白の植物”と関連しているように思えて仕方がなかった。
これまでも毎日ニュースは報じられていた。毎日どこかで事件が起こり、陰惨な殺人や、嘘か真か分からない芸能人のスキャンダルが垂れ流し状態だったはずだ。しかし、アンテナを張り巡らせた状態で注視したニュースは、奏に求めていた以上の情報をもたらした。
最近起きている事件は、どれも異常性が高い。なにをもって異常とするのかは難しいが、そう表現するより他にない。
そして、事件や事故が悲惨であればあるほど、場所は都心ではなく、山間や農村部で発生している。今まで治安がいいとされていた、いわゆる田舎での事件が多発しているのだ。
取り調べにあった容疑者は皆、意味不明なことを口走っているらしく、警察当局は薬物との関与を調べていると報道された。
インターネットの世界では、テレビよりもさらに多くの情報が溢れている。家の観葉植物が白く変色した、公園の生け垣が白くなった――など、なにかが全国の緑をじわじわと蝕んでいっている。今までならば特に気にならなかった。当たり前のように流れていくはずの情報が、今はこんなにも引っかかる。
「白の植物、か」
それは一体、なんだ。
あの夜から二週間が経ち、高校生である穂香は学校に行っていて不在だ。今この家には、大学生の長い夏休みを満喫する奏しかいない。