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 テールベルト空軍が誇る稀代のエースパイロット。彼はまさに軍人の鑑だ。
 だが、この状況でもそうあれるのだろうか。そこまで考え、カガは喉の奥で軽く笑った。

「……艦長、お話があります」

 硬い表情のまま声をかけてきたハルナになんでもないふりをして頷き、艦長室へ移動しようとしたところで、艦内にアラートが鳴り響く。感染者発生の合図に誰よりも早く反応したのは、言うまでもなくハルナだった。顔色や表情から見るに、相当な衝撃を受けているのだろうこの状況で、よくここまで気持ちを切り替えられるものだ。
 モニターに表示された情報を見るに、レベルC感染者が六名ほど住宅街に現れたらしい。すぐさま出動しようとしたハルナを視線で引き止め、カガは別の隊員に指示を飛ばした。

「アマギ、お前が班長となって指揮を取れ。必要な数だけ連れて行っていい。閑静な住宅街で集団感染なんざ引き起こさせるんじゃねーぞー?」
「了解しました。アマギ三尉、現場に向かいます。――カシマ、オキカゼ、来い!」

 他にも数名の隊員に声をかけ、生真面目な隊員が夜の町に繰り出していく。今はまだ感染者の異様な呻き声も聞こえないだろう、静かな町に。
 食堂に残っていた隊員達は、各々の仕事に就くべく持ち場に戻っていった。残されたハルナが、カガに鋭い視線を向ける。

「――なぜ、俺を残したんですか」
「アマギも尉官だ、指揮官としての訓練も必要だろ。現場で学ぶのが一番だ」
「艦長。先ほど、ソウヤ一尉からコールがありました」
「おー、あいつ元気にしてんのか? イセ隊は先に帰ってっからなぁ。羨ましーよなぁ」
「艦長! ……テールベルトで、一体なにが起きているんですか」

 激しい感情を押し殺しながら吐き出された言葉の端が、ほんの僅かに震えている。激情を抑え、努めて冷静に振る舞うその精神は見上げたものだ。悟らせる辺りがまだ若いが――とカガは小さく笑って、警戒心を露わにする大型犬のような部下を宥めた。
 ハルナが顔色を変える原因となった話し相手は、どうやらソウヤだったらしい。だとすると今頃、イセは頭痛と胃痛に悩まされている頃だろうか。かつては尊敬する上官であり、今では心を許せる親友となった男の姿を思い浮かべた。
 ――お前は優しすぎんだよ、イセ。
 胸中で零した呟きは誰にも届くことはない。

「なあ、ハルナ。オッチャン、久しぶりに宣誓が聞きてーなぁ」
「は……?」
「入隊するときに誓ったろ? もっかい聞かせてくれや、ハルナ。今ここで」

 カガの意図することに気がついたのか、ハルナは盛大に眉根を寄せて苦い顔をした。それでも次の瞬間には背筋を伸ばし、右手を左胸の上に置く。その指先のすぐ傍に、テールベルト空軍を示すスズランの徽章が輝いていた。

「私は、我が国の平和と緑を守るテールベルト軍人の使命を自覚し、テールベルト憲法及び法令を遵守し、厳正な規律を保持し、心身を鍛え、技能を磨き、強い責任感を持って専心任務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、万人の自由と正義を守るべく、この国に忠誠を誓います」

 よく通る声で淀みなく放たれた宣誓は、身の内まで深く染み込んできた。入隊の際に誓ったこの文言は、各隊員が暗唱できるまで何度も繰り返し読み返したはずだ。ハルナはもちろん、カガとて今でも一言一句違えずに暗唱することができる。
 テールベルト軍人であれば誰もが覚えているその文言は、今ここではなによりも頑丈な鎖になるはずだ。

「……今さら言われるまでもなく、上官の命令は絶対です。それは理解しています。逆らうつもりもありません」
「だろうなぁ」
「命令だと言うのなら、貴方に従う。ですが、いつまでも真実を隠されたままでは、不信感が募ります。それすら呑み込み従うのが軍人のあるべき姿でしょうが、生憎俺はそこまで人間が出来ていない。――教えてください。貴方はなにを知っているんですか、艦長」
「“待て”ができたら教えてやるよ」
「ふざけっ、」
「ふざけてねぇよ。そういうもんだろ? “待て”のあとに“よし”の合図でご褒美だ。お前らはただ、飼い主を信じて待ってりゃいい」

 テーブルに肘をついて、カガは手元の端末に表示されたデータに目を落とした。どうやらアマギ達は上手くやっているらしい。感染者の反応も数を減らし、あと一体というところまで来ていた。
 物言いたげな表情で立ち尽くすハルナを下がらせれば、荒々しい軍靴の音が遠ざかっていく。
 これはさすがに嫌われたかと苦笑しながら、カガはぐっと伸びをして天井を仰いだ。

「たっく……。艦長も楽じゃねぇなー」


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