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「あの子は体内に白の植物の核を保有してなお、発症せずに生き延びている唯一の症例です。かつてあの国が秘密裏に実験し、無様に失敗した事例の成功データそのものとも言えましょう。――彼こそ、真の“緑のゆりかご”と言えるかもしれませんねぇ」

 決めたのはハインケルだ。誰も強要していない。彼自身が、その身に核を宿し、効力を確かめることを決意した。こればかりは間違えようのない事実だ。
 けれど、彼はそのことを覚えていない。自分がなにを開発したのか。己の本来の年齢も、姿も、――その身体の中になにを抱えているのかも。

「し、しかし、今回の計画では……」
「ええ、そうですねぇ。では、“白のゆりかご”とでも呼びましょうか」
「呼び方なんぞどうでもいい! それより、それほど貴重なデータならなぜ今捨てる! あの小僧がいれば、薬が手に入るのだろう!」
「ここ最近、核の影響がちらほら見られ始めたとの情報を得ています。急に発芽されても困りますし、ここで隔離してもよかったんですが、少し面白い話を耳にしたものですからねぇ。今回の計画には、彼がうってつけではないかと思った次第です。向こうでなら、いつなにがあってもさほど問題はありませんし。ねえ、ヤマト様?」

 突然投げかけたにもかかわらず、ヤマトは一切同じたそぶりを見せずにその瞳だけで応えた。綺麗に整えられた漆黒の髪は、ムサシとは真逆の色だ。その美しさに吐息が漏れる。

「もう十分なデータはこちらの手の内に。だから、いらないものは思い切って捨てちゃいましょう! ほら、有名なお掃除評論家さんが言ってたじゃないですか、『いつか使うかも』の“いつか”はいつまで経ってもこないって! ね?」

 無邪気に笑えば、大臣が頬を引き攣らせた。明らかに怯えているくせに、醸し出す空気は相変わらず威圧的なのだから笑える。やがて気を取り直したのか、大臣はしわだらけの手で顎を撫でさすり、いやらしく唇の端を持ち上げてムサシの全身を視線でなぞった。
 覚えのある観察のされ方にぱちくりと色素の薄い双眸をまたたかせ、挑発も兼ねて唇を舌で舐める。どこもかしこも白い肌の上で、真っ赤な舌はさぞかし映えることだろう。

「しかし、しかしだな、ムサシ司令。あの小僧がおらねば、お前の身も長くはもたんと聞いたが? その気味の悪い身体を支えるのは、あの小僧の薬だろう」
「さすが先生、ご存知でしたか。――ええ、仰るとおりです。ですがまあ、私の代わりはいくらでもおりますから」
「ハハッ、その通りだ! よく分かっておる、感心感心。しかしな、となれば死ぬ前にぜひとも、その身体を見せてくれ。“男でも女でもない”という珍妙な造りがどのようになっておるのか、皆気になっておるからな! 次回の会食のときにでも頼んだぞ」
「はい、先生。ではそのように」

 笑って礼をすれば、人形のような夜色の瞳が横顔に突き刺さる。これほど静かで美しい視線が、好色な大臣のものであるはずがない。
 向けられる視線に感情が含まれているのか、短い付き合いではないムサシにも分からなかった。ちらと重ね合わせた視線を逸らすこともせず、ヤマトはただ静かに椅子に座り、ムサシと大臣のやり取りを眺めているだけだ。
 いつだってこの人は静かだ。声を荒げるところなど、未だかつて見たことがない。空の上でも冷静で、無線機に届く声音は平淡にも思えるほどだった。生憎、一緒に飛んだことなどはなかったが。
 彼が空を降りたあの日さえ、彼はどこまでも落ち着いていた。
 常に静かであればいいと思う。これからも、ずっと。

「あとは万事抜かりなくやれ。期待しているぞ、ヤマト」
「――ええ」

 空気を震わせる声は相変わらず感情など見せず、耳に心地よい低音が吐息に乗っただけのようだった。満足そうに笑んで、大臣が基地司令室をあとにする。
 出ていく間際に自らの立場を見せつけるようにヤマトの肩を軽く叩いていったのが気に食わず、ムサシは完全に扉が閉まってからべえっと子どものように舌を出した。
 大臣が口をつけたカップがテーブルの上に残っていたが、ソーサーごとそのままゴミ箱に放り込むと、精緻な模様のそれはガシャンといい音を立てた。一脚で相当な値段のものだったが、洗ったところでもう一度使う気には到底なれない。

「まったく。緑花院の方々は相変わらずですねぇ」
「今に始まったことではないだろう」
「まあそうなんですけど」

 頬を膨らませながら近づき、ヤマトの背後から抱き着くように首に腕を回したが、咎められる気配はなかった。


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