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危ないのなら、助けたい。困っているのならなんとかしたい。一人で膝を抱えているわけにはいかない。怪我をしてほしくない。だってあそこには、大切な妹がいるから。
理由はたくさん思いつく。奏はその思考と判断を合理的と自己評価した。この場には、それを否定する者など誰もいなかった。
助けたい。助けなきゃ。
――止まるわけには、いかない。
* * *
『君がハインケル博士ですか? 初めまして。お若いのにすごいですねぇ』
『あなたは……』
初めて会ったとき、彼は今よりも少しばかり幼い見た目の頃だった。この幼さでよくぞここまで辿り着いたものだと、素直に感心したものだ。
小さな鳥の巣頭は柔らかな金色で、長い前髪から覗く青い瞳が印象的な少年だった。天使のような愛らしい顔をしているというのに、彼はその顔に恐怖と不安ばかりを貼りつけていた。
膝を折って目線の高さを合わせれば、彼は怯えつつも視線を絡めてきた。震える身体に、いらぬ恐怖を与えぬように微笑んだ。
『ありがとうございます。君が、私を救ってくれる人ですね』
握った手はひどく小さく、頼りなかった。弱々しく握り返してきたその手は、ムサシにとって生命線にも等しいものだ。この小さな子どもが開発した新薬によって、“劣化”しやすいムサシの身体はその危機を遅らせることができる。
たどたどしく新薬の効果を説明したハインケルは、不安を宿しつつも好奇心を隠せない様子でムサシをじっと見つめ、言った。
『あなたの命を、ぼくが預かってもいいんですか』
あのときのことを、彼は覚えているだろうか。
無駄に広いと感じる基地司令室で、ムサシは立派な革張りの椅子を遊具のようにくるくると回していた。誰もその子どもじみた奇行を咎める者はおらず、投げられる視線の煩わしさもさほどない。
彼――便宜上、空軍内では“彼”と表現される――は、毛先を緑に染めた白髪を指に巻きつけ、机の上に広げていた資料にもう片方の手を伸ばした。数枚捲ると、見慣れた顔写真が添付された資料に行きあたる。
くしゃくしゃの金髪に、くたびれただぼだぼの白衣。傍にはいつも鳩がいる、小さな少年にしか見えない若き天才科学者。表向きに公開されているデータに生年月日は掲載されておらず、年齢は不詳。
ただ天才科学者という肩書きだけが独り歩きしている、テールベルトの鬼門だ。
「ハインケルくんがどこまでやってくれるか、楽しみですねぇ」
「……しかし、なぜ今さらあの男を切る? どうせ問題ばかり引き起こす男だ、もっと早く切っておけばよかったものを」
吐き捨てるように言った緑花院に籍を置く老人が、ゴミでも見るような眼差しをムサシに向ける。
こうしている時間さえも惜しいと言いたげなその表情に、ムサシは柔らかく微笑んだ。
「そう簡単には切れません。ハインケルくんはデータそのものなんですよ。彼の代わりは誰にもできません」
「データそのもの? どういうことだ、説明しろ」
相変わらず高圧的な物言いだ。完璧な笑みで嘲りを押し隠し、ムサシは大臣へ向き直った。向かいのヤマトは特に興味がないような様子で、出されたコーヒーに口をつけている。
テールベルトにとって吉凶どちらにもなりうる存在のハインケルが持つ真実は、限られた者しか知りえない。それを知っている人物の一人がムサシだ。その説明を求められ、ムサシは微笑を浮かべつつ望まれるままに静かに語り始めた。
ハインケルは、生まれながらにして天才だった。なにもかもが普通の子どもとは違い、六歳ですでに研究機関で立派な功績を上げていた。ここまでは、血がもたらす才と言えたかもしれない。
幼さと極端に他人を恐れる性格も関係し、彼は研究室に籠もりっぱなしで表に出てくることはほとんどなかった。同じ研究機関の人間だろうと、ハインケルの姿を直接見た者はそう多くない。
彼は幼い頃からありとあらゆる研究に従事し、そして数年をかけてある新薬を開発した。
それは誰もが望む、夢のような薬だった。
――成功さえ、していれば。