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 自分よりも幾分年上に見える妹に泣きながら懇願するハインケルの姿は、一体どのように見えるのだろう。
 ゆっくりと顔を上げたミーティアの唇の端からは血が伝い、赤く色を変えた頬が痛々しい。すっと細められた双眸に宿る怒りは、激しくも冷たかった。それは、ハインケルには到底真似できそうにない眼差しの強さだった。
 だが、ドルニエはそんな目を向けられても平然と笑っている。赤い唇で弧を描き、小さな手で“対人間用”の拳銃を弄ぶ。捕らえた獲物をどう嬲ろうかと牙を研ぐ肉食獣のような笑みに、ハインケルは小さく首を振った。

「まったく、ほんっとおめでたい人達よねー。この状況であたしに生意気な口叩くとかさぁー。こっちもゆっくりしてる暇はないし、大人しくしといてよね。あんまりうるさいと舌引っこ抜くわよ」
「お願い、ドルニエ、ねえ……」
「聞こえなかったー? うるさいとぉー、舌引っこ抜くって言ったんだけどぉー?」
「んっ……!」

 拳銃で顎を掬われ、上向かせられる。すかさず背後から男の手が回り、そのままハインケルの顔を上向いたまま固定してきた。強引に口を抉じ開けられ、歯の隙間にか細い指が突き入れられる。
 人差し指か、あるいは中指か。伸びた爪の先で舌の表面を抉るように引っ掻かれ、初めて味わう痛みに声にならない悲鳴と涙が零れた。苦痛から逃げようとする身体は男の手によって押さえられ、抵抗一つできやしない。
 このままドルニエの指に歯を立てようものなら、言葉通り彼女はハインケルの舌を抜こうとするだろう。

「んぅっ、うぁっ……」
「そんなにぐずぐず泣いてたら、可愛い顔が台無しねぇ。――あはっ、きったなぁい」

 口腔の奥深くにまで指を押し込まれ、せり上がってくる吐き気に呻く。やっとの思いで引き抜かれたドルニエの指先は、血の混ざった唾液でぬらぬらと濡れ光っていた。
 荒い呼吸を繰り返すハインケルの頬で濡れた指を拭い、ドルニエが哀れむような表情を浮かべる。もちろんそれが本心から浮かんだ表情でないことなど、火を見るよりも明らかだ。

「聡明なおにーさまならもう気づいてる? あんた達は捨てられたんだってコト」

 答えたくなかった。答えることで、現実を見たくなかった。
 傷つけられた舌がじくじくと痛むことを言い訳にして、ハインケルは言葉を呑んだ。だが、眦から滑り落ちていく涙が返答の代わりになったのか、ドルニエはなにも言わないハインケルを見て機嫌よく頷いた。
 スツーカが不安げに鳴いたが、今はなにもしてやれない。優しく撫でてやることも、大丈夫だと声をかけてやることも、なにも。自分がこれほど無力だとは思わなかった。
 “捨てられた”。
 その言葉が深く胸に突き刺さる。“ハインケル”の価値は、テールベルトにとって絶対だと思っていた自分が甘かった。歯噛みしたところでもう遅いのだ。
 いくら外の世界に疎いハインケルでも、自分に関する噂くらいは知っている。脅されればなんでも喋る臆病博士。多くの者には、そう認識されているはずだ。
 軍属の人間ならば、誰もがハインケルを蛇蝎のごとく嫌っている。しかし嫌われている理由を言えと突きつけられれば、誰もが僅かに首を傾げて閉口するだろう。
 どうして嫌われているのか。彼らは一度考えて、そして誰もが同じように答える。「口が軽すぎるからだろう」と。
 研究室の人間ならばまだしも、一般の軍人は日頃関わりのないハインケルの存在になど誰も気にかけない。にもかかわらず、彼らにとってもハインケルは忌むべき存在と認識されていた。
 ――その理由を、誰も深く考えない。
 周囲の人間とできるだけ関わらないようにしながら、常に隠れるようにして研究を続けてきた。誰になにを言われようと、どう思われようと目の前のデータに没頭できればそれだけでよかった。
 ハインケルのすぐ傍を取り巻く環境に見て見ぬふりをしてきた、そのツケが回ってきたのだ。


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