古の欠片はまた嘆く　＊16

　――許せない。許したくない。
　こんなことが、未来のためであるはずがない。


　機械が唸る静かな音が室内を埋め、電子キーボードを叩く音が絶え間なく続いている。ここだけ見れば、一般企業のオフィスとなんら変わりがないだろう。違う点といえば、誰もが軍服を纏う人間だということくらいだ。とはいえ、マミヤは一般企業のオフィスなどドラマくらいでしか見たことがなかったけれど。
　向かい合ったモニターには、数多くの数字や記号が並んでいた。蜘蛛の巣のように線の張り巡らされた図は、各プレートへの繋がりを示している。表示されているのは、主にテールベルトが管轄しているプレートだ。カクタスやビリジアンの管轄は必要がなければ表示しない。それこそ一画面では追いきれなくなるほど、無数のプレートが存在しているからだ。
　テールベルト管轄内において、ヴェルデ基地に駐屯する特殊飛行部が担当しているプレートは、国内の他の基地よりも数が多い。配備されている空渡艦の数に比例しているためだが、現在ではこのプレートから伸びるどの線も、ほぼ一ヶ所へと集中している。
　――プレートナンバー3840-C。
　白の植物が飛来し、驚異的な速さで感染を広めているプレートだ。今やほとんどの特殊飛行部が、このプレートに出払っている。こんなことは非常に稀だった。通常、特別な事情がない限り、一つのプレートにこれほどドカドカと空渡することはまずない。
　空渡観察官一人一人に支給されている電子端末を操作しながら、マミヤは溜息を吐いた。唇から零れ落ちた吐息は僅かに花の香りがする。

「やんなるくらい真っ赤っかぁ」

　感染者の存在を告げる表示によって、プレート全体が赤く染まっている。手元の電子キーボードを操作し、表示されるデータを切り替えた。
　画面が拡大され、プレートの全体の地形が表示される。どの大陸も赤く染まり、そこに空渡艦の存在を示す緑の点がいくつも散っている。しかし、可哀想なほどに赤く染め変えられた小さな島国にだけは、緑の点は一つしか存在しなかった。
　――これほどまでに、赤く染まっているのに。これほどまでに、白の植物が集中しているのに。
　ずっと見ていたのだからこそ、気がついた。このプレートに存在する核が、この小さな島国に集まり始めている。一つ、また一つ。ゆっくりとではあるが、確実に。
　それでも、この地域にヒュウガ隊以外の特殊飛行部は派遣されていない。小さな国だからヒュウガ隊のみで事足りると上は言うが、そんなものはただの詭弁でしかない。事実、この地域には、たった二人の未熟な隊員しか派遣されていない。公然の秘密という言葉をここまで疎ましく思ったのは、これが生まれて初めてだった。
　マミヤは一つに束ねていた髪を解いて天井を仰ぎ、肺に溜まっていた空気をすべて入れ替えるように吐き出した。隣の同僚が視線で「どうした」と訊ねてきたので首を振って応え、再びモニターに向き直る。
　赤く染まった湾曲した島は、おとぎ話に出てくる竜の姿にも似ているように思えた。なんの気なしに頬杖をついて首を傾げたその瞬間、全身に寒気が走る。背筋が凍るほどぞっとし、思わず息を飲む。乱れた心音に合わせて呼吸までもが早くなり、指先が急速に冷えていくのを自覚した。
　こんなものはただの偶然だ。己にそう言い聞かせるが、それでも一度よぎった考えは簡単に消えてはくれない。

「……まるで、ゆりかごみたいねぇ」

　弓なりにしなる島国が、ゆらゆらと揺れるゆりかごにも見えた。胸に燻る不安が、再び熱を上げていく。
　どれほど違うはずだと言い聞かせても、もう一人の自分があらぬ言葉を囁いていく。
　いいや、違う。「緑のゆりかご」だなどと、そんな馬鹿げたことがあるはずない。それはマミヤの願望でしかないと気づいていたが、それでも思わずにはいられなかった。

「マミヤ士長、この書類を広報部まで届けてくれないか」
「はぁい、承知しました〜」

　声をかけられ、マミヤははっとして笑顔を作った。
　上官から書類を受け取り、端末をスリープ状態にして空渡観察室を後にする。
　広報部までは渡り廊下を渡って、その奥の建物まで行かなければいけないから、こういった手渡しのものがあるときに雨が降ると憂鬱だ。傘を差すほどの距離ではないが、土砂降りだとつらい。今はまだ降り出していないようだが、いつ泣き始めてもおかしくはないほどに空は重く翳っている。
　渡り廊下から空を見上げていたマミヤの耳に、車のエンジン音が飛び込んできた。正門からではなく、裏門からの来訪とは珍しい。その時点で興味を引かれ、視線が向いた。入ってきたのは高級車だ。もちろん、ヴェルデ基地が保有している公用車ではない。あんな高級車を乗り回そうものなら、たちまち税金の無駄遣いだと大衆に槍玉に挙げられる。