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 泣き濡れた穂香が小さく頷く。ふらつく足取りで壁を這うようにしてこちらに向かってくる女子生徒が、アカギ達の姿を捉えて怯えたように尻餅をついた。どうやら未感染らしい。どうする、とナガトに目で問いかけると、彼も判断を下しかねているようだった。甘い顔立ちに苦みが走る。
 そうしている間に、森田がアカギを認識したらしい。その背に、穂香がいることも。

「赤坂さっ、――んんっ!」
「――静かに。死にたくないなら声出さないで。いいね? 手、離すよ。叫んだら死ぬと思って」

 完全に悪役の台詞だが、ナガトの言うことに偽りはない。驚くほどの速さで森田に駆け寄った彼は、大声を上げかけた森田の口を瞬く間に手で塞いで物陰まで引きずり込んでいた。必死に首を縦に振る森田から、そっと手を離す。すると彼女は涙の浮かんだ瞳で、射抜くように穂香を睨んできた。

「赤坂さん! これどういうこっ、」
「大声出すなって言ってるのが理解できなかったのかな? 死にたいなら勝手にすればいいけど、俺らを巻き込まないで」

 再び口を塞がれ、今度こそ森田は状況を理解したらしい。全身で恐怖を体現しながら、彼女は震える唇を縫い合わせ、ナガトが手を離しても静寂を守った。そして一呼吸置いたのち、囁くように言葉を紡ぐ。

「なにこれ、どうなってんの……。なんで、赤坂さんの彼氏がここに……?」
「あれ、いつの間にそういうことになってんの?」
「茶化してる場合か」
「茶化さなきゃやってらんないでしょ、この状況。――見ろよ」

 ナガトが示した端末には、一際大きく光る感染者の印が明滅していた。疑いようもない高レベル感染者だ。警告を繰り返す画面から目を逸らし、その場に満ちた空気から気配を感じ取る。
 相手はどんどんとこちらに近づいてきている。このままではむざむざ見つかって襲われるだけだ。一刻も早い判断を下さねばならないが、森田をどうするかが問題だった。見捨てることはできない。かといって連れて行くわけにもいかない。
 そのとき、渡り廊下に溜まっていた感染者の一人がこちらに向かってきた。死角に隠れているため見えないはずだが、見つかってしまえば残りの感染者もどっと押し寄せてくるだろう。こういった場合、息を殺すことがなによりも大事だった。それを身に染みて教え込まされた穂香が静寂を守ることは当然だと思っていたが、このとき、彼らと共にいたのは穂香だけではなかったのだ。

「ひっ、あ、嫌ぁっ! 助けて!! 助けてぇっ!」
「ばっ! ――くそっ!」
「目ぇ瞑ってろ、穂香! 抜けるぞ、ナガト!」
「ああっ!」

 ナガトにしがみついて悲鳴を上げた森田の声をきっかけに、感染者が動き出す。獲物を見つけ、獰猛な唸りを上げながら駆けてくる。アカギはパニックになった森田の腕を掴み、強引に引きずるようにして走ることを余儀なくされた。
 辺りに閃光が弾ける。ナガトの放った閃光弾によって感染者達の動きは鈍ったが、叫び続ける森田の声によってこちらの居場所は丸分かりだ。殴って気絶させようにも、この現状がそんな余裕を許さない。

「ギャああああァアアアあア!」

 狂ったような雄叫びは、銃声を伴ってやってきた。
 今端末を確認すれば、画面いっぱいに「警告」と表示されていたことだろう。
 廊下の向こうに、小さな拳銃を握った男の姿が見えた。背は丸まり、瞳孔の開き切った目元には睫毛よりも長い白い芽が揺れている。首筋には血管の代わりに葉脈が浮かび、白く変色した肌には目に痛い血の赤が滲んでいた。

「なっ……」
「嘘だろ、寄生体!?」

 どうやらあれが元凶らしい。
 唇を捲り上げて泡を吹く感染者の姿に動揺が走る。だが、構っている暇はない。即座に突破することを決め、駆け出そうとしたアカギを強く引く引き止める手があった。

「なにしてんだ、行くぞ!」
「お父さん!」
「はァ!?」
「お父さんなの、あれ! 助けて!」

 森田の懇願に、ナガトもアカギも同時に目を瞠った。それでも立ち止まることはせず、森田の腕を掴んで一気に駆け出す。
 背中の穂香がガタガタと震えているのを肌で感じながら、アカギは渡り廊下をナガトに続いてひた走った。すぐ脇に目を押さえて呻く感染者達を見ながら、一直線に駆け抜ける。闇雲に振り回される腕を避け、銃声につられて押し寄せてきた感染者達から逃げるように中央棟へと滑り込んだ。



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