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「……ほのちゃん? ほのちゃんやろ? 大丈夫? どこ?」
聞き慣れた声に、強張っていた身体がびくりと跳ねた。
信じられない思いで隙間を覗き込む。扉にぴたりと張りついて覗いた先にいたのは、確かに郁だった。目の焦点は合っているし、言葉もはっきりしている。肌に葉脈も浮いていない。
正常だ。そう判断した途端、一気に安堵感が押し寄せてきた。砕けた膝が狭いロッカーを叩く。「うわっ」と声を上げた郁が、転がるようにロッカーの中から出てきた穂香を見て満面の笑みを浮かべた。
「ほのちゃん! よかった、やっぱりここにおったんやね! ほんまよかった……。ほのちゃんまでおかしなってたらどうしようかと思った」
「郁ちゃんも無事でよかった。他のみんなは?」
「分からん。先生に言われて教室におったら、急に古本が暴れ出して……。止めに入った先生までおかしくなって、それで逃げてきたんよ。ここに来るまでもなんかそんな人ばっかやったし、みんな入口塞ぐようにバリケード作ってるし……。もうなんなん!?」
「わ、私にも、分からない……」
咄嗟に嘘をついた。本当は白の植物が原因だと知っていたが、それを郁に話したところで信じてもらえるか分からなかったし、自分までおかしくなったと思われるのは嫌だった。
郁は、滲んだ涙を隠すように俯いて目元を拭う。怖いだろうに、気丈に振るまうことができる強さが羨ましい。
「てか、銃持って入ってきた男って森田のおじさんやって噂なんやけど、もうこれほんまにどうなってるんやろ……」
「え? 森田さんの……?」
「そう。見た奴らが言うとった。森田の家って、両親共に警官らしいやん? だから銃なんかが……。もうっ、なんでケーサツがこんなことすんねん!」
思い出した。
いつだったか、森田が両親のことを鬱陶しげに語っていたことを。
二人とも警察官だから厳しくて、自由がなくて嫌だとぼやいていた。それをひどく羨ましいと思ったことまで思い出し、苦い思いが広がっていく。
やはり彼女の育てていた植物は感染していたのだ。白の植物となって彼女の父親に感染、あるいは寄生し、これほどまでの事件に発展した。
あのとき、無理にでも植物を引き取っていればよかったのだろうか。
――でも、どうやって?
もう一人の穂香が、「あなたのせいだよ」と責めてくる。穂香がもう少し勇気を出していれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。森田の父も、見知らぬ誰かも、学校も、守れたのかもしれない。
穂香自身がこんな恐怖に襲われることも、なかったのかもしれない。
罪悪感に押し潰されそうな穂香の手を、そうとは知らない郁がぎゅっと握ってきた。
「なんにせよ、こっからどうやって逃げるかよなぁ。外は変なんがいっぱいおるし……」
「あ……、あのね、郁ちゃん。ここにいれば、もうすぐ助けが来るから」
「ほんまに!? はぁああ、よかったぁ! ここなら窓塞がれてないし、警察も入ってこれるもんね。ほのちゃんナイス!」
「わっ」
勢いよく抱き着かれて支えきれずにその場に座り込んだが、構うことなく郁はぎゅうぎゅうと締めつけてきてちっとも離れる気配を見せない。もともとスキンシップが大好きな郁だったが、さすがにこれは息苦しい。
「い、郁ちゃん」控えめに声をかけると、よほど嬉しいのか、郁は穂香の首筋に顔を摺り寄せてきた。
力が強くなる。ミシッと骨の軋む音が自分の中から聞こえて、痛みに顔が歪んだ。
「ね、ねえ、郁ちゃん。あの、ごめんね、ちょっと痛いから、もう少し……」
「――ほのちゃん、なんか香水つけてる?」
「え? つけてないけど、なんで?」
「んー、なんかな、ほのちゃん、めっちゃイイ匂いする……」
くす、と笑みを含んだその声に、背筋が凍った。
硬直する穂香から、ゆっくりと郁の上体が離れていく。
――違う。そんなわけない。
それでも、穂香の肩を掴む郁の両手は未だかつてないほど力強かった。骨まで軋むほどの強い力が、穂香を絶望と共にその場に縫いつける。そうでなくとも、身じろぎ一つできなかっただろう。恐怖の鎖に絡め取られた穂香は、もはや立ち上がることもできそうになかった。
うっとりと微笑む郁は同性から見てもぞっとするほどの色香を放ち、蒼白く変色した唇を、赤い舌でぺろりと舐めた。
「いく、ちゃん……? ねっ、ねえ、郁ちゃん、嘘だよね、ねえ、郁ちゃん! なんでっ、ねえっ、やだよ、郁ちゃん!!」
「ふフッ、アハッ、アハハハハハハハハハハッ!」
肌荒れを知らないその肌に、白い悪魔が手を伸ばす。
「いやぁあああああああああああああッ!」
――喉が破れそうなほど叫んだこの声は、あの人達に届くだろうか。
【14話*end】
【2015.1015.加筆修正】