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 二時間目は体育館でバドミントンの授業があった。運動が得意ではない穂香でもバドミントンは人並みにできるので、比較的苦痛を感じない時間だ。これがバレーボールであれば憂鬱な気持ちでいたのだろうが、誰の迷惑にもならずに一時間を過ごせたのでほっとしている。
 この時間、東校舎は日が当たるので、冬の寒さもさほど感じなかった。適度に温まった身体に一息ついて教室に戻る途中、穂香は忘れ物をしたことに気がついた。

「ほのちゃん、どしたん?」
「あ……、ごめんね、郁ちゃん。更衣室のロッカーに、お財布忘れてきちゃった。先に戻っててくれる?」
「うわ、今から取りに行くなら結構ギリやなぁ。代わりに行ってきたろか?」

 足に自信のある郁が時計を見て親切に申し出てくれたが、友達を使うわけにはいかない。授業に遅刻したときのための伝言を頼み、穂香は疲れの残った足を懸命に動かして今し方通ったばかりの渡り廊下を全力で駆け抜けた。
 冬の冷たい空気が肺を刺す。あと三分で三時間目開始のチャイムが鳴ってしまうから急がないといけないのに、思うように足が動かない。体力が尽きる前に少しスピードを落として、渡り廊下から見えるグラウンドに目を向けた。三時間目が体育の生徒達が白線を引いている。どうやらフットボールでもするらしい。
 そろそろ走り出さないと。そう思った矢先、なにかが勢いよく弾ける音が鼓膜を激しく叩いた。スタートピストルでも鳴らしたのかと思ったが、パァン!、という音に次いで悲鳴が上がる。最初の一発から続けて、さらにパパンッ!、と二発の銃声が鳴った。

「え……」

 銃声だとすぐさま思い至ったのは、ブレザーのポケットに同種のものが入っているからだ。ミーティアに持たされた薬銃は小型の拳銃で植物性だが、“銃器”であることには変わりがない。これも、引き金を引けばあんな音がする。その音はもっと軽く、ドラマや映画でよく見るサイレンサーつきのそれのようなものだったけれど。
 足が竦んだ。
 体操着姿の生徒達が、統制を欠いた蟻の軍隊のようにばらばらと散らばりながらグラウンドを逃げていく。その向こうから、酔っ払いのように足元のおぼつかない男が歩いてくる。男が腕を大きく振り上げた瞬間、またしても高らかに銃声が鳴り響いた。
 穂香は慌ててその場にしゃがみ込み、グラウンドから見えないように頭を低くした。周りにいた生徒達の行動はまちまちで、穂香のように身を隠す者や、野次馬根性で手摺りから乗り出す者、校舎の中へ走って逃げ込む者などがいた。近くにいた教師が緊急事態を察知し、校舎内へ入るように声を張り上げる。
 柵に取りつけられた転落防止用のプラスチック板の隙間から見えたグラウンドに、高笑いで踊るように走る男の姿があった。あまりのおぞましさに心臓が凍る。

「嘘でしょ……」

 穂香は、見た。
 狂ったように銃を振り回し笑う男が、グラウンド脇にあった花壇の花を楽しそうに引きちぎったのを。――男に引きちぎられた花が、白く、色を失ったのを。
 ――感染者。
 動きを鈍らせる脳に、その言葉がよぎる。
 どうしてここに。どうして、どうして。
 まさか自分を狙ってきたのだろうか。だとしたら、あの男が親となる核(コア)を宿しているのだろうか。だとすれば、あの男はただの感染者などではなく――……。

「寄生された、人……? や、やだっ、どうしよう……!」

 知りたくもないのに蓄えていた知識が、最悪の状況を導き出す。
 汚れたコンクリートの床を引っ掻くようにして手をつき、這いながら東校舎内へと逃げ込んだ。すでに情報が駆け巡っているのか、校内全体がパニック状態になっている。
 震える足では上手く立ち上がることもできない。廊下の隅で呼吸を荒げながら、穂香は必死で制服のポケットをまさぐって携帯電話を引っ張り出した。
 周りでは、混乱した生徒達がキャアキャアと悲鳴を上げながら逃げ惑う。警報が鳴り響き、切羽詰まった校内放送が流れた。

『緊急事態です、校内に不審者が侵入しました。生徒の皆さんは先生の指示に従い、安全な場所に避難してください! 落ち着いて、一刻も早く安全な場所に避難してください!』

 安全な場所などどこにあるのだろう。相手は銃を持っている。教室の薄い扉など、鍵をかけたところでなんの役にも立たないだろう。
 こういうとき、学校側は生徒に不安を与えないために暗号を使って不審者侵入の情報を伝達すると聞いたことがあるが、この状況では無意味だと判断したらしい。もしくはただパニックになっているだけなのか。
 それも無理はなかった。まさかこの日本において、銃を持った男が学校に侵入するなどという非日常な出来事は、ここにいた誰も想像しなかっただろう。


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