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「なんとかいけたかな。それじゃ、ほのちゃん探そうか。電話繋がる?」
「今かけてる。――繋がった! オイ、無事か!?」
「バカ、声がでかい!」
インカムをぐっと耳に押しつけて、雑音混じりの声を聞きとろうと必死に意識を集中させた。くぐもった泣き声が聞こえる。応答できたということは、感染の危機はないらしい。
嗚咽に混じって、弱々しい声がアカギを呼んだ。
――ああそうだ、俺だ。
返事をしてやれば、ますます嗚咽が大きくなる。
「落ち着け。今、助けに来てる。お前はどこにいる?」
『ひっ、う、アカ、アカギ、さ、っ』
「ああ、俺だ。聞け。今、お前の学校にいる。いいか。お前を、助けに、来てる。分かるか? 分かったら返事しろ。難しいことは考えんな」
『はっ、は、い……』
言葉を覚えたての幼子に話しかけるように、はっきりと言葉を区切って伝えれば、ようやっと穂香はこちらの言葉にまともな返事を返してきた。それでも泣きじゃくる声は収まることなく、相当追いつめられているのだと知る。
音声を共有しているナガトも、その痛々しい声音に眉を顰めていた。
「今、俺達は、屋上の近くにいる。上がってこられるか?」
より一層大きくなった泣き声が、「むり」だと言った。
「よし、分かった。なら、俺達がそこへ行く。お前は今、どこにいる? 何階の、どの教室だ?」
『いっ、い、一階っ、ひが、し、こう、しゃっ! こっ、更衣室、の、ロッカー……!』
すぐさまナガトに目配せすれば、心得たとばかりに彼は校舎のスキャニングを始めた。こうすることで、この建物の地図が端末に取り込まれる。
「分かった。東校舎一階の更衣室だな。そこは安全か?」
『わか、わからなっ……』
「その場に、他に誰かいるか?」
言葉での返事はなかったが、衣擦れの音から穂香が首を横に振ったのが分かった。誰もいない場所に逃げ込んだのだろう。声がくぐもっているのも、狭いロッカーの中に身を隠しているからに違いない。
嘆く声が止まない。鼻を啜る音が、震えた声が、絶え間なく鼓膜を貫き続ける。
――アカギさん。アカギさん、アカギさん。
濡れた声が縋るように、繰り返し何度もアカギを呼ぶ。
「なんだ」
『た、たす、け、』
――助けて、お願い。
咄嗟にマイク部分を手で覆って、アカギは溜息を吐いた。飛び出しかけた舌打ちはすんでのところで呑み込んで、半ば強制的に嚥下する。
胸の奥に澱が溜まっていく。
正義の味方になる気なんて、これっぽっちもないのに。
みっともなく泣き縋る声に、唇を噛んだ。
そんな声を出すな。
そんな風に泣くな。
――でないと、どんな無茶をもしたくなる。
「……そこにいろ」
『あかぎさ、』
「いいからそこにいろ! 言ったろうが! なにがなんでも助けてやるって! 必ず迎えに行く。絶対に助け出す! 分かったら、そこで大人しく待ってろ!」
怒鳴りつけて通話を切ると、呆れたようにこちらを見つめるナガトと目が合った。もうすでに地図は取り込めたらしい。
データの共有をしながら、現在地と東校舎を確認した。ここは本校舎――中央棟らしいので、穂香のいる場所までは少し距離がある。そこに向かうルート上にいくつもの点が光っているのを見て、ずしりと頭が重くなる。
「あのさぁ……」
銃のスコープを覗いて角に見えた感染者を撃ち抜いたナガトが、こちらを見もせずに言った。
「お前、あんなこと言ってたっけ?」
――なにがなんでも助けてやる、だなんて。
「……るっせェよ。行くぞ!」
言ったか言わないか、そんなことはどうでもいい。
肝心なのは、やるかやらないかだ。
* * *
流れる景色はすっかり日常と化していて、別のことを考えていても足は勝手に目的地へと向かう。
前から三両目の扉の脇。ここに立っていれば階段のすぐ前で降りることができる。そうして乗り換えて、今度は後ろから二両目の車両に乗り込んで大学へと向かうのだ。
大学の最寄駅へ向かう電車に乗り込み、ちょうど扉が閉まったタイミングで鞄の中の携帯が震えだした。表示されていたのは高校時代の友人の名前で、「おっ」と思い首を傾げた。
電車の中で出るわけにはいかないので、申し訳ないがやりすごす。あとでかけ直せばいい話だ。しばらく震え続けた携帯はぴたりと鳴り止んだが、三十秒もしないうちに再び震え始めて目を瞠る。
留守電でもメールでもなく、重ねての着信。よほど緊急の用なのだろうか。幸い、講義の時間までは余裕がある。とりあえず用件だけ聞いて、詳しくはあとでかけ直そう。
そう思って、最寄駅から一つ手前の駅で下車し、未だに震え続ける携帯を耳にあてた。