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 飛んでいった眼鏡を拾ってくれたのは、同僚のオキカゼだ。柔和な顔立ちと口調ながらも舌鋒の鋭さはカガ隊上位の人なので、外見に騙されると痛い目を見る。
 じんと痺れる顎をさすりながら少し汚れた眼鏡のレンズを綺麗に拭うアマギに、オキカゼの溜息が降りかかった。どういう意味かと訊ねようとして、その視線が自分ではなく余所を見ていると気づく。

「オキカゼ一曹もやっぱり気になります? ……ハルナ二尉、こないだから相当機嫌悪いですよね」
「うーん、やっぱり艦長のあれが原因かな?」
「ヒュウガ隊を助けに行くなっていう、アレですよね……。正論っちゃ正論なんですけど、非常事態にルールあてはめて、みすみす見殺しにするってのもなんか……」
「ルールはルールだろう。個々が好き勝手動いていたら組織は崩壊する。当然だ」

 休憩室の端でピリピリとした空気を醸し出しているカガ隊のエース――否、テールベルト空軍のエースパイロットを見やり、三人はそれぞれ軽さの違う溜息を吐いた。
 ヒュウガ隊のナガトとアカギを救出した方がいいのではと訴えるハルナに、カガが笑ってその意見を却下したのは先日の話だ。
 階級だけは立派でも、軍人としてはまだまだ経験の浅い二人だけでどうにかなるものではないというハルナの意見ももっともだが、規律を守らんとするカガの意思はどこまでも正しい。艦長命令に逆らえるはずもなく、従わざるを得なかったハルナは未だに不機嫌のままだ。
 とはいえ、仕事には支障をきたさないのだから、さすがといったところだろうか。

「ヒュウガ隊と言えば、向こうに残ってる人達はどうなってんでしょうね? 表向きは全員空渡ってことになってるんでしょう?」
「相変わらず情報が早いね、お前は。まあでも、そういうことなら、堂々と基地内歩けるような状態ではないだろうね」

 少し考えれば分かることだ。
 公然の秘密とはいえ、ヴェルデ基地司令がそんなところで手抜かりをするはずがない。のんびりと休暇気分ですごしているはずがないことだけは確かだ。

「しかし、なぜこんな面倒なことに……」

 なにかしらの考え合ってのことなのだろうが、どう考えても今回の一件は不自然だ。これではまるで、ナガトとアカギの二人を見捨てるようではないか。
 もしもこんなことが世間に露見しようものなら、一体どれほど空軍の評価が下がるのか、考えるだに恐ろしい。
 それほどのリスクを冒してまで得ようとしているものとは、一体なんだろう。
 思案に耽るアマギの意識を浮上させたのは、何度聞いても心臓をざわつかせる甲高い警告音だった。

「感染者八体! 推定レベルC! ――オキカゼ、アマギ、カシマ、出るぞ!」

 誰よりも早く席を立ったハルナは、あっという間に武器を装備してハッチへと向かっていた。
 力強い声が背中を押す。ゴーグルを填めてもなお、その瞳の鋭さが伝わってきた。そこに先ほどまでの、苛立ちを抱えた犬のような、あるいは拗ねた子どものような雰囲気は微塵もない。
 外に飛び出す寸前、アマギはカガと目が合った。
 ほけほけと笑うことの多い食えない艦長が、にんまりと唇の端を吊り上げる。声なく投げられた「頑張れ」の一言に、なんともいえない気持ちが胸を満たす。

「市街地に出られたら面倒だ。一気に片付ける!」
「はいっ!」

 外はもうすでに日が沈み、山を暗闇が抱いていた。頭上にはどこまでも際限なく星が広がり、時折一つ二つ取りこぼしながら輝いている。
 湿った土の匂いが鼻に届く。
 緑の匂いがする。
 その奥に、感染者の放つ腐臭が確かにあった。

「……お前達は、まだ戻れるんだろう」

 感染レベルがC程度なら、治療次第でどうにかなる。
 その肌から血に濡れた白い芽が芽吹こうとも、まだ希望はあるはずなのだ。
 アマギの独り言を聞きつけたわけでもないだろうに、感染者達は真っ先にアマギの姿を発見したようだった。こちらも同じく、暗視ゴーグルがその姿を捉える。電子の網が張り巡らされた視界の向こうに、狂ったように手足をばたつかせる“人間”がいた。
 耳に填めた無線機から、ハルナの指示が届く。
 言われるまでもなかった。
 テールベルト空軍に属し、特殊飛行部の一員として存在する以上、これはアマギにとって義務であり、――日常だった。


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