蜘蛛と蝶




*セイラン、ナグモ
*短編「蜘蛛の巣」直後


 部屋に戻るとさすがに涙は引いていたが、顔の浮腫みはより悪化していた。医務室で保冷剤を貰ってきたセイランからそれを受け取り、明日までには治れと念じながら瞼を中心に冷やしていく。
 今日はいろいろあってどっと疲れた。休息を求める身体が睡魔に手を引かれ、逆らうこともできずにベッドに横たわる。とろりとした眠気の中、薄くなった薬指の噛み跡を眺めてナグモは小さく笑った。

「にしてもセイラン、すごいタイミングだったよね……」

 たまたま今日が定例会だったとはいえ、予期せぬ事態に陥ったナグモを見つけることができただなんて。今どこにいるとも伝えていなかったというのに、どうして自分の場所が分かったのだろう。訊いてみたいけれど、意識はすでに夢の世界に足を踏み入れかけている。
 頭を撫でられたような感触があったけれど、夢か現か分からない。心地よさに揺られ、ナグモは安心して意識を手放した。





「……あのときの僕の気持ちなんて、言ったところで君は分からないんでしょうね」

 会議室から出て、のんびりとムサシと会話を楽しんでいるときのことだった。ナグモとは夜に会えばいいだろうからと思い、特に探そうともしていなかった。
 そんなとき、端末が鳴った。「三階休憩室。あんたの“蝶”が泣いてますよ。助けに行ってやった方がいいんじゃないですか? ――それとも、俺が行きましょうか?」耳に届いた声は男が聞いても申し分のないいい声で、事あるごとにナグモが褒めそやしていたのを覚えている。
 あんたの蝶。
 それが指し示す人物はたった一人だけだ。泣いているとはどういうことだ。なにがあった。
 顔色を変えたセイランを面白そうな目で見上げてきたムサシには、あとでなんと言い訳しようか。
 ああ、まったく。よりにもよってソウヤに借りを作ることになるとは思いもしなかった。
 ナグモはもちろん、多くの知り合いがセイランを「余裕のある大人」だと表現する。だが、なんてことはない。自分とて凡庸な人間だ。電話一本で余裕など吹き飛び、予定外の情けないプロポーズをするはめになる。

「……おやすみ、ナグモ」


 願わくば、君を苦しめる悪夢ではなく、たくさんの笑顔と花に囲まれた幸せな夢が訪れんことを。



(2015.0527)




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