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 二人同時にほっと息を吐き、汗と薬弾の匂いが香るハルナの熱に身を委ねる。

「……こんな風に甘やかしてやるのは今の内だけだからな。覚えておけ」

 ――敵わない。追いつかない。届かない。
 憧れはさらに強くなり、悔しさと焦燥感が胸を渦巻く。
 けれどそれを追いやる感情が、この上ない安心感だった。彼をまっすぐに追いかけていれば、その先にゼロの理想が広がっている。そう確信が持てる。
 あとどれだけ成長すれば、彼を追い越せるのだろう。守られるだけではなく、背を預けられうようになるには、一体どれほど時間が必要なのか。
 噛み締めた唇をほどくように、優しい声がかけられる。

「お前たちは少し小さすぎる。もっと食え」

 小さいと言われることは大嫌いだったはずなのに、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
 逞しい腕から解放される頃には、ワカバの目はすっかり赤く染まっていた。
 まだやることがあるからと言って、ハルナは他の隊員達のもとへと駆けていく。派遣された特殊飛行部は、どうやらイセ隊だったらしい。戦闘服に身を包んだ長躯の隊員たちが、続けざまに簡易飛行樹で飛び立っていくのを見た。
 頬に残る涙の痕を拭って、ワカバがぽつりと呟く。

「……ゼロ、気づいてる?」
「え? なにが?」
「ハルナ二尉、ワカバたちのこと、すっごく可愛がってくれてるね」
「あ、多分そうなんだろうけど、でもそれが……?」

 こんなときにする話ではないはずだ。訝るゼロをよそに、ワカバは悔しそうに顔を歪め、その瞳からぽろりと雫を零した。

「…………軍人としては、信用も信頼もされてないってことだよ」

 その一言に、血が凍る。
 瞠目したゼロの前で、ワカバがその頬を濡らし続けた。

「空学生として、ある程度は信頼されてる。なにも知らない民間人よりはマシだろうって。そうは思ってもらえてるけど」
「いや、でも……」
「特別訓練なんて受けてるけど、ワカバたち、まだまだ軍人には程遠いんだよ」

 感染者を相手にすることが怖かった。殺されるかもしれないという恐怖が、確かにそこにあった。
 それを失くせば、信頼を勝ち取ることができるのだろうか。

「……でも、少しは期待していいのかな」
「期待って?」
「ハルナ二尉、『よくやった』って言ってくれたでしょ。だから……」

 涙を拭う手を見下ろして、ワカバが唇を噛み締める。その小さな手で硬く拳を作りながら、彼女は懸命に笑みを浮かべた。

「これが、この世界なんだね。白の植物がいて、感染者がいて。それを倒すって……、誰かを守るって、こういうことなんだね」

 たとえ正義を掲げようと、この手は必ず血に染まる。希望と絶望を同じ鍋で煮込んで、煮え立つそれを飲み干し、常に死神の視線を浴びながら立ち続けなければならない。ゼロもワカバも、その臭いと熱を知ってしまった。手を汚すものの生臭さを。その熱を。
 相手は感染者だと、駆除しなければならない相手なのだと、そう割り切らなければこの先は進めないのだ。
 ハルナはそのことについて、なにも言わなかった。レベルS感染者の核を完全破壊したわけでも、殺処分したわけでもないのだから、彼にとってはわざわざ口に出すほどのことでもなかったのかもしれない。
 このテールベルトで軍人として生きるのならば、乗り越えなければならない壁だった。
 分かっていても、心が竦む。
 見つめた背中が、遥かに遠い。

「届かないなら。追いつけないなら――」

 そのときは、一体どうしたらいい?


 もしも軍人でなければ、間一髪のところを助けてくれた正義の味方に歓声を上げ、ああよかった、これで終わったと安心できたのだろうか。
 終わりなどない。
 まだ始まってもいないのだと、小さな胸の内で悪魔が妖しく囁いた。


(2016.0522)

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