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 ホットスクランブルのアラートが鳴り響いたのは、ほんの数分前だ。駆け出して機体に乗り込み、誘導のままに滑走路へと滑り出る。慌ただしく駆け回る整備員達に手信号で挨拶を交わし、ヘルメットのバイザー越しに空を睨んだ。
 首の後ろを這う長髪が鬱陶しい。切ろう切ろうと思いつつ、タイミングを逃して伸びっぱなしになっている黒髪は、今や肩甲骨を過ぎた辺りまでになっている。「お似合いですけれど、ヘルメットを被る際には邪魔になりそうですねぇ」つい先日ヴェルデ基地司令への辞令が発表されたムサシが、毛先を軽く引っ張りながらそんなことを言っていたのを思い出した。
 二番機が続いたのを確認し、管制塔からの指示を待つ。討伐対象は感染鳥二体。居住区域から引き離し、焦土地帯上空での殲滅が下された。管制官は淡々と機械的に空の状況を伝え、離陸許可を告げたあとに僅かな感情を覗かせた。「グッドラック」再び帰り来るための幸運を祈る言葉は、それでいて死と隣り合わせの場所に飛び立つことを命じるようでもある。
 爆発的なエンジン音を響かせ、シートに全身を叩きつけられながら一気に加速して空を貫く。あっという間に雲を突き抜けた機体は、地上からは空に刺さる弾丸のように見えただろう。
 FB-3・ラオプフォーゲル。ラオの愛称で呼ばれるこの飛行樹は、各国の主力戦闘機だ。数年前まで操っていたFB-15・ピーコックとは違い、この機体は目の覚めるような青い塗装がなされている。通常、ラオの塗装は銀や彩度を落とした緑や青が多い。しかし、第一特殊作戦航空団の長機においては、まるで孔雀の頭部を思わせる鮮やかな青い塗装が特徴だ。
 ――孔雀か。
 レーダーディスプレイを目で追いながら、操縦桿を手前に倒す。どうやら自分は、よほど孔雀に縁があるらしい。

「――標的発見。指定区域上空へ誘導する」
『了解』

 眼前を飛び交う二体の感染鳥は、元は大型種であったらしい。肥大した翼には白い蔦が絡みつき、腹は歪にぼこぼこと盛り上がっているのが肉眼でも確認できた。未だ居住区上空だ。威嚇射撃の一つもできず、レーザーと警告音だけで感染鳥の注意を引きつける。
 ぎょろりと血走った目がこちらを見た。コックピットにいてもなお聞こえる奇怪な鳴き声が、強く鼓膜を揺さぶる。長い首を左右に揺さぶりつつ、白に喰われた鳥は青い機体に敵意を剥き出しにして追ってきた。

『ヤマト一佐、右エンジン付近から煙が出ています。引き返しますか』

 やや困惑した声がヘルメットイヤホンから聞こえ、ヤマトは眉を顰めた。動かしたときから僅かな違和感は覚えていたが、まさかこれとは。計器にはなんの異常も見られない。エンジン部からの発火を告げるアラートもなく、計器の上ではこの機体は健康体そのものだ。油圧系統に負担を強いるような飛び方もしていない。
 常識で考えれば引き返すべきだ。だが、ヤマトを追う感染鳥は、レベルD感染を引き起こしていることが伺えた。嘴から垂れ落ちる白い粘液がそれを物語る。
 飛行樹の速度に鳥が敵うわけもない。ヴェルデ基地へ戻ることは余裕だろうが、その間に化物と化したこの鳥達が居住区を襲い、眼下の住民達の血肉を理不尽に貪るのだろう。

「――いや、」

 そんな暇はない。そう告げようとした矢先だった。言葉にすればひどく陳腐になるであろう激しい爆発音が、一瞬にしてヤマトの全身を叩きつけた。あまりの衝撃に操縦桿を握る手がぶれ、機体が大きく左へと流れる。必死に歯を食いしばり衝撃に耐えたが、今度はありとあらゆる警告音が我先にと叫び始めた。
 ――尾翼からの発火確認、エンジン部破損、コントロール不能。

『ヤマト一佐!』

 首を巡らせて背後を確認すれば、太い黒煙が立ち昇るのがはっきりと見えた。そのすぐ後ろで感染鳥が大きく翼を羽ばたかせている。――クソ。小さく舌打ち、口やかましいだけの警告音をすべて強制的に断ち切った。静かになったコックピットに響くのは風の轟音と焦りを帯びた仲間の声、それから感染鳥の奇声だ。
 機体が激しく上下に揺れ、口を開けば舌を噛みそうで、たった一言発言することすら許されない。奥歯を磨り潰す勢いで噛み締め、鉛よりも遥かに重たくなった操縦桿を必死で起こした。いつもなら自らの手足のように動く機体は、駄々を捏ねる子どものように頑としてヤマトの言うことをきかない。
 二度目の爆発音を聞き、可変翼の操作レバーを掴みながら確信した。これは整備班のミスでもなければ、乗り手のミスでもなんでもない。ごく稀に発生する、飛行樹の「蝕」だ。
 信じがたいことだが、飛行樹は木製だ。見た目は金属そのもので、叩いても返ってくるのは金属音でしかない。鋼鉄よりも遥かに頑丈で、どれほど火で炙ったところで燃えることはない。だがそれでも、この機体は確かに木々の組み合わせから出来ているものだった。


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