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 鳴り響く警告音に、誰もが血相を変えて対処に当たっていた。人を焦らせるこの音は確かに耳に不快だけれど、実を言うとあまり嫌いではない。この音を聞くたびに胸が高鳴る。手足が痺れて吐息が震える。
 試されているのだ。突然起こる不測の事態を限られた僅かな時間でどう対処するか、その技量が試されている。
 目の前で倒れ込んだ兵士のデータを観測していると、微細な波形の乱れが見て取れた。誤差の範囲内とはいえ、完璧からはほど遠い。想定ではこの数字はありえない。
 すぐさま、「つい半年前までは上司だった」年上の部下に設定の確認を取らせたところ、0.1グリアほど右バロメータの設定がずれていた。

「あーらら」

 丁寧に切り揃えられた丸い爪の先が紙面をなぞる。花のつぼみに見えるように後頭部に纏めた癖の強い金髪が、実験室の淡い光を受けて光を弾く。
 ミスを発見して謝罪する部下を前に、若き天才科学者は愛くるしい笑顔でコップを持った。
 天使のようなと形容される笑顔は、一瞬にして怒気に塗り替えられ、水面が大きく揺れ動く。

「バッカじゃないの!? こんなくっだらないミスするくらいならやめちゃえば? あんた、あたしの足引っ張って楽しい? ねえ、どうなの?」
「も、申し訳ございません」
「謝って済むとか思ってるんならほんっと無能。邪魔よ、消えて」

 ぴしゃりと怒鳴りつけて、コップの水を投げるようにかけた。頭から雫を滴らせる男の唇は、今や屈辱と怒りで震えている。十以上も年下の小娘に無能呼ばわりされたのだから、怒りはもっともだろう。だが、彼が使えないというのもまた事実だった。
 使えない人間に用はない。同情も憐みも、そんな人間相手に投げかけてやるのがもったいない。

「ま、いいわ。これだけ揃えばじゅーぶんでしょ。ちょっとそこのあんた、車出して。ヴェルデ基地まで連れてってよ」

 ここでは、どれほど高飛車に命令したところで許される。
 この研究所内では、彼女――ドルニエが事実上のトップだ。ここでは誰も彼女には敵わない。同じ分野で彼女と張り合うことができるとすれば、それは彼女と血を分けた者しかありえないだろうと言われるほどだった。
 白衣を脱いで回された車に乗り込み、ドルニエはテールベルト空軍のヴェルデ基地へと向かった。軍人は好きではないが、実験材料としては壊れにくくて申し分ないので、まだ我慢ができる。程よく頭が悪いのも、相手は人間でないと思えばかわいく思えた。
 ゲートを抜けて施設内に足を踏み入れると、すぐさま案内人の男がやってきた。空渡の――他プレートへと渡る――ためのヴァル・シュラクト艦発着場に向かう際、長い廊下の向こうから資料を抱えて歩いてくる女と擦れ違った。
 その髪色を見て、すぐに分かった。艶やかな緑の黒髪。抜けるような白い肌に、軍部の女とは到底思えない洗練されたたおやかな物腰。ちらりとドルニエを見て壁際に寄って足を止めて会釈した、その角度すら完璧だった。
 野蛮な軍人の中には溶け込みきれない美貌を持った、とても興味深い血を持つ女。

「うっわ、ほんとにいるんだ、お姫様」
「ドルニエ博士、こちらです。空渡に関するご説明をいたします」
「え? ああ、そんなの適当でいいからさ、あのお姫様のコト聞かせてよ。だってあれ、“マミヤ様”でしょ?」
「申し訳ございません、隊員の個人情報に関しましてはお答え致しかねます。ドルニエ博士、どうぞこちらへ」
「はぁ? なにそれつまんない。こっちで勝手に調べるからいいけど。――で、なんだっけ。この分厚いマニュアルに書いてあることならぜーんぶ覚えたけど、あんたはそれ以外の有益な情報を提供してくれるわけ?」

 形良い唇でにんまりと弧を描いて首を傾げれば、男は僅かに眉を寄せて小さく首を振った。

「プレートナンバー3840-C、着地点19957-J-K2。空渡時の衝撃には左右のレバーで気圧を調整し、対処。緊急脱出の際には座席左下部のレバーを引く。他に注意することは? ああ、もちろんこのマニュアルに載ってないことでお願いね」
「現地での感染者が急増しております。そのため、」
「その辺は大丈夫。あたし一人で行くんじゃないんだしさー。んじゃ、もういい? 早いとこ出発したいんだけど」
「……了解致しました。ご案内致します」

 プレートを渡るためには、ヴァル・シュラクト艦の存在は元より、強力な緑場(りょくば)が必要となってくる。艦はあれでいて木製だ。植物の力を利用して運用するため、「緑」が必要不可欠だった。他プレートのように緑が自然に存在している場合は、自然から動力源を吸収するためにどのような場所でも動かすことが可能だが、この国では緑場と呼ばれる特別な施設からでなければプレートを渡ることはできない。
 厳重に警備と管理がなされた緑場には、初めて訪れた者ならば誰もが見惚れてしまう空間が広がっている。軍の施設とは思えないほどのそこは、楽園とも呼ばれるほどだ。

 ドルニエですら、その光景に思わず笑みを浮かべていた。
 まさに楽園だ。
 眼前に広がる色鮮やかな花畑。広大な広さを持つ室内には、天井、壁、床に所狭しとばかりに緑の蔦が這い、赤や黄色の花が揺れている。そこに浮かんだ何隻ものヴァル・シュラクト艦は、天井から釣り下げられた巨大な花籠の中に入れられているようにも見えた。実際は鎖に蔦が巻きついているだけにすぎないのだが、それだけこの場には緑が溢れている。


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