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その日、欠片は目を覚ます*1
hi ピンクの小さな鉢植えの中に、ホワイトストロベリーの実がなった。
その日はいつもと変わらぬいい天気で、空はきらきらと太陽の光を反射させているようだった。
穂香(ほのか)は今頃、北海道最後の一日を楽しんでいるだろうか。奏は霧吹きで卓上サイズの観葉植物に水をやりながら、自己主張の少ない妹のことを考えていた。
本来なら受験戦争真っ直中であるはずの高校三年生のご身分で、妹は同級生らと二泊三日の北海道旅行に出かけている。成績は学内でも上位を安定して取っていたし、模試の結果も安全圏だから、受験勉強という意味では心配はあまりなかった。
「友達に誘われたんだけど……」と穂香が切り出してきたとき、両親並びに奏が目を丸くさせたのは、「受験生なのに遊んで」ということではなかった。
そりゃあもちろん、時期的なこともある。世間の受験生が地獄だなんだと阿鼻叫喚している夏に旅行だなんて。――いや、だからこそ、驚いた。
穂香はおとなしく、引っ込み思案な性格だ。年頃の女の子なのに、流行のアレが欲しい、コレが欲しいと言って親にねだることもなく、買ってあげようかと言っても笑って首を左右に振るような子だ。
そんな穂香が、「友達に誘われたから旅行に行ってきても、いいですか? お金は、自分で出しますから」と控えめに言ってきたものだから、家族全員目をこれでもかとかっぴらいた。
どこに行くん、誰と? 北海道? ああ、そしたらいいとこやん! え? もちろんええよ、でもな、小遣いは余分に持って行き。
ほの、ほの、父さんはちんすこうが食いたいわ。
いややわ、あんた、それは沖縄のやで。
まるで自分達が旅行するかのように舞い上がった両親に、あれよあれよと準備を整えられ、許可が貰えたのだと穂香が気がついたのは、母に旅行用の洋服を買い与えられたときだった。
もともとのんびりしたうちの親だから、世間から見れば非常識な旅行も「ぴったりの息抜き」程度にしか思っていないのだろう。
友達と遊びに行くこと自体珍しかった穂香の、初めてに等しい大きなわがままに、両親は浮かれっぱなしだった。
奏も両親と同様に浮かれていて、穂香が育てていた観葉植物の面倒を申し訳なさそうに頼んできたときも、胸をどんっと叩いて引き受けたのだ。「お姉ちゃんに任しとき、絶対枯らさんからな!」三日坊主が定着していることを憂いてか、穂香は苦笑混じりに頭を下げていたけれど。
そんな穂香の旅行も、今日で終わりだ。
今日の夜遅くに、飛行機でこっちへ帰ってくる。父がわざわざ車を飛ばして迎えに行くとメールしていたが、穂香は「次の日も仕事だから、構いません。タクシーで帰ります^^」と返信したようだ。
無論、大事な愛娘を夜中に一人で帰すような父ではないので、見なかったことにして空港まで行くに違いない。
今日のうちに飼い主――という表現が適切かは分からないが――が帰ってくるが、冷房をかけていないこの暑さでは、植物もすぐにへばるだろう。
穂香の部屋は奏の部屋と違い、とても綺麗に片づけられている。机の横にある棚にはちょこちょことカラフルな小さな鉢が並んでおり、そのすべてを枯らさずに穂香は育てていた。
中でも一番目を引いたのが、ピンクの鉢に植わっているホワイトストロベリーだ。穂香が出発するよりも前から小さな実をつけ始めていたのだが、今では食べられそうなくらいの大きさになっている。
「メール……は、別にええか。帰ってきて見た方が喜ぶやろし」
でも、一応写メは撮っとこ。
一番大きな実に携帯のカメラを向けたところで、奏は違和感を覚えた。ピロリロリン。間抜けなシャッター音のあと、画面に切り取られたホワイトストロベリーの実と、鉢を見比べる。
「これって、葉っぱも白くなるんやっけ?」
がくも、実に近いところの葉も、脱色したように真っ白だ。白とピンクの組み合わせはかわいい。そこに鮮やかな緑もあるのだから、女の子らしさ満点の植物だ。
植物など育てるよりも枯らすことの方が得意な奏にとって、「その問題」はその程度のことでしかなかった。