3 [ 55/184 ]
「あたしが囮になる」
「えっ!? お姉ちゃん、なに言って、」
「あたしが囮になって、そのコアを引き寄せる。そしたらあんたらがやっつけてくれるんやろ?」
「ね、ねえ、ちょっと待って、お姉ちゃん、そんなの」
「心配いらんって。な?」
頭を掻き回してくる優しい手が、一瞬のためらいもなく薬銃を手に取った。
ミーティアとハインケルが視線を交わらせ、二人同時に「いいアイデア」だと言った。おかしい。どう考えても間違っている。コアを探すことも、感染者をどうにかすることも、すべて彼らの仕事のはずだ。自分達は被害者で、守られるべき存在なのだ。それなのにどうして、奏が囮になる必要があるのだろう。
下手をすれば死んでしまう。感染し、寄生され、化け物になってしまう。
なのになぜ、そんなことを簡単に言うのか。
「囮って簡単に言うけど、お前なァ」
「あんたの隣のおにーさんは、あたしらを囮にするつもりやったって教えてくれたけどぉ〜?」
「なっ、オイ、ナガト!」
「だって事実だったろ。つか奏、そりゃそうだけど、今と前とじゃ事情が違うって言ったじゃない。俺ばっか悪者にしないでよ」
「そんならしーっかり守ってくださーい」
「まったく。……きみ、誰に向かって口きいてんの?」
穂香の眼前を、緑のような、黄土色のような、「いかにも」な色が覆い尽くした。それが彼らの作業服――軍服の背中だと気がついたのは、テーブルの上につかれた片腕を見たときだ。
ナガトは穂香と奏の間に割り込むようにして、身体を斜めにしてテーブルに手をついた。あの甘い顔立ちが、ぐっと奏に近づけられたのだろう。落ちてきた声は一回り低く、身体の芯を揺さぶるような響きを持っていた。
――誰に向かって口きいてんの。
そこに込められた、絶対の自信。どくりと心臓が跳ねる。けれどそれは、穂香に向けられたものではない。
「あんたらがどこの誰なんか、未だによぉ分からんっての! エラソーにすんな!」
「いったぁ! すぐに暴力に走るのどうかと思うんだけど!」
「うっさい! それよりいつまでほのにケツ向けとんねん、はよどいて!」
「え? え、ああ、ごめんね穂香ちゃん」
いいえ。そう呟くだけで精一杯だった。
額に拳骨を落とされたらしいナガトは、痛い痛いと言いながら壁際に戻っていった。軍人の男が、女の本気でもない一撃が痛いはずもないだろうに。
「それでは、お嬢ちゃん。――いいえ、改めましょう。奏、アナタにそれだけの覚悟がおありなら、アタシ達も全力でご協力させていただくわ。銃の扱い方を学んだら、アタシの部屋に来てちょうだい」
「ほのは?」
「そちらのお嬢ちゃんは結構よ。軍人さん達とイイコでお留守番しておいてくださる?」
浮かべられた微笑は美しく、意識を絡め取る魔法のようにも感じられた。だが、言葉の意味はひどく重い。
――守られるだけの役立たずは必要ないのよ。
まるで、そう言われているような気がした。
「大丈夫やで、ほの。ほのはあたしが守ったる! やから、なーんも心配せんでええんよ」
知っていますか。
その言葉がどれほど優しく、どれほどあたたかく、――どれほど、重いか。
あなたは、知らないでしょう。
* * * 理解できない。
ミーティア、ハインケル、奏が出ていったあとの一室で、アカギは心中でそう呟いた。二人の研究者の指示で赤坂姉妹に薬銃の扱い方を教えたが、それだけで彼女達が身を守れるとは到底思えない。
低レベル感染者であれば、薬銃で動きを封じることは可能かもしれない。けれど、高レベル感染者ともなれば、自分達でも苦労する相手だ。素人なら一瞬で餌食になるだろう。
それを分かっていないからなのか、あの女は自ら「囮になる」だなどと馬鹿なことを言い出した。確かに、自分達の狙いがそこにあったのは否定しきれないが、この現状でその道を選ぶつもりはなかったのだ。
色を入れたという短い茶色の髪と、勝気そうな黒い瞳を思い出す。言葉は悪いし、態度もでかい。すぐに手が出る暴力女。そんな彼女は、自分達が思いもしないことを言い出すのだから恐ろしい。
あれは白の植物の恐ろしさを知らないから、あんなことが言えるんだ。あの化け物はすべてを奪う。身体も、意識も、矜持も、尊厳も。残された者の未来すら、根こそぎ奪っていく。