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奏でる未来、香る欠片



 お元気ですか。
 私は元気です。この春で、大学2年生になりました。単位も全部取れていて一安心です。
 お姉ちゃんも社会人2年目です。もう大分慣れてきたみたい。週末は会社の人達と飲み会に行くことが多くて、私は少し心配になります。お酒に強いからって、お姉ちゃんはいつもたくさん飲んで帰ってくるから。
 ……あ、お酒と言えば。私も、お酒が飲める年齢になりました。もう二十歳なんだって。なんだか不思議な気分です。まだまだ大人になった自覚なんてなくて、でも、数字で見れば大人で。これからのことなんかまったく分からないのに、どうしたらいいんだろうって不安になります。って、こんな弱音を吐いたところで困りますよね。ごめんなさい。
 前のお手紙でもちらっと書いたんですけど、ついに二人でルームシェアを始めました。お互い無事に2年生になった記念です。お料理は私がすることの方が多いけど、「美味しい」って言ってくれるのが嬉しくて、ついつい張り切ってしまいます。食費のこととか考えなきゃいけないから、作りすぎちゃうといけないんだけど。
 それから、ええと、そうそう、少しだけ髪を切りました。腰まで伸ばしてたんだけど、今は胸のあたりまで。美容院は苦手なんだけど、お姉ちゃんに付き合ってもらって行ってきました。パーマもかけたんだけど、とれやすい髪質みたいで今はすっかり元通りのストレートです。残念。

 そちらは、どんなご様子ですか。
 怪我はしていませんか。風邪を引いたりしていませんか。
 危ない目には――、軍人さんなんだから、それがお仕事だって言うのかもしれないけれど、でも、できれば遭ってほしくないです。どうか怪我なく、元気でいてください。
 今年も、スズランとイチゴの花が咲きました。ちゃんと葉っぱは緑色です。大丈夫です。
 お花と空を見るたびに、思い出します。夢だったのかなって不安になるときもあります。でも、私には証があるから。

 会いたいです、アカギさん。
 どうすることもできないけれど。思い出すたびに、会いたくなって泣きそうになります。……また泣くなって怒られますね。
 ババロア、もっと美味しく作れるようになりました。いつか食べに来てください。
 待ってます。ずっと、待ってます。アカギさんだから、信じていられます。

 ……大好きです。



 穂香より、と書き記す手が震えた。躊躇いを体現したインク溜まりが、昇華しきれない思いの深さを目の前に突きつけてくる。溜息と共に便箋を封筒に入れ、糊をしてから花のシールを貼った。宛名はいつもと同じく、「テールベルト空軍特殊飛行部ヒュウガ隊 アカギ様」だ。住所もなにも分からない。だから知っていることだけを書いた。
 書いたところで、出せるはずもない。ポストに投函したところで悪戯と思われるのがオチだ。テールベルトなんて国、この世界には存在しないのだから。どこにも出せない手紙がどんどんと溜まっていく。読み返すことも捨てることもできず、机の引き出しの中に愛らしい封筒がいくつも眠っていた。
 出せるはずがないと分かっているのに書いてしまう理由は、自分でもよく分からない。何度も何度も夢だったのではないかと不安になって、鏡の前で胸の傷をなぞって涙する。これは証だ。彼が守ってくれたという、穂香に唯一形として残してくれた証だった。
 約束した。必ず会いに来てくれると。彼はそれがいつになるとは言わなかったし、難しいだろうことも理解していた。けれど、約束は約束だ。彼は必ず守ってくれるはずだ。――あのときのように、必ず。

「あ、そろそろ行かないとっ」

 鞄を引っ掴み、慌てて部屋を飛び出した。今日の講義は出席にうるさい教授のものだから、遅刻は許されない。
 誰もいなくなった部屋の机の上で、届くことのない手紙がぽつねんと佇んでいた。


* * *



「うわ、もうこんな時間やん! あのハゲ課長のせいや、くそったれ!」

 下品な罵声が唇から零れ、擦れ違う大学生達が目を丸くさせていた。ヒールの音を響かせながら階段を駆け下り、閉まりかけていたドアになんとか滑り込む。奏の背中で口を閉ざしたドアとは入れ違いに「駆け込み乗車は大変危険です」とのアナウンスが降ってきて、周りの乗客らの視線が突き刺さった。
 さすがに羞恥心と居心地の悪さに耐え切れなくなって、そそくさと隣の車両に移る。空いた座席に腰を下ろせば、一週間の疲れがどっと押し寄せてきた。じんわりと汗ばんだ首筋をハンカチで拭い、乱れた髪を手櫛で整える。
 時計を確認したところ、どうやら待ち合わせには十五分ほど遅れそうだ。その旨をメールして、ぼんやりと外を眺めながら揺れに身を任せる。
 店は予約しているわけでもないから、時間の心配はいらない。いい店だけれど穴場的な存在だから、金曜の夜とはいえ入店できないほどでもないだろう。
 昨日が給料日だったので、奏は久しぶりの外食でもどうかと妹の穂香を誘ったのだ。先輩に連れて行ってもらったレストランバーは静かでおしゃれな雰囲気だったし、なによりも料理が美味しかった。店内にはたくさんの観葉植物が飾られていたから、穂香もきっと気に入るだろう。


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