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「ぐあぁっ!」
「ハルナ!」「ハルちゃん!」

 まるで玩具の人形のように、鍛え上げられた軍人の身体が宙を舞った。ハルナの身体は大木の幹に背中から叩きつけられ、そのままぐったりと崩れ落ちて動かなくなった。すぐさまスズヤとナガトが駆けて行き、ソウヤの厳しい声が先を促す。
 喉が痛い。焼け付くような痛みは、自分が絶叫しているせいだとあとになって知った。
 穂香に向けて伸ばした手は、風を切って伸びてきた太い根によって遮られた。見た目からは考えられないほどの俊敏さで動くそれをなんとか避け、薬弾を撃ち込む。ソウヤが上空からのアプローチを試みたが、地面に大穴を開けて全貌を現したその「化物」にとっては、彼も木の葉のような存在でしかなかった。
 ずず、と、重たいものを引きずる音がする。

 誰もが息を飲んだ。
 蠢く根は太く、そこから伸びる茎や蔦はすべて不気味に白い。全長四、五メートルほどのそれは、たくさんの花を咲かせ、なにかが腐ったような、どこか甘い香りを振り撒いている。無数の蛇が躍るように蔦が辺りを這い回り、隊員達を襲う。
 ずるり、ずるり、濡れて光る粘液の痕を残しながら、それはじりじりと穂香を目指した。

「あ、……や、いや、来ないでっ……」
「穂香! 逃げろっ!」

 ミーティアの言葉などすっかり頭から抜け落ちていた。アカギは無心で薬銃を撃ち、他の隊員も同じように蔦を、花を、根を狙って攻撃を繰り返す。けれど緩慢な動きで穂香を目指す白の化物は、どれほどの薬弾を撃ち込まれようともびくともしない。それどころか、近づいてきた隊員をその蔦で薙ぎ払い、あるいは絡め取り、きつく締め付けて茨を食い込ませた。
 傷ついた表皮から、白い粘液がだらりと垂れ落ちる。しかし傷はすぐに塞がり、見る影もなくなった。

『攻撃しないで! そのまま寄生させて。でないと終わらない!』

 痺れを切らしたように叫ばれたこの声は、ハインケルのものか。蛇蝎のごとく嫌われている天才科学者。その称号の意味を、アカギはようやっと真の意味で理解した。
 百獣の王すら頭を垂れてひれ伏す勢いの咆哮が、喉を焼く。

「ふざけんな! 見殺しにしろっつってんのかよテメェは!」

 甘い腐臭を放つそれは、植物と呼ぶにはあまりにもおぞましく、醜悪だった。分厚い花弁が揺れる。しべも萼(がく)も、すべてが白い。土に汚れ、血に汚れ、白は他の色を纏ってもなお、白くある。
 どれほど穂香に近づこうとしても、大人の腕ほどの太さがある蔦が幾本も振られて阻まれる。滴る粘液は、触れただけで肌を焼いた。
 じりじりと後退しながら、ついに穂香の膝が砕けた。それでも彼女は、手足を使って逃げようと必死に後ずさる。

 これを、この光景を、ただ見ていろと、そう言うのか。
 なんの力も持たない少女が涙を流しながら、助けを求めている様を。得体の知れない化物に蹂躙される様を、ただ見ていろと、そう言うのか。
 そんなことができるはずもない。
 しべすら蠢く花の中心に銃口を向けたアカギの肩を、力強い腕が掴んで引いた。そのせいで弾丸は大きく逸れ、花弁の端を掠めるだけにとどまる。

「っにしやがる!」
「落ち着けド阿呆! 一人で突っ走るなと何度言わせれば分かる!」

 相手が誰かも分からず激情に任せて怒鳴った瞬間、強く頬を張られてなにがなんだか分からなくなった。苛烈な叱責はどこか掠れていて、怒鳴ったあとで苦しげに咳き込んでいる。
 口の端を血で汚しながら、ハルナはナガトに肩を預けていた。足を引きずるようにして歩き、アカギを殴った手はすぐさま腹部を押さえに回る。呼吸すら苦しげな様子だが、それでも眼光は鋭く強い。

「ハルナ、無事か?」
「ええ。……すみません、情けない姿をお見せします」
「気にすんな。足は動くようだな。目は?」
「平気です。問題ありません」

 あれだけの勢いで吹き飛ばされたのだから肋(あばら)の一、二本は折れているだろうに、ハルナはナガトの支えを自ら外してソウヤに敬礼してみせた。
 ハルナの無事に全体の士気が高まるのを感じたが、アカギにはそれどころではない。頬を張られた理由がこれっぽっちも分からなかった。

「なんで止めるんですか!」
「相手はあのサイズだ。核の場所が分からん限り、闇雲に攻撃したところで無駄だ」

 吐き捨てるように言い放ったハルナの視線の先には、絶え間なく薬弾を浴び続ける化物があった。どれほど傷つけたところで再生する。確かに、今のままでは無駄かもしれない。
 ――けれど。

「ふざけんじゃねェよ! あいつをっ……穂香を見殺しにしてたまるか!」
「寄生されてもすぐには死なん!」
「――あんたがっ、あんたがンなこと言う奴だとは思わなかった! 聞いてられっかよ!」

 掠れた声で怒鳴りつけるハルナの声量をさらに上回る大音声で怒鳴り返し、アカギは怒りに滾るまま駆け出した。だが、すぐさま息が詰まって足が虚しく宙を蹴る。
 強く後ろ首を掴まれたのだ。至近距離から落ち着いたソウヤの声が聞こえる。

「待て、アカギ」
「離せ! 離せっつってんだろ!」

 上官相手だとか、そんなことは考えになかった。
 ただ、己の邪魔をする彼らが煩わしい。鳴り響く銃声が、届かなくなった穂香の悲鳴が、ひたすらにアカギの焦燥を煽る。
 恐怖に怯える民間人を犠牲にする。――それが「ヒーロー」のやることか。

『総員、対象への攻撃やめーーー!』

 インカム越しではなく、それは艦の外側に取りつけられたスピーカーから爆音で放たれた。ヒュウガの声だ。誰もが反射的に動きを止める。豪雨のように轟いていた銃声が途端に鳴り止み、辺りは奇妙な静けさに包まれた。


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