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「あ、そうそう、ザコは蹴散らしていいけど、ボスが出てきたら迂闊に手ぇ出すなよー。親の核は、一度穂香に寄生させてから破壊すっから」
「は?」
「寄生状態での完全破壊だ。元のまんまだと、駆除中にまた核飛ばすかもしんねぇからな」
言いたいことは分かる。これほどまで成長した親の核を破壊するのは、容易なことではない。人体寄生させれば、核の露出部分は増え、破壊そのものの難易度は下がる。大規模な感染が発生した場合、大元の核を破壊する際に取られる処置の中に、人体寄生という策は確かに存在する。
だがそれは、すでに回復の見込めない高レベル感染者に寄生させることが前提の話だ。
「――あんたは自分がなにを言ってるか、分かっているのか」
獣が唸るような声が出た。腹の底から捻り出したその声に、掴んでいた穂香の手が震える。今、自分の目はどれほど冷えているのだろう。どこか冷静になった頭がそんなことを考える。
相手は尊敬する艦長だ。どれほど無茶苦茶だろうと、彼のやり方に従って失敗したことなど今まで一度もない。けれど、今回ばかりはその保障がないのも事実だ。
確かに、ただ守るだけなら可能だ。白の植物から、感染者から、彼女をただ守るだけならば。
「わぁってるぞー。リミットは一時間だ。その間に破壊すりゃ、穂香も無事ってわけだな」
「ふざけるのもいい加減にしろッ!」
「そう怒んなよ〜。言ったろ、ハルナ。お前はただ、眼前の白のみを狩れ。できんだろ? ――命令だ、行け」
カウントが十を切った。
ハッチを開けようか迷っていた隊員を押しのけ、飛行樹を引っ掴んで荒々しい手つきでゴーグルを装着する。「あ、あの、」心配そうに声をかけてきた穂香には悪いが、それに応えてやれるほど心の余裕はない。
命令だと言われれば、従おう。
自分は軍人だ。それが命令だというのなら、従うより他にない。だが、異議は唱える。溜まった不満は必ず吐き出す。なにも考えずに甘受することはしない。する気もない。
カガのことは尊敬している。そこに偽りはない。彼が采配を間違えたことも、少なくともハルナがカガ隊に配属されてからは経験したことがない。それは、自分達がどんな無茶な要望もこなしてきたという証明でもあった。
「戻ったら一発蹴り上げる」
「え、お前の蹴り超いてぇからヤダ」
情けないほどしょげた声に、ハルナは背を向けたまま振り向かなかった。
できるか、できないか。カガは、そんなことは訊いていない。言葉通りに受け取って答えを出すのは、愚か者のすることだ。
この男は、ハルナの前に選択肢など差し出す気はない。「やれ」と、ただ一言そう言っている。
最初から、ずっと。
上が揺るぎない決定を下すから、だから下は迷わない。たとえどんな結果になろうと、責任はすべて自分が負うから「やれ」と、一切のためらいなくカガは言う。
いつだってそうだった。今も、きっとこれからも。
「……失礼する」
「え? わっ……!」
「ハッチ、開きます!」隊員が叫ぶ。カガが「気ぃつけてなー!」と場違いな明るさで声援を送り、切々と無事を訴える奏の声が鼓膜を叩いた。
抱きかかえた腰は細く、体重を感じないほどに軽い。吹けば飛びそうだ。女という生き物には翼でも生えているのかと、抱き上げるたびにいつも思う。
落ちないようにしっかりしがみついているように告げたが、穂香には聞こえたか分からない。
なぜならハッチが開くと同時、ハルナは簡易飛行樹を構え、ブースターを発動させた上で風を切り裂いて飛び出したからだ。少女の甲高い悲鳴が風音に掻き消される。
射るように空を目指した。簡易飛行樹が出せる最速のスピードで飛び出した。
それまではそれこそ弾丸のようだった飛行樹の翼が、外に出た瞬間バッと勢いよく開いて空を滑る。縋りついてくる穂香の身体をしっかりと抱き直し、手首にグリップを引っ掻けただけの状態で薬銃を握った。
白に侵された鳥が、耳に痛い絶叫を放つ。その鳴き声が、記憶に残るなにかと重なった。意識が揺さぶられる。
だが。
――お前はただ、眼前の白のみを狩れ。
カガの声が、ざらついた痛みを与えるそれを掻き消していく。
「……言われるまでもない!」
柄にもない大きな独り言は、放たれた弾丸に呑まれて消えた。
* * *
六十秒のカウントが、とてつもなく長いような、あるいはあまりにも短いような、そんな奇妙な感覚に囚われていた。
がむしゃらに足を動かし、引き金を引き、簡易飛行樹のグリップを掴んで飛び上がる。先を駆ける上官達の背を追いながら、アカギは言いようのない焦燥感に胸を焼かれていた。
このプレートを救う。その鍵となるのは間違いなく穂香だろう。アカギだってただの馬鹿ではないのだから、それくらいは理解できる。しかし、理解できるからといって納得できるかと言われれば、そう上手く事は運ばないのだ。
大型のネコ科動物を思わせるしなやかさで身を捻り、ソウヤは飛びかかってきた犬の腹に薬弾を撃ち込んだ。抉るような一撃に、不自然に白く色を変えた犬が断末魔を挙げて転がっていく。その悲鳴からものの数秒も経たないうちに、聞こえてくるカウントはついにゼロとなり、――ガコンと音を立ててハッチが開いた。
誰もが周囲を警戒する。餌の匂いにつられて引き寄せられた感染者達を、むざむざと穂香に近づかせるわけにはいかない。ごくりと唾を呑み込んでハッチに視線をやった瞬間、そこから矢が放たれた。
「ハルナ二尉!?」
「なんとまあ、随分と派手な登場だな。負けんなよ、アカギ」
空を切り裂かんばかりで飛び出していったのは、矢でもなければ弾丸でもない。無骨な戦闘服に身を包んだ軍人と、その腕に抱かれた穂香だ。
まさか一人で出てくるとは思っていなかったが、それにしたってハルナがついているとは予想していなかった。唖然とする間もなく、上空から異常に肥大した腹を持つ白い鳥が滑り降りてくる。
「危ねェ!」穂香を抱えた状態で飛行中のハルナの両手は、どちらとも塞がっている。
すぐさま援護のつもりでスコープを覗き込んだが、撃鉄を起こす前に銃声が空気を割った。血を噴き出して鳥が墜ちる。誰もが一瞬言葉を失い、ある者は歓声を上げ、ある者は恐ろしいものを見たと言わんばかりに身震いしていた。