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「でも、マミヤさんを助けてくれたのはムサシ司令なんだよね?」
「ええ。ムサシ司令――というより空軍そのものかしらぁ? まあとにかく、ヒュウガ隊を失うのは惜しいってお考えだったんでしょうねぇ。緑花院を潰す方向にシフトしたみたい。だから言われたの。『貴女の手で彼らを送ることを許可する代わりに、王族である貴女の力を寄越しなさい』って」
「あんた、それって……」
「緑花院を切って、王族と繋がる。ムサシ司令の話だと、この一件で王家の力は再浮上するんですって。父の影響力も大きくなる。……空軍に緑姫がいたっていう事実が世間様にどういう影響を与えるのか、見ものよねぇ」
難しい顔をしたキッカが、ぽつりと零した。
「マミヤさん、それ、本当にここを辞められる? その話が本当なら、空軍はあなたを手放さないんじゃないかな」
「……わたしね、強がりじゃなくて、ほんとにやったことには後悔してないんですよ。これだけ散々な目に遭わされてる王族が、少しでも報われてくれたら万々歳! でも正直、……飼い主が変わるだけの生活はごめんだわぁ」
昏く笑ったマミヤはぞっとするほど美しく、――悲しかった。
「まあでも、」と空気を一変させるように彼女は手を一つ打ち鳴らし、からりと笑う。
「最悪、いざとなったらソウヤ一尉をマミヤのお婿さんにしてあげて、さっさと奥宮に籠もっちゃえば済むからいいのよぅ。そのままなし崩しでいろいろ誤魔化すわぁ」
中年女性のように手をパタパタと仰ぎながら放たれた冗談に、チトセはまったくもうと肩を竦めるしかできなかった。ソウヤが聞けば、「絶対にお断りだ」と鼻先を指弾されそうな提案だ。
「あんたはまたそんなことを」と言いかけたチトセの真横で、きらりとなにかが輝いた。それはすぐに、身を乗り出したキッカのカメラが光を反射させたのだと気づいたが、そんな反射よりもなおキラキラと輝いて見える焦げ茶の瞳にぎょっとした。
「それ、すっごくいいと思う!」
「え、あの、キッカさん?」
「だってマミヤさんとソウヤ一尉、すっごくお似合いだもん! 似合う似合う、それ絶対いい! そうだよ、そうしちゃえばいいんだよ! 二人とも仲良いし!」
「あの、だからキッカさん、これはあくまで冗談で、」
「結婚式の写真は任せてね、綺麗に撮ってあげるから!」
子どものように目を輝かせ、頬に朱を刷いてマミヤの手を握り締めたキッカは、とろけるように笑っていた。先ほどまでの難しい顔が嘘のように華やかで、一人で勝手にウェディングドレスのデザインについて語っている。
さぞ呆気にとられているだろうとマミヤに目を向けて、チトセは手にしていたカップを取り落としかけた。あれもいいこれもいいとはしゃぐキッカは、その変化に気づいていない。
――だが、これは。
「…………マミヤ、あんた、顔真っ赤」
うんと年上にしか興味がなくて、チトセの知る限りでは連戦連敗の記録更新中。黙っていれば澄ました美人、口を開けば自由気ままな小鳥のように囀りだして止まらない。そんなマミヤの、こうした表情は初めて見る。
やれ誰それがかっこいいだの、やれ誰それにフラれただのと喚く姿は見慣れているが、こんな風に耳まで赤く染めている姿は初めてだ。
キッカもようやくそこでまじまじとマミヤを見て、目を丸くさせた。「わ……」悪意のないその感嘆が、余計にマミヤの羞恥を煽ったのだろう。彼女は八つ当たりのようにチトセを睨み、べえっと舌を出して怒鳴った。
「うるっさい! 先のことなんか知らないわよっ、今はとにかく、腹括って待つの!! ――笑うなっ、チトセ!」
焦るマミヤは見ていて面白い。
そうか、ソウヤか。あの人との年齢の近さが少々不安を煽るものの、この様子なら心配はいらないだろう。脳裏に浮かんだ上官の顔を慌てて掻き消して、チトセはにんまりと口端を持ち上げた。余裕のないマミヤなんてそうお目にかかれない。今のうちに楽しむのが筋といったところだろう。
「そうねー、ソウヤ一尉、早く帰ってくるといいわねー」
「ヒュウガ隊も! それにっ、ハルナさんも!」
「そうねー、せぇーっかくソウヤ一尉がマミヤのために動いてくれたんだもの。みんな無事に帰ってきてほしいわよねー」
「んっの、チトセぇっ!」
耐え切れなくなったマミヤが、勢いよくチトセに飛びかかってきた。細っこい身体がのしかかってくるが、これくらいでは潰れない。ラグの上に押し倒されたチトセをキッカがはらはらと見守っているのが分かったが、戦闘職種のチトセにとってはどうということもなかった。
マミヤの手はチトセの脇腹をくすぐってくる。げらげらと笑って身を捩るが、太腿でしっかり固定されてなかなか抜け出せない。とはいえ、こちらもただの非力な女の子ではないのだ。一瞬の隙をついてマミヤの身体をひっくり返し、仕返しとばかりに脇をくすぐってやった。今度はマミヤがけらけらと笑い転げる。
――カシャッ!
小気味のいいシャッター音が耳朶を叩く。二人とも笑いすぎて浮かんだ涙を滲ませたまま、音のする方を見た。楽しそうに笑うキッカがカメラを構え、再びシャッターを切る。
「うん、いい顔」
――大丈夫。
きっとこれからも、笑っていける。
そんな確信が、チトセの胸に生まれた。
* * *
その瞬間、カガ隊の空渡艦内は一触即発の緊張感に包まれた。
帰艦を告げたハルナ班が戻ってきたのはいいが、そのハルナと言えばハッチを蹴破らんばかりに乱暴に開け放ち、通路の隊員を「邪魔だ!」と突き飛ばす勢いで押し進んできたのだ。その顔には怒りが滲み、怒気が背後からメラメラと燃え立たんばかりに見える。
触れれば焼かれそうな怒りの色に、誰もがぎくりとした。ハルナの目標はただ一人だ。その人物と目が合った瞬間、彼は雷鳴のような怒号を放った。