2 [ 143/184 ]
「そうよ、あんたこれからどうすんの? 除隊願い出したとか言ってたけど、辞めるときに責任なすりつけられたりするんじゃないの? その辺大丈夫なわけ!?」
「さあ、どーなるかしらねぇ」
「ちょっと! 真面目に、」
「考えたくないのよ」
腰を浮かせて声を荒げかけたチトセに、マミヤは冷ややかに返した。テーブルに頬杖をついたのとは反対の手が、チョコチップクッキーをつまんでいく。長い睫毛に縁取られた深緑の瞳は、チトセのこともキッカのことも見ようとはせず、なにかの答えを探すようにクッキーだけを見つめていた。
沈黙が降りる。こんなことならテレビを消さないでおけばよかったと思うほど、それは重く苦しいものだった。
「考えたくないの。わたしにやれることはやったわぁ。そのことに後悔はしてない。わたし自身がどうなるかは、ある程度覚悟してる。でも……、わたしのやったことであの人達がどうなるかだなんて、今はまだ向き合いたくないの」
力強いけれど弱々しい、矛盾した声音だった。
先のことなど考えたくない、だなんて。
それを聞いた瞬間、チトセは己の中でなにかがぐつりと沸くのを自覚した。
「バッカじゃない?」
「ち、チトセさんっ!」
冷たく吐き捨てたチトセの肩を、キッカが宥めるように揺する。それでも一度開いた口は止まらない。
「なに甘ったれたこと言ってんのよ、あんたらしくない。あんたがやるって決めたんでしょ? 今自分で言ったんじゃない、後悔してないって。だったら最後の最後で逃げんじゃないわよ。なにが考えたくないだ、ふざけんな!」
「はぁ!? ちょっと! なんであんたにそこまで言われなきゃなんないのよっ!」
「友達だからに決まってんでしょうが! 友達じゃなかったらここまで心配しないわよ。あたしもキッカ三曹も! こんな大きなこと、巻き込まれたくなくてトンズラするに決まってんでしょうが!」
強くて弱い友人は、肝心なところを分かってくれていない。
昨夜、わんわん声を上げて泣いたマミヤは、ずっと謝っていた。――ねえ、どうして謝るの。
どうしてチトセまで一緒に泣いているのか、きっと彼女は分かっていない。それが少し悔しかった。少し悲しかった。
キッカに「友達」だと言われて驚きと喜びで息を詰めるくらいなら、彼女よりもずっと傍にいたチトセはどうなる。
こんなにもあんたのこと考えてるのに。こんなにも心配してるのに。――こんなにも、好きなのに。ちゃんと分かってるのかと、胸倉を掴んで問いただしてやりたい。
突然横っ面を張られたかのように目を瞠って言葉を失うマミヤに、チトセは怒りで震える指先を突き付けた。
「難しいことは分かんないわよ、分かんないけど! でも、あんたがらしくない顔して落ち込んでんのはムカつくの! あんた、“お姫様”なんでしょ!? だったらもう、開き直ってその権力使いまくったらいいじゃない! 好きな未来作りなさいよ、助けたい人みんな助けたらいいじゃない!」
「……チトセぇ」
「なに!?」
「あんた、ほんっとに馬鹿だったのねぇ……」
「はぁ!?」
どこか感心したように呟くマミヤに、怒りの種類が塗り替えられる。馬鹿ってなんだ、馬鹿って。自分の頭の造りが上等でないことは自覚しているが、こんな状況で噛み締めるように言われることでもないだろう。キッカがフォローしてくれるかと思ったが、隣で曖昧な笑みを浮かべるだけで彼女はなにも言ってくれなかった。どうやら否定しきれないでいるらしい。
自覚している分吠えるに吠えれず、チトセはやりきれなさを拳に込めてテーブルに叩きつけた。衝撃でカップが跳ね、僅かに中身が零れる。
普通の女子なら怯えてしまいそうなその勢いなのに、マミヤもキッカもピクリともしない辺りさすがは軍人というべきだろうか。
「まったく。そう簡単に言ってくれるけど、お姫様ってなんでもできるわけじゃないんだからね。……あーあ、ソウヤ一尉とヒュウガ隊、纏めて王家で面倒見きれるかしらぁ」
くすくす笑って軽口を叩くマミヤに、もうあんな不釣り合いな自嘲の笑みは見えてこない。いつも通りのマミヤだ。
なにがどう影響したのかさっぱり分からないが、靄が晴れたような笑みは見ていて気持ちがよかった。
いくらチトセでもさすがに冗談だとは分かっているが、それでも本当にそうなればいいとも思う。ソウヤとヒュウガ隊がこのまま消えてしまうのは、あまりにも惜しい。軍に残れずとも、せめて王族専用機関に移って空を飛んでくれたら。彼らから翼を取り上げることだけは、どうか。
そう願うチトセの傍らで、キッカが小さく笑った。
「そうだね。でも、ヒュウガ隊は大丈夫だと思うよ?」
「え?」
「ソウヤ一尉達が無断空渡したとき、イセ艦長にご連絡したらそれっぽいこと言ってたから。あ、もちろん詳しい話は聞いてないんだけど、ヒュウガ艦長も動かれてるのに、ソウヤ一尉のことだけ心配するっていうのもなんだかイセ艦長らしくないなぁって思って。だとしたら、ヒュウガ隊にはなんらかの“救済処置”が施されてるんじゃないかなぁ……」
なんの気なしにそう言ってのけたキッカだが、マミヤもチトセも舌が仕事を放棄するほどに唖然としていた。マミヤからあらかた事情を聞いていたチトセとは違って、彼女はほとんど情報を持たないはずだ。「緑のゆりかご」計画についても知らないはずだが、いったいどこまで情報を握っているのだろう。
そもそも、ソウヤとイセ隊の発艦をどうやって知り得たのだろうか。素朴な雰囲気の女性は、誰かを出し抜くといった技術は持ち得ないように見える。
問うてみれば、ぼんやりとだが大まかな概要を知っていて驚いた。一介の広報官が掴める情報ではないはずだが、彼女は持ち前の社交性と独自の情報網から得た欠片を組み立てて真実へと近づいたのだろう。
きょとんと見つめてくる様子はのんびりとした人懐っこい小動物を思わせるのに、その洞察力たるや侮れそうにもない。
「……キッカさんって、案外大物なのかもしれませんねぇ」
そんな呟きに慌てるキッカに、マミヤは「緑のゆりかご」計画について語って聞かせた。
イセに情報を流したことで、キッカもこの一件に大きく関わってしまったことになる。なにも知らないよりは――、という考えに至ったらしい。
話を聞くうちに、キッカの表情はどんどんと曇っていった。ナガトやアカギを人身御供とする作戦を聞いた瞬間など、日頃柔らかい表情が一変して怒りを覗かせたほどだ。