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かつて欠片は夢を見た *24
――守れよ、アカギ。
祖父はアカギにとって、とびきりのヒーローだった。強くてかっこいい、正義の味方だった。
別れ際、ヒーローだった祖父は、緑を守れとアカギに言った。皺だらけの手はそれでいて力強く、なによりも頼もしかったことを、今でもはっきりと覚えている。
空を飛び、緑を守る。幼い子どもがそれに純粋な憧れを抱くのも、そう不思議なことではなかった。
両親は頑なに反対したけれど、アカギは彼らの言葉には耳を貸さず、反対を押し切って緑防大へと入学した。その頃にはもう「正義の味方」なんて浮ついたことを口にはしなくなっていたし、そんなものにはなれるはずもないと気づいていた。
自分達は子どもが夢見るようなものから最も遠い存在なのだと、そう思ってすらいたのに。
『アカギさんは、私のヒーローなんです』
あれだけ両親が反対した理由が、ここまできてやっと理解できたような気がする。危険の渦中に自ら飛び込んでいく姿を見るのは、この上なく心臓に悪い。
怯えてばかりのか弱い少女はうさぎのように目を赤くして、アカギがかつて夢見たものを呼び覚ます。
――なにがヒーローだ。お前の方が、よっぽど強い。
* * *
「嘘、マミヤさん、どうして、こんな……」
「キッカ三曹……。あたしも信じられないけど、これが現実なんです」
部屋に入るなり崩れ落ちたキッカは髪を乱して肩で息をしながら、ラグの上に横たわるマミヤを呆然と見つめていた。その姿を直視することができず、チトセは歯噛みしながらついと視線を逸らす。
全力で走ってきたのだろう。キッカはその細い首筋に、じんわりと汗を滲ませていた。
「――嘘でしょう!? なんでマミヤさん、この状況でこんなに寛いでるの!?」
悲鳴のように叫んだキッカに、チトセは耐え切れず頭を抱えた。
ベッドではなく床に寝転び、二つ折りにしたクッションを枕代わりにしていたマミヤが、クッキーを片手にひらひらと手を振って応える。深緑の目はテレビに釘付けで、ほんの一瞬キッカを見ただけだ。ちょうど今、再放送のドラマのクライマックスが流れている。
「お久しぶりです、キッカさーん」けらけらと笑う声が、チトセの頭痛をさらに強めていった。
昨晩はあんなに泣いていたくせに、起きてみればそんな事実はなかったと言わんばかりにけろりとしていて、チトセが仕事に出る頃には「ねえ、帰りに映画借りてきて〜」などと注文を付ける余裕っぷりだ。戻ってきてみれば、すっかりオフモードのマミヤがテレビを見ながらごろごろと寛いでいたのである。
部屋の外には物々しい雰囲気でボディガードとやらが待機しているが、そんな彼らにこの光景を見せてやりたい。あんたらが守ってるお姫様はこんなんだぞと、声高らかに言ってやりたい。
キッカが脱力するのも無理はなかった。チトセは気を抜けば零れそうになる溜息を理性で飲み込み、キッカにクッションを勧めてコーヒーを淹れた。呆れたような怒ったようなとても複雑な顔で、キッカはドラマに夢中のマミヤを眺めている。
キッカが来たときの騒々しさは、彼女がどれほどマミヤを心配しているのかを如実に語っていた。
突然部屋の外がざわついたかと思えば、扉のすぐ前でボディガードの男達と誰かが言い争う声が聞こえてきたのだ。なにかあったのかとそっと扉を開いたチトセの目に飛び込んできたのは必死に「マミヤさんは無事なんですか!?」と男に食らいつくキッカの姿で、ぽかんと立ち尽くすチトセをよそに、マミヤは「その人は大丈夫よぉー」と間延びした声を投げたのだった。――無論、ドラマを見たまま。
そうして今に至るのだが、あれほど心配してくれたキッカに対してこの態度はどうだ。いたたまれない気持ちになって、チトセはマグカップを運ぶついでにマミヤの尻を踏みつけた。
「いったぁ! ちょっとぉ、なにするのよぅ! お尻の形が崩れたらどうしてくれるの!?」
「うるっさい! あんたね、キッカ三曹が来てんのにその態度はなによ! 三曹よ、三曹! あたし達より階級上なの、先輩なの! 弁えなさいよ!」
「あーら、いいじゃない別に。だってキッカさん、前から気を使わないでいいって言ってくださってたし」
「そういう問題じゃないでしょ!?」
リモコンを奪い取って強制的にテレビの電源を落とせば、マミヤは頬を膨らませながらやっと起き上がった。ずっとごろごろしていたせいで、綺麗な髪が一部ぴょんと跳ねている。
拗ねたように唇を突き出す様は、お姫様どころか軍人にすら見えない。せいぜい、ただのいじけた女子大生といったところだろう。
そんなマミヤを見て、キッカは苦笑しつつコーヒーに口をつけた。
「いいよ、別に。だってマミヤさん、お友達だし」
ほんの一瞬だ。
「あ、ねえ、クッキーももらっていい?」テーブルの上の菓子に手を伸ばしかけていたキッカは、きっと気づいていない。ほんの一瞬、マミヤの目がビー玉のように丸くなったことに。
事実、彼女の言ったように、キッカとマミヤの関係は先輩後輩や上官下官といった関係よりも、友人と呼ぶ方が近かった。キッカはしょっちゅうマミヤに恋愛相談に来ていたし、マミヤも自分からキッカを食事に誘うこともあった。
素朴な笑みを浮かべるキッカに邪気はない。純粋に、心からマミヤを「お友達」と言ったのだろう。
マミヤの細部まで整った血色のいい唇が、小さく息を吐いてから笑みを形作った。見れば見るほど綺麗な顔だ。見慣れているチトセですらそう思う。
「でもキッカさん、わたし、“お姫様”ですよ?」
「へ? それがどうし、って、ああっ! そう、そうだ、その話! マミヤさんほんとに緑姫なの!?」
「ええ、一応」
「ほんとだったんだ……。うー、じゃあ、これからどうするつもりなのかな……?」
しゅんとしたキッカが、不安げに眉を下げて問うた。綺麗なボブカットの髪が動きに合わせて揺れる。そこから覗く首は、あれだけ重いカメラがぶら下がっているとは思えないほど細かった。