1 [ 109/184 ]
白き欠片を焼き尽くせ *20
揺れる、揺れる、白い欠片。
ゆらゆら、揺れる、緑のゆりかご。
――ゆらり揺られて眠るのは、だあれ?
独特の空気が辺りを満たしている。
ソウヤ達に案内されて初めて足を踏み入れた王族専用艦の内部は、日頃自分達が乗っている空渡艦とは雰囲気が大きく異なっていた。必要な設備、計器類は大差ないが、なんといっても空間が広く感じる。本来擦れ違うのもやっとのはずの通路は、この艦の中ではゆったりと余裕をもって通行できた。
金のプレートが提げられたブリーフィングルームまで案内されたところで、ナガトは懐かしい声を聞いた。中から檄を飛ばしている少し枯れた声に、今まで何度となくどやされた。懐かしいといっても、ほんの数ヶ月聞いていなかっただけの声だ。それなのにこうも染み入ってくる。
足を止めたナガトを訝って、奏が心配そうに見上げてきた。艦に入ると同時に降ろせとごねられたので仕方なく抱いて進むことは諦めたが、それでも手は握ったまま離していない。ここで離せば、糸の切れた風船のようにどこかへ行ってしまう気がしたからだ。
立ち止まったナガトの背を、ソウヤが軽く叩く。言葉なく早く行けと促され、ナガトは意を決して自分の手で扉を開けた。
「いいか、なんとしてでも座標特定しろ! 敵さんはこれからわんさか湧いてくる、休んでる暇はねぇぞ! 勝手が違うからってしくじったらタダじゃおかねぇからな!」
吠える姿に、不覚にも目の奥が熱くなった。厳しい視線がこちらに流れ、そしてほんの一瞬だけ丸くなったのを、ナガトは見逃さなかった。
「艦長、」
「このクソガキがぁっ!!」
お久しぶりです。そう声をかけようと思ったのに、気がつけばナガトは腹に強い衝撃を受けて床を転がっていた。つかつかと歩み寄ってきたヒュウガの逞しい拳を腹に受けたのだと自覚したのは、凄まじい痛みが腹部から背中に駆け抜けたときだ。嘘のように呼吸が止まり、込み上げてくる吐き気をなんとか抑え込む。椅子にしたたかにぶつけた頭までもがずきずきと痛んでいる。
直前で手を離しておいてよかった。顔色を変えた奏が駆け寄りそうになるのを、スズヤが笑って制している。
しんと静まり返ったブリーフィングルームの中で、ヒュウガの足音だけがやたらと大きく聞こえた。――大きいなぁ。座り込んだまま見上げるヒュウガは、塔のようにそびえ立っている。
これでもかと鋭く尖った視線が降ってくる。ナガトの両足を跨ぎ、覆い被さるように身を屈めたヒュウガは、ぐっときつくナガトの胸倉を掴み上げた。上体が僅かに浮くと同時、首が締まって息苦しい。喘ぐような呼吸に交えて苦しさを訴えたが、手は微塵も緩まなかった。
「久しぶりだな、クソガキ。――特殊飛行部の人間にとって、最も大切なことはなんだ」
「え、ええと……、確かな技術と、冷静な判断力、ですか……?」
鬼のようないかつい顔が鼻先まで迫る。今のナガトには、たとえ逆立ちしたって真似できない迫力だ。刻まれた皺の一つ一つに、彼の生きた証がある。今のままでは届くわけがない。
そのまま射殺されるのではないかと思うほどきつく睨みつけられたあと、一瞬で呼吸が詰まった。今度は痛みなどない。痛みはないが、ただ、息苦しかった。肺が圧迫される。骨が軋む。潰されそうなほど強い力に、このまま一生呼吸が止まるかと思った。
「“必ず生きて帰ること”だ、馬鹿たれ」
きつく掻き抱かれ、耳元でヒュウガが零した安堵の息を聞いたナガトは、なんとも言えない気持ちになって目を泳がせた。誰もが自分達を見ていて、案の定、意地悪な上官二人はにやにやと笑みを浮かべている。まるで迷子の末に見つかった小さな子供にでもなったかのようで、少し気恥ずかしい。それを訴えるようにヒュウガの背を叩いてみたが、彼はびくともしなかった。
――あのプレートに、必ず生きて帰る。
ああ、そうだ。その通りだ。
それからたっぷりナガトを抱き締めたヒュウガは、離れ際に軽く頭を平手で打っていった。軽くといっても鍛え抜かれた軍人の「軽く」だ。脳が僅かに揺れるほどの衝撃はある。
スズヤやソウヤ、奏の顔は気恥ずかしくて見ることができず、軽く唇を噛んで俯くはめになった。しかしいつまでもそうはしていられない。促されるまま椅子に腰を下ろしたところで、自分のことばかりに囚われていた頭が瞬時に切り替わる。
ふかふかと異様に座り心地のいいこの椅子に座ることができる理由は、いったいなんだというのだろう。
「あのっ、艦長! この艦ってなんなんですか? それに、向こうでなにが起きてるんですか!? 今まで連絡がつかなかったのだって、なにかあるからですよね。こんな、急に感染拡大して、いったいなにが……、それにアカギ達がっ!」
「落ち着け、ナガト。順番に説明してやるから。――ソウヤ、任せた」
「俺ですか? 普通、直属の部下にさせませんか、こういう説明」
「お前の方がスズヤより詳しいだろーが。それに、クソガキ様はお前が来た理由も知りたいんだろうよ」
その通りだった。ヒュウガ隊の人間だけならばいざ知らず、イセ隊の主力であるソウヤがたった一人ここに混ざっていることは奇妙以外の何物でもない。考えれば考えるほど分からなくなりそうなので、ソウヤ本人の口から説明してもらえるのならこれ以上ありがたいことはない。
青い瞳がナガトを捉える。彼は深く椅子に座り直してから胸元を探るような素振りを見せたが、結局なにも取り出さなかった。艦内が禁煙であることを思い出したのだろう。
急に大勢の見知らぬ人間に囲まれて緊張している様子の奏に、ナガトは無意識に手を伸ばしていた。机の下でそっと手を握る。小さな手は最初こそ逃げようとしたものの、すぐに大人しくなって指先だけを握り返してきた。そのいじましさにたまらなくなる。それを知ってか知らずか、絶妙なタイミングでソウヤが溜息を吐いた。