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 制服のままヴェルデ基地隊員御用達の総合病院に見舞いに来たチトセは、受付でケーキの箱を片手に押し問答を繰り返していた。時間にしておよそ三十分のやり取りの間、分かったことはたった一つだ。反対に、分からないことは山ほど増えた。
 「訳の分からないことを」と言いたげな受付の職員とは最終的に不倶戴天の敵を思わせるような険悪な別れ方をしたが、それほど理解しがたい出来事だったのだと、誰とはなしに言い訳をする。ここにチトセの憧れる上官がいれば、すかさず拳骨を落とされていたことだろう。
 それとも「あの子」が関わる出来事だから、自分以上に慌てふためくのだろうか。
 どちらにせよ、訳が分からない。
 ケーキをヴェルデ基地に持ち帰ったチトセは、女子隊舎の廊下をぼんやりと歩いていた。部屋に帰ったところで、このケーキを分け合える人物はいない。同室のマミヤは急に体調を崩して入院中だ。そもそも、その見舞いのために買ったケーキだった。
 ろくに前を見ずに歩いていたせいで、誰かと肩がぶつかった。反射的に深く腰を折って謝れば、頭上から慌てた声が降ってくる。

「いやいやっ、軽くぶつかっただけだし、気にしないで! この子も無事だし、私はぜんっぜん平気だから! ね!」

 首から重たげなカメラを提げた女性隊員――広報官のキッカ三曹はカメラを見せたあと、自分の肩を大きく回して微笑んだ。かと思えば、目ざとくケーキの箱を見つけ、「ケーキ?」と首を傾げている。
 年上かつ階級も上の存在ではあったが、彼女はマミヤと仲が良く、加えて親しみやすい性格からチトセとも交流があった。

「食べますか?」
「えっ、いいの? ――あ、でもそれ、マミヤさんのお見舞い用じゃ……?」
「あー……、そのつもりだったんですけど……」

 歯切れの悪さに、ケーキにつられて輝いていたキッカの表情が曇った。彼女はファインダー越しとはいえ、ある種の人を見るプロだ。細かな変化も見逃さないのだろう。「どうしたの」三曹の口ぶりで、キッカが問う。
 チトセは曖昧に頷き、周囲の目を気にしてキッカを自室へと案内した。普段ならマミヤが座っているクッションをキッカに勧め、とりあえずケーキを出す。当然どちらとも手をつけず、しばらく沈黙が部屋を満たした。

「……チトセさん、病院行ってきたんだよね? マミヤさん、その、……そんなに悪いの?」

 どうやらキッカは、チトセの浮かない顔をマミヤの不調と捉えたらしい。懸命に励まそうとしてくれる上官に、チトセは慌てて首を振って否定した。だが、「元気です」とは言いきれない。

「や、あの、違うんです。病院には行きました。行きましたけど、……でも、いなかったんです」
「え? 会えなかったってこと?」
「まあ、そうなんですけど……。よく分からないんですけど、なんか、そもそも入院してないって……」

 さすがにキッカが眉根を寄せた。

「受付の人が言うには、ヴェルデ基地からの緊急搬送なんかなかったって。でもその人、聞いたら一週間前に入ったばっかの新人だって言うんですよ。だからよく事情とか知らないだろうし、他の職員に変われって言ったのに、記録にないから間違いないとか言い張って、ほんっと腹立つあの石頭!」

 ぎゃんぎゃんと三十分押し問答を繰り広げていたことを思い出し、怒りが再燃する。
 入ったばかりの新人には分からないこともあるだろうからと、こちらは丁重に「他の方をお願いします」と言ったのだ。だのにあの女は「記録にありませんから、ありえません」との一点張りだ。

「こちとらあっちこっちに話聞いて、部屋番号まで教えてもらって、その上ちゃーんと外出届に『マミヤ士長の見舞い』って書いてきたっつのに! なのに『そんな記録はない』っておかしいと思いません!?」
「え、ちょっと待って、でも、マミヤさんはいなかったんだよね……?」
「そうなんですけど、それもなんかおかしくて」
「おかしいって?」
「見かねたおばさん職員が出てきて、代わりに話聞いてくれたんですよ。事情話したら、その人『当院ではベッドに空きがなかったので、別の病院に移っていただきました』って」

 またしてもキッカの眉が顰められる。ヴェルデ基地隊員御用達のヴェルデ総合病院は、この近辺では最も大きな病院だ。当然患者数も多いが、ヴェルデ基地の隊員のために確保されている病室が存在する。そしてその空き具合は、毎朝ヴェルデ基地に報告が下りてくる決まりだった。医務室のボードにはそれが表示されている。
 御用達とはいえ、ヴェルデ基地では基地内にも病院を構えている上に、資格を持った医者もいる。検査及び長期入院が必要な隊員はヴェルデ総合病院へ向かうが、大半は基地内の病院で十分事足りる。
 つまり、ベッドに空きがない事態は極めて稀だ。

「どこの病院かって聞いたら、シックザールの大学病院だって」
「シックザール? わざわざ?」
「なんかおかしくないですか? いくらヴェルデ基地が首都に近いからって、そっちに緊急搬送の患者回します? この辺りにだって探せばいくらでもあるのに」

 違和感はそれだけではない。

「変だと思って、その病院にも確認取ってみたんですよ。そしたら、『すでに退院なさいました』とか言われて」
「はい……?」
「迎えが来たって。だから退院したって。でも、だったらあいつ、どこにいるんだって話でしょう? 上に確認しようにも忙しくてそれどころじゃないって言われるし、訳わっかんないっての!」

 怒りに任せてモンブランにフォークを突き立てれば、難しい顔をしたキッカが脇に置いていたカメラを操作し始めた。
 マミヤもお気に入りのケーキ店で買ったモンブランは思った通りの味がして、チトセの怒りもほんの僅かに大人しくなる。
 むしゃむしゃとケーキを貪るチトセとは裏腹に、キッカは口を貝のように閉ざしてカメラの操作を続け、食い入るように液晶モニターを見つめていた。「あの……」彼女にしては珍しい、硬い声が零れ落ちる。

「……チトセさん、ちょっとこれを見てくれるかな」
「へ? なんですか、これ」

 映し出されていたのは、別段変わったところのないヴェルデ基地の風景だ。外から撮ったのだろう。青空に淡い緑色の外壁が映えている。その映像が、徐々に拡大されていく。画像が荒くなるほどまで拡大されたそれは、建物の影に映り込んだ人の姿のようにも見えた。


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