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 ナガト達は、ちゃんと高校に辿り着いたのだ。穂香を助けるために、彼らは向かってくれた。あれからもう随分と時間が経つ。それどころではないのかもしれないが、何度鳴らしても相手が出ないのは不安しか煽らない。
 一言でいい。たった一言でいいから、聞かせてほしい。無事でいてくれることさえ分かれば、それでいいから。
 祈るようにリダイヤルして、もう一度耳に押し当てる。途方もなく長く感じたコール音が、ようやっとふつりと途切れた。

「あっ、ナガト!? 大丈夫なん!? ほのは!?」
『――っと、落ち着いて、奏! ほのちゃんなら無事に助けたから。ほら、声聞こえる? ――ほのちゃん、なにか喋って』

 穂香の震えた声が聞こえてきて、奏は膝の力が抜けるのを自覚した。胸に痞えていた大きな塊が少しずつ砕けていく。
 よかった。安堵が押し寄せてじわりと眦に涙が浮かんだのもつかの間、電話口の向こうでなにかが大きく軋む音が聞こえてきた。アカギの舌打ちと穂香の悲鳴が重なる。
 どくりと跳ねる心臓に、ナガトの声が突き刺さる。

「どうしたん!?」

『オイっ! なんだよこれ、どうなってる!?』
『くっそ、絡みつかれた!』
『はぁ!? 今の今まで反応なかったんじゃないのかよ!? アカギっ、そっちのレバー引けっ!!』

「なあ、どうしたんよ!」

『言われなくても分かってンだよ!』

 みしみしと軋む音、聞き覚えのある不快な警告音。
 焦りを帯びた二人の声に、怯えきった穂香の悲鳴。――なにが起きているのだろう。もつれる舌が言葉を取りこぼし、なにを言えばいいのか分からなくなった。駅に電車が滑り込んでくる。注意を促すアナウンスが、すぐそこのはずなのに遠くに聞こえた。
 どうしたんよ、なあ。なんとか言葉になっていたらしいそれに、雑音混じりに答えが返ってくる。

『囲まれた! 奏、今どこにいる!?』
「え、が、学校の近く。ほのの……」
『さっさと室長さんとこ逃げろ! ――ああくっそ、なんだよこれ!』
「ナガト!? なあ、どうしたん!? あんたらどこにおるんよ!」
『いいから、とにかくきみは室長さんとこ行って! その高校じゃ集団感染が起きてる! 元凶の核は破壊したけど、感染者がうじゃうじゃいるから今すぐその場から離れろ、いいね!?』

 絡みつかれた。囲まれた。その言葉から想像するに、事態は深刻に違いない。
 どうしよう。どうすればいい。足が竦み、頭が上手く回らない。汗ばかりが滲み、下手くそになった呼吸が脳に酸素の供給を遅らせる。小学生でももっと上手く深呼吸できるだろう。
 判断力を鈍らせるのは、冷静さを欠いているからだ。分かっていても落ち着けない。震える手を反対の手でぐっと押さえ、携帯を耳に強く押し付けた。
 小さな機械の向こう側で、ミーティアの元へ急げとナガトが叫ぶように言っている。

『無線がやられた、室長さんに応援回してって伝えて! 座標は信号出すからそれで特定し、』
「……そうやん」
『え? なに? なんて!?』

 雑音がずっと邪魔をしている。
 けれど、奏の頭の中は霧が晴れるように拓けていった。

「艦の周りになんか悪いのがおんねやろ? やったら、あたしがそっちに行ったら、そいつら引き寄せられるんちゃうん?」
『――は!?』

 そうだ、名案だ。
 ミーティアとハインケルによって処方された薬を飲んでいるこの身体は、感染者や白の植物を引き寄せやすい。無論、ナガト達がいないときに引き寄せては困るため、誘発剤となる薬を飲んで初めてその能力が発揮される。
 だとすれば。彼らのもとへ自分が行けば、今起きているトラブルから解放することができるのではないだろうか。
 常にポケットに携帯しているピルケースを、服の上から握り込む。

『おまっ、なに言ってるの!? バカなこと言ってないで、早く逃げろ!』
「逃げろったってどこも安全な場所なんてないやん! ミーティアには連絡する! でもあの人らは、どうせ高校の方なんとかすんのに手一杯やろ!? やったらあたしが行った方が早い!」
『バカか!! ちょっと待て奏、今はお前の冗談に付き合ってる暇、』
「冗談なわけないやろアホ! とにかく行くから! ほののことは任せたで!」
『あ、オイ! このバカっ、』

 最後まで聞かず、力任せに通話を切った。
 心臓がうるさい。
 アドレナリンが過剰に分泌されているのだろう。人混みを避けて駆け抜ける足は、いつも以上の速さを持っているような気がした。冷たい風が頬を叩く。煽られた髪が唇に貼りついても、奏は構うことなく走り続けた。
 ミーティアは数コールで出てくれた。事情を説明すると、呆れたとはっきり言葉にされ、盛大な溜息を吐かれた。「馬鹿でしょう、アナタ」そんなことは言われずとも分かっている。彼女には散々馬鹿にされたけれど、それでも早急にナガト達の艦の座標を特定してくれた。
 すぐさま携帯に送られてきた地図を確認し、その場所にひた走る。
 街路樹の葉が白く染まっているのが見えた。どこかから人々の悲鳴が聞こえてくる。

 ――日常が壊れる音が、あちこちで鳴っている。

 いつの間にか、白はここまで迫ってきていたのだ。すべてを染め変える無情な白。無垢の象徴であるはずのその色が、悲しみと絶望を引き起こす。
 どうしてこんなにも必死に走っているのか、自分でも分からない。穂香のため? 確かにそうだ。そうだけれど。
 ひゅうひゅうと音を立てる気管が、もうすでに悲鳴を上げ始めている。止まれば、その瞬間に膝は砕けてしまうことだろう。それでも奏は走ることをやめられなかった。
 夢見たことがある。真っ白なウエディングドレス。色とりどりの花のブーケ。きっとその白は、なによりも美しいのだろう。

「でもっ、こんなんちゃうやろ……!」

 それが幸せを奪うというのなら、たとえ何色であろうと許せはしない。


【15話*end】

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