どこからきましたか。三










(♂夢/忍卵/五年)



諦めよう。
腹を括ろう。
もうどうにでもなれ。

そう覚悟を決めて出てきたのに、こいつらは一緒に出かけてる意味あるのか疑問が湧くくらい俺に話し掛けなかった。空振りした覚悟に拍子抜けしてしまったが、まあいいかと気楽に考えた。



思ったとおり日和りがよく、空は清々しい天気だった。遠いところに来たような懐かしさが心に染みたが、やっぱり忘れているものは思い出せない。




夢の中にいるようにこの世界で目を覚ました。なのに寝ても覚めても俺は夢心地のここにいる。これが本当に夢ならば、俺はいつか夢から覚めたようにここを忘れ、本来いるべきところに帰れるのか。それともこれが現実ならば、俺の過去はどこへ行って、残されてるはずの今の俺はどこから来たんだろう。



「………ふぁ」


やめよう。



とはいっても他に何も知りえない俺は、何かを思考するときはこのことしか出てこないのだが。無知というのはやるせないもんだ。
とにかく何かを期待したり想定したりっていうのはしないほうがいい。するならば最悪の想像をするのが一番だ。


それにしても夢のことはできるだけ考えないほうがいいな。寝たくなる。もしかしたら何か変わったりするんじゃないかって………ああまた考えはじめるし。


「○、眠いのか?」

「えっ…?」


しまった油断した。
不意を突かれて驚いたが、日常会話だ。構える必要なかった。
さっきまで勘右衛門と話していた兵助はわざわざ俺の隣まで来てくれていた。最後尾の俺の欠伸に気付くなんて、兵助って集中力すごいな。

「や、眠いわけじゃない」

そうか…と、兵助はどことなく納得していない表情で答えた。
………感付かれてるかな。兵助も優秀みたいだし、たぶんこの中で俺が一番仲良くしてたのって兵助っぽいし。

とにかく俺はやり過ごすことだけを考えていた。
俺の中には、誰かに対する気遣いも、他人の気持ちを汲み取る余裕もなかった。
だから兵助のその表情にも気付かないふりをした。














うどん屋は人気の店らしく、たどり着いた昼時には満席で俺たちは少々並んだ。


「○のせいで昼前まで間に合わなかったんだから、お前のお揚げは私がもらう」

「(お揚げ…)狐かお前は」


双子の俺を叩き起こしたほう(三郎というらしい。道中喋っているのを盗み聞いて全員の名前を把握した)が、俺に向かって堂々と言い宣った。普通に喋る分には彼らにとって違和感はないらしいので、話し掛けられたら余計なことを言わずに当たり障りなく応えた。
別にお揚げなんて特別好きという覚えもないので、「いいよやるよ。お揚げでもワカメでも好きなだけ持ってけ」と返したら、「お前のリアクションはつまらない!」と理不尽な返答をされた。イラッときたので三郎の耳にフッと息を吹いた。

「に"ゃあ"!」

………今度は猫か。
耳を押さえ距離を取る三郎。恨めしそうに睨んでくる三郎に勝ち誇った笑みを見せてやった。そしてふと、このやり取りになんとなく懐かしさを感じた。





賑わっている店内に入れたのはそれから程なくしてだ。客の回転率は速く、俺たちより前に入っていた客は笑顔で次々に退店していった。それを見てたら、旨い飯は人の機嫌を良くものなんだなと思った。長机に三人ずつ横に並び、六人向かい合って食べた。向かいには左から雷蔵、三郎、八左ヱ門。こちら側は雷蔵の向かいには兵助が座り、俺、勘右衛門の順。俺は端に座りたかったのに、既に奥の端に兵助が腰掛けてしまって、勘右衛門も俺を真ん中に座るように促した。席順ごときで揉めて目立ちたくなかったこともあり、大人しく勘右衛門の言うとおり真ん中に座った。
端に座りたかったのはもちろん、できるだけ会話を避けたかったからだ。



この店は昼の定食でうどんの他に小丼と小鉢と新香が付くらしく、食べ盛りの俺たちは全員それにした。注文してまもなく品は運ばれてきた。



「うまい」

「並ぶのわかるなぁこれ」

「でも何でうどんと米なんだ?どっちも炭水化物じゃないか」

「でもこの丼のタレうまいなー」

「○お揚げ頂戴」

「ん」


小丼の具は肉野菜炒めのようなもの。肉は賽子型でタレが濃い。三郎、むしろうどんごとやるから丼くれ。………いや言わなかったけど。小鉢は豆腐。味が濃い丼に対してさっぱりしたものを選んだのか、豆腐は完全に丼に負けていた。
兵助が豆腐だけを残して完食し、箸を揃えて茶を啜った。それを見て俺は昨日の食事風景を思い出した。彼は米粒一つ残さずきれいに食べていたのにと思い、口を開いた。


「兵助、豆腐食べないのか?」

「………え」


全員がぎょっとした目を俺に向けた。それに俺もひどく驚いた。だって、学園では「お残しは許しまへんで」って言われて、守ってるじゃないか。もしかして、兵助って聞く迄もなく豆腐嫌いだったのか…?

訳が分からないまま俺は硬直して、誰かが何かを言うのを待った。我に返った八左ヱ門が「兵助に限ってそれはありえないだろー」と笑いながら言った。それをきっかけに、その場の緊張が解けた。俺の素朴な疑問は冗談となり、みんなの中で笑い話となった。
兵助が改めて箸を持ち、至極幸せそうに豆腐を噛み締めているのを見て、初めて俺は口を滑らせたのだと気付いた。兵助にとってはうどんも丼も前菜で、主食は豆腐だったのだ。
これは、彼らの中で常識だったのだろう。………やってしまった。



その後俺の腹は満たされず、濃いくらいの味付けの丼も味を感じられなくなった。

出掛けの覚悟は既に過去のものとして昇華していた。












その後は何事もなく過ごすことができた。会話するたびに神経を張り詰めていたが、その甲斐はあった。あの不注意な豆腐発言の後、俺は周囲の空気を凍らせることはなかった。
陽が景色を橙に染める頃に俺たちはようやく帰路に着いた。うどん食って豆腐屋に寄り道してぶらぶらしただけなのにすごく疲れた。もう学園以外で誰かといたくない。寝たい。


「聞いてるか○!」

「ぅおっ!?」


なんでこんなに驚く、と自分で思うくらい体がビクッと跳ねた。見ると三郎がすごい間近にいて、俺と目が合うなり呆れた顔で溜息を吐いた。他の奴らを見るとみんな苦笑してる。やべ、ぼーっとしてた。

俺が「わりぃ」と口を開くより、三郎が喋りだすほうが早かった。


「○、今日は随分注意力散漫じゃないか。なんだなんだ、悩みでもあるのか?」

「、え」



や、べ。

三郎の問いはふざけ半分だったが、俺は動揺して動けなかった。覚悟はしていたはずなのに。俺の異変に彼らは気付いて、三郎は気まずい顔になった。


「………○?」



回避。


回避、しなければ。


そのことだけ考えていた。
息が詰まる。
喉が乾いて、ごくりと唾を飲んだ。

なんとかしなければ。





「別に大したことじゃねえよ」





それだけで精一杯だった。
みんなの間を擦り抜けて、逃げるように先に進んだ。
………背中への視線が痛い。


「っ、○!」


兵助の声。
俺は立ち止まって、少し躊躇い、ゆっくりと振り返った。五人とも同じような表情をしている。でも兵助が一番深刻そうだった。
やめろよ。


「俺たちには、言えないことなのか…?
………誰にも」



(言って、どうするんだよ)

そう思ったけど、声には出来なかった。
あんな顔させたくないのに、俺の身に起こっていることは、俺の願いを打ち砕く。
どうすれば、彼らを傷つけずに済む。

やっぱり、話したところで何もいいことは起こらないと俺は察した。



兵助の問い掛けを無視して、俺は彼らを置いて独りで忍術学園に走った。





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