正反対な彼。二









(♂夢/忍卵/黒門伝七)


僕は悪くない、と伝七は思った。
思い出すのは数刻前の学園長の庵掃除の帰り。伝七は暗くなった今でも、以後何度目かの回想をした。



『ぼ、僕……黒門くんが好きなんだ……っ』




「〜っ―――ああっもう!なんなんだ!」

なんであいつは突然あんなこと言ったんだ!





イライラする。伝七は顔を赤くして乱暴に頭を掻いた。うめき声を上げながら机に突っ伏す。同室の左吉はいなかったが、それ以上の見苦しい言動が耐えられなくて、眉間に深い皺を作ることで感情の高ぶりを押し止めた。

好きと言われた。そのことに対してどう思ったのかはよくわからない。だけど好かれることは嬉しいことなのだ。だけど、言ったのはあの●○だ。ろくに話したこともない常に背中を丸めた何を考えてるかわからない彼から突然好きと言われても、「どうもありがとう」と素直に受け止められるわけが無い。
だがそれにしても、伝七は刺々しい返事をしたことがあれからずっと心に引っ掛かっている。何故だか知らないけど、とっさに返した言葉は辛辣なものだった。ひどいことを言ってしまったと思う。


『気持ち悪いなぁっ!お前もう僕に話し掛けるな!』





「うぅー………」

『好き』と言ってくれた者に言う言葉じゃない、とは別れてから気付いた。冷静になれるまで、自分は彼にどんな言葉をかけたのかわからないくらいだった。伝七は後悔から再び呻きを洩らし、ごん、ごん、と額を机にぶつけた。
決してそれは本心で言ったものではないはずだ。本心ならばこれほどまでに悩みはしない。
ただ伝七は驚いたのだ。驚いて言葉を受け止めきれなくて、ついあんな言葉が出てしまったのだ。悪意があったわけじゃない、僕は悪くないと伝七は言い聞かせた。
だけど、だからって●だって悪くないんだ。

○を思い浮べると、伝七は、謝らなきゃ、と思った。強く。絶対に謝らなければと思った。



のに。



翌朝の食堂で○はは組で同じ火薬委員会の伊助と一緒に朝食を摂っていたし、教室では○に話し掛けられる雰囲気じゃないし、挙げ句の果てには抜き打ちテストの答案が返ってきた。

「○は単純ミスが多すぎますねぇ。もうちょっと気合い入れてお勉強するように」

安藤先生のそのコメントで、○がい組の平均点を下げたことがみんなに伝わった。空気に不穏なものが混ざる。安藤先生に消え入りそうな返事をすると○が姿勢の悪い歩き方で席に戻る。それを見ていた伝七の後ろから舌打ちが聞こえてきた。



「また●だよ」

「あいつほんと邪魔だよな」

「足引っ張るなよバカ」



それを聞いて、伝七は急激に不快感が沸き上がった。自分もそういったことを思わなかったことがないわけではない。だが、これから自分が誠心誠意謝ろうと思っている相手への悪口はひどく醜く聞こえた。それがとてもとてもみっともないとわかってしまい、かつて同じようにした自分が恥ずかしくもなった。
○は絶対に聞こえたはずのその罵詈雑言を、いつものように聞こえないふりをして席に座った。
それなのに、上げた視線が伝七と合致するとビクッと跳ね上がった。怯えた目は、耐えられないというようにすぐ俯いた。










たった一言を言いに来ただけなのに、伝七は口をつぐんだまま棒立ちでいた。目の前には戸惑っている○が相変わらずビクビクとしている。目は合わせようとしないで相変わらず俯いたままだ。


教室で○の怯えた目を見て、伝七の罪悪感は爆発した。いっそ自分のこともないもののように平気な顔をしてくれたらこんなこと思わなかったのに。自分にだけ怯えている○を見たら、彼をひどく傷つけてしまったのだと痛いくらいわかってしまった。
また伊助と一緒にいられでもしたら近付けないとは予想がついたので、伝七は夕食前に○の部屋に来た。○は一人部屋だったので好都合だった。

伝七は○を押し退けるように部屋の中に入り戸を閉めた。○は抵抗せずに、というかできずに、部屋の中に押し戻されて、そこでやっと、それとなくだが、前髪の内側から伝七へ視線を向けた。視線から感じる感情は相変わらずで、閉ざされた室内のせいでそれは更に色を濃くしたような気がした。

伝七はきゅっと唇を引き結んでから、口を開いた。


「僕は別に、●のこと嫌いじゃない」


空気が揺れた。だけど伝七の予想に反して雰囲気は好転せず、空間には更に○の混乱が混ざった。少なくとも、嫌いじゃないという言葉で安心してもらえると思ったのに、○は何故だか更に表情を歪めて視線を落とした。
○としては、伝七に嫌われていることは決定事項で、嘘を吐かれているという思い込みで悲しくなっているのだが、それを知らない伝七は焦った。何故こんなに慌てているのか考えるほどの余裕もなかった。

「っ…だからっ、お前が僕を怖がる必要なんてないし!えーと…だから、昨日のあれも」

そこまで言うと、○はビクッと震えた。昨日のことを思い出して涙腺が緩んだ○に一瞬の長い頭痛が襲った。涙が浮かんだ目を見て伝七はなんとかしたくて声を荒げた。

「あーもう!泣くなってば!」

慌てた伝七の語調が強くなり、泣き止ませたくて言った言葉が○を泣かせる引き金となった。ぼろぼろと泣き出す○に、言葉を出せない伝七まで悲しくなり、ついには伝七も泣きだした。

二人でわけもわからず泣いている外で、賑やかな声は食堂へ向かっていく。







数刻が経って、ようやく涙が収まってきた。伝七は目を赤くして目蓋を腫らしている。○もきっと同様だろう。伝七はじとっと○を見た。

「なんで泣くんだよ」

伝七の問いに○はもしかしたらまた少し嗚咽が荒れたが、もう伝七は○が泣こうが喚こうが冷静でいられた。

「だっ、て……黒門くんっ…嫌いじゃないって…ぼ、僕のこと、本当は嫌いなのに…っ」

「違うっ!あぁ、もう…!言葉を素直に受け取れよ!優秀ない組だろ●は!」





「僕は本当に、●のこと嫌いじゃないんだ!」





そこで○は、ようやくまともに伝七を見た。伝七の必死な表情を見て、やっとその言葉を言葉のままストンと受け止めることができた。呆然とこちらを見る○を見て、伝七は気が抜けたようなため息を吐いた。

「やっと信じたか。バカ」

「………うん」

こくりと頷く○を見て、伝七はおおよそ心のしこりが取れた。一緒にいる今、初めて冷静に○を見れるようになった。すると、何故自分が今まで○を避けていたのかわからなくなった。暗いけど、成績悪いけど、バカだけど、全然嫌な奴なんかじゃないのに。


「●、ごめんな」


やけに素直に、謝罪の言葉が出せた。○はそれを聞くと一瞬固まり、目蓋を伏せて口をもごもごとさせた。やがて我慢できなくなったように、その口が弧を描く。柔らかく上がった頬が薄く染まる。いつもの暗い表情からは想像できない自然な優しい笑顔だった。伝七は一瞬目眩をした気がしたが、激しく泣いたからだと思った。

「晩ごはん、一緒に食べよう」

伝七は○の手を取って部屋を出た。導くようにその手を引いて前を歩く。
ぎゅう、と強く手を握りながら、伝七は○に優しくしてあげたいと思った。




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