十傑一話:後






 突如現れた人影に、御者は魔物にでも出会ったかのようにビクと肩を跳ねさせた。服装から察するに御者は商人のようだった。後ろに連れているのが奴隷ならば、奴隷商人と見るのが妥当だ。

「なんだお前は!」

「訊いてんのは俺なんだよ。ここは俺の縄張りだ。知らずに入ってんなら運が悪かったな」

「ふん。お前のような子供一人に何ができる」

 男は勝己の姿を見るといくらか冷静さを取り戻したようだった。体を鍛えているとはいえ、男の言う通り勝己は子供だ。同年代の中では屈強な体つきと言えても決して大柄な体格ではない。

「後ろに乗せてんのは奴隷か。通行料だ。一人置いて行きゃあ見逃してやる」

「生意気な口をきく小僧だ。貴様に売るものなど持っておらんわ」

「この俺がテメェのレベルに合わせて話してやってるうちに、とっとと応じろクソ豚モブが」

 勝己の悪口に商人は手を怒りでブルブルと震わせ、顔を真っ赤にして「用心棒!」と馬車の中に叫んだ。正面からは布がかかって中が見えなかったが、奴隷の他にも同乗者がいるらしい。商人の呼びかけに、布を分けて大柄な男が顔を出した。

「どうした」

 刺青をした大男が一人。その後に路地裏でケチな因縁をつけそうなチンピラが三人続いて馬車から降りてきた。目が細く痩せ形の男に、デブに、バンダナを巻いた長身の男。

 (四…、いや、商人が非戦闘員とは限んねえか)

 男たちが出てきた馬車から音がしないか耳をそばだてながら、五人、と人数を確認する。

「おいガキ。俺たちは暇じゃねえんだ。ちょっかいかける相手は選んだ方がいいぜ」

「知るか。俺は話し合うつもりはねぇんだよ。ここを通りたきゃ女一人置いてとっとと消えろ」

「おい、聞いたか? こいつ女が欲しいんだってよ」

 刺青男がわざとらしい口調でチンピラたちと目を合わせた後、四人は腹を抱えて下品に笑った。刺青男はおかしくてたまらないと言いたげに勝己を見下ろし、自分より弱いものをからかう態度で勝己の頭を軽く押した。

「これはテメェみてぇなガキが扱うような奴隷じゃねえんだよ」

「帰ってママのおっぱいでも吸ってな」

 豪快な笑いが森に響く。この下卑た男たちの態度に、温厚ではない勝己のこめかみで血管がブチリと音を立てて切れた。
 眼前の刺青男に唾を吐きかけた途端、笑い声は止んだ。

「死ね。モブども」

「このガキ……痛い目みなきゃわかんねえみてえだな」

 瞬間、目の前の男が拳を振り上げた。それが勝己に落ちる直前、拳から針山のように幾つものトゲが飛び出る。受ければ大打撃。しかし勝己から見れば、男の動きは鈍臭かった。
 懐に入り、内側から腕を取って爆破する。腕が飛ばないように加減したが、男は怯んで拳からトゲを引っ込めた。その隙に勝己は爆破で自身の体を浮かせ、回転を加えながら男の顔を勢いよく蹴り飛ばした。男の巨体は数歩よろけた末にどしんと尻餅をつき、周りの三人は怖気付いた様子で一歩引く。悲鳴を上げて馬の陰に逃げた姿を見ると、そういうポーズで勝己の油断を狙っているのでなければ、商人は非戦闘員のようだ。

 男は蹴られた顔を手で拭い、手についた鼻血を見ると逆鱗に触れたようだった。激昂し、勝己を睨みながら立ち上がり、身体中からトゲを生やす。

「このガキ舐めやがって!! 生かしちゃおけねえ! 殺せ!!」

 男の声に三人のチンピラもそれぞれ武器や個性を出して勝己に向かってきた。

 相手が複数いる場合、真っ先に潰すべきはリーダーだ。それだけで腰巾着は戦意を喪失する。
 長年戦いの中に身を置いてきた勝己にとって、威圧だけが立派な木偶の坊を地に伏せさせることは容易いことだった。対人用に威力を弱めた攻撃であるにも拘らず、チンピラ三人は一撃で気を失い、刺青男も倒れはしないこそ、愚鈍な攻撃を勝己に当てることができないまま爆破を受け続けるサンドバッグになっていた。爆破のラッシュの果てに膝をつき倒れると、勝己は先ほどのお返しとでも言いたげに大袈裟な態度で男を見下した。

「おいおいおい、ダッセェなあ!! 啖呵切って負けやがった!」

 高々に言うと、刺青男は体を震わせながらも地面に手をついて、尚も食ってかかろうと上半身を起こした。それを認めると勝己は男の目に止まらぬ速さで腰から剣を抜き、手を串刺しにして地面に突き立てた。男の悲鳴が森にこだましたのに反応して、鳥が音を立てて羽ばたいていく。背後の商人と女たちも怯えた声を上げた。

「これでも死なねえ程度に抑えてやってんだぜ。加減しねえとすぐ死にやがるもんなァ」

 ボボボ! と掌で爆破を起こした後、男の目を隠すように顔を掴んだ。ひっと息を飲むと、男は動かず、やがて恐る恐る刺されていない方の手を開いたまま顔の横まで上げる。降参だ。それを見ると勝己は鼻で笑った。

「そりゃ頭ブッ飛ばされたくはねぇよなァ。もういっぺんだけ言ってやるよ。女一人置いてさっさと消えろ雑魚ども。てめぇの首ごと持って行かれたくなかったらな」

「ひいいっ!」

 身を守る盾がなくなった商人は、勝己の刃が己に降りかかる前にと慌てて牢に駆け寄った。懐から鍵を出し、震える手で何度も鍵穴を外した後、ようやくガチャリと解錠して牢を開ける。それと同時に、牢の中の女たちは悲鳴を上げ、まるで肉食獣から逃げるように出来る限り開いたドアから距離を取った。

「な、なら一番上玉を……!」

「きゃあああ!」

 商人は眩しい金色の髪の女の手を引いた。牢の中では最も目立つ金髪碧眼の女で、顔も体も一級品と言える美しさだった。女は今の戦闘で勝己に恐怖して、髪を振り乱しながら泣いて首を振り必死に牢にしがみついていたが、哀れにも女は牢から引き摺り出される。

「誰がテメェに決めろっつった! ああ!? ンなクソアマいらねえわ!!」

 怒鳴りつけると商人は慌てて手を離し、バランスを崩した女は地面に倒れた。今は牢の中が一番安全だと悟った女はすぐさま立ち上がって牢に駆け戻る。
 男の手に刺した剣を抜くと痛々しい叫びが響く。顎を蹴り上げ、仰向けになった男の胸を踏みつけながら剣を牢に向けた。剣にはぬらぬらと血に濡れ、勝己はその切っ先を一人に向けた。

「てめぇだよ。こっち来いや」

 この戦いを見ても、一人だけ表情を変えなかった女。今この瞬間も、完全に勝己と目が合っているのに怯みもしない。肝が座っているのか、心が壊れているのか。しかし選んだのはその心を買ったからではない。

 絡み合う視線の先を睨む。そうしながら記憶を呼んだ。あいつの顔はどんなんだった。目の形は。色は。輪郭は。どんな声だった。考えている間に女は悠々と牢を降り、勝己に頭を下げる。その時初めて女は表情を変えた。

「よろしくお願いいたします。どうぞ可愛がってください」

 頭を上げて見せた朗らかな微笑みは、勝己の頭にバチンと電気を放ち、記憶と今を重ねた。



prev




×