ヒーローは遺伝を信じるか。






(♂夢/英雄学/轟焦凍)




これでも俺は、昔はヒーローになりたかった。

俺は幼いながらに言葉の力を信じていた。嘘でもそれを言い続ければ真実に近付いていく。それは俺の個性柄、そう思う傾向が強かったからかもしれない。

個性、信心。

たとえわかりきった嘘だとしても、俺の言葉を聞いた人は俺の言葉が真実だと信じる。
近所に住んでた医者の息子で全国模試一位のお兄さんに「僕たちと何が違うの?」と問いかければそれを聞いた人達は全国で最も秀才の17歳を凡人だと信じる。
低学年の子供からヒーローフィギュアを取り上げた傲慢な小学生に「そのフィギュア、怒って夜動き出したりしない?」と問いかけると、その小学生は真っ青になってヒーローフィギュアを返した。

嘘はいいことではない。
だけどそれが誰かを助けられる嘘なら許されると思った。俺はそう信じていたし、だからきっとヒーローになっても誰かを助ける事ができると信じていた。
人にとって何が罪で、何が悪で、何が救いで、何を許すかは、俺が決める事じゃないのに、俺は知らなかったんだ。それは全部、国が決めることだ。


人は生まれながらに平等じゃない。
俺は九つで父親を失うまで、そのことを知らなかったんだ。


この個性の名称は宗教団体の幹部だった俺の父親が詐欺で逮捕された後に、「信心」から不名誉に改変させられた。俺の個性は父からまるっとそのまま受け継いでいたから、俺の個性は「欺き」になった。







登校すると、下駄箱の中身が生卵まみれだった。その時点で靴を履き替えることは無理だと悟る。今日中に洗わないと腐って臭うだろうなとも。


敵の子供は敵。

見慣れたレッテルに辟易としながら、飽きもせず、よくもまあ次から次へと嫌がらせの発明をするものだと逆に感心する。

こういった手合いのものは慣れっこだ。九歳の時に父親が逮捕されブタ箱にぶち込まれてから、俺の人生は腫れ物になった。誰も近寄らない。触らない。うんざりする。敵の子供だろうが、ヒーローの子供だろうが、どちらにも感情はあるし、こんなことをしてる奴らの方が心に欠陥があるんじゃないかと主張したい。だけど奴らはわかってるんだろう。俺が何も言い返さないし、やり返さないことを。自分たちが安全圏だとわかっていなければ人の足を引っ掛けるなんてことはしない。弱いものいじめなんて卑怯者しかやらないことだ。

少なくとも俺は嫌いな人間から何をされても傷つかないほど冷徹じゃないし、悲しくないわけでもない。なんで俺だけ。不公平だ。そういう心境にもなる。




という感じの敵の子供○とヒーローの子供焦凍。




「敵科なんてないから進路どーするか大変だろ」


「……冗談だよ。マジになんなって轟」




あれでヒーロー志望。

「胡散臭いんだよ。ヒーローになりたい連中は」

ヒーロー科になりたい子供が、明確に敵と言ってもいいと思える存在に対してどういう接し方をするのかという皮肉な話にしたい。ヒーローの本質の有無を相手に見る点はステインの思想に類似している。





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