優しくしてあげたい。









(♂夢/忍卵/天女)


明るく笑っているけど、瞳が泣いているんだ。



某日、忍術学園に天女が住み始めた。
俺は彼女を見ると、郷愁の念に駆られた。彼女がここに来る前いた場所と、俺の生まれた故郷が同じだったから。制服もなんとなく見たことがあるもの。懐かしい、と思った。

俺は彼女を観察した。
敵意は抱かず、されど贔屓もせずに客観的に。思い込みを抱かずに見えるままを観察した。
明るくて奔放で一生懸命仕事をする子だった。よく笑い、ドジな小松田さんを助けながら慣れない仕事を覚えようと必死だった。

ある時、彼女が一年生に囲まれていた。あの面子はは組だ。
彼女は庭の掃き掃除をしていた。仕事の手は止まらないものの、動きが緩んでいた。相変わらず笑顔でいる。

「××さん、へいせいってどんなところですかー?」
「そこには忍者はいなかったんですかー?」
「おいしいご飯ありましたかー?」

わらわらわらわら。
苦笑しながら、そうだなぁ、と考える彼女。その目を見たときにハッとした。
逸らしちゃいけない。見極めろ。彼女が何を考えているか。

「平成はね、人も物も多くて、便利と効率を優先していたから、人の関わりが希薄になっていたかな」
「ご飯はおいしかったよ。外国とも交流を持ってそこから食べるものも増えたし」
「忍者はいなかったと思うなぁ。でも私が知らないだけで、本当はいたのかも」

わぁー!と子供たちは興奮気味に高い声を上げた。彼女は明るい笑顔で子供たちの質問に答えていた。子供たちも彼女の話にはしゃいでいる。年相応な明るさがそこにはあって、ほほえましい光景だった。ああ、だけどなんで。
上を向いた彼女の目が、あんなに。

俺は彼らに近づいた。距離を縮めていくと、徐々に俺の存在に気付き始めた。委員会の後輩たちはすぐさま俺の腹に飛び付いてきて挨拶した。優しく頭を撫でてやるとうれしそうに笑う。ああ、可愛いやつらだ。

「お前たち、これから校外実習じゃないのか?早くしないとまた土井先生にどやされるぞ」

はーい!
元気よく手を上げて返事をする十一人。手を下ろすと同時に後ろに振り返りきゃっきゃ言いながら走り去っていく。












「○、あの女は曲者かもしれないんだぞ。そんな不審なやつに心を許すな」
「お前は優秀だ。色に絆されるほど馬鹿ではあるまい」
「それとも私たちには言えない策で動いているのか?」
「…近づきすぎると、危険だ」
「まさか本気で惚れちゃいないだろう?」
「僕たちは心配なんだよ、○」


違うんだよ。みんな違うんだよ。
俺は彼女に心を奪われたわけじゃないんだ。忍としての自覚を失ったわけでもないんだ。
ただ、彼女の笑った顔が今すぐにでも泣いてしまいそうなもので、本心で笑ってるんじゃないって分かってしまったんだ。
彼女は悲しいんだ。寂しいんだ。辛いんだ。苦しいんだ。本当は泣いているんだよ。
自分がいた世界を失って、帰れる保障も約束もなくて、押しつぶされそうになっているんだよ。


彼女はもう会えないんだ。家族や友人や自分を知る人や好いてくれる人や嫌う人に。
彼女はもう帰れないんだ。生まれ育った家や街や学校やコンクリートの道に。嫌になるくらい物も人もごちゃごちゃ溢れる平成に。疑いなく続くはずだった日常に。


たったひとり、途方もなく遠いところに来てしまったんだよ。




それは紛れもなく限りなく死に近くて、もしかしたら死そのもので。
想像を絶するような重圧の孤独の中にいるんだ。
だけど誰一人自分を知る人がいない異世界で、彼女は謙虚にそれを隠しているんだよ。
帰りたくて帰りたくて仕方ないはずなのに、頑張ってるんだ。受け入れようとしているんだ。
辛くて怖くてどうしようもないはずなのに、それを誰にも見せようとしないんだ。
そんな彼女が、悪人なわけ、ないじゃないか。



わかるんだよ。

だってみんなは知らないけど、俺も彼女と一緒だったんだ。



悲しかったんだよ。

寂しかったんだよ。

辛かったんだよ。

苦しかったんだよ。

泣きたかったんだよ。

大好きだったんだよ。




ずっと帰りたかったんだよ。





耐えるのが苦しかった。いっそ死んでしまいたかった。もしかしたらそれで帰れるんじゃないかなんて馬鹿なことも考えた。
どうしていいのか分からなかった。何年も何年もずっと。立ち直るまですごく時間がかかったんだ。それまでずっと心の中も目に映る世界も絶望的だったんだ。誰もわかりはしなかったけれど。


だからせめて、同じ傷を抱いているだろう彼女を、少しでも助けてあげたいんだ。


ああ、だけど。



「わかってる。惚れてるとか、そういうんじゃないよ」

俺は忍なんだ。



本当に、彼女に惚れたわけじゃない。誤魔化しでも言い訳でもなくてそれは真実。
ただ、彼女が俺だけが知る場所から来て、俺と同じ傷を背負っているから、優しくしてあげたかったんだ。


ああ、うそ偽りなく、おべっかも気遣いもなく、純粋に優しくしてあげたい人を見つけたのに、それは忍を目指す者としてはいけない事だった。
観察し、正確に見極め、判断しなければならない。
(でも、そうしていたつもりなのに)
生きることがこうして本心を隠しながら生きていくことなのなら、いつどうやって誰に優しくしてあげたらいいんだろう。




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