恋する事大主義。






(独創物/BL)



 なんでこんなやつ好きになっちまったんだろうって何度も思う。言ってることはフラフラ変わるし、信念はないし、まるで自分がない。有象無象の一つ。大きい力に容易く巻き取られちまうような意志薄弱なやつ。こいつ自身がブレずにはっきり言ってることがあるとすれば、トマトが好きだってことくらいだ。
 そもそも俺は、こいつが好きってことを自覚してはいるが認めてない。こんなやつのことを好きになるわけがない。



 昨晩からしとしとと降り続ける雨は下校の時も健在で、俺と遠野は並んで傘を差して帰路についていた。遠野はよく喋るやつで、今日クラスメイトの結城くんが話していたことをリピートして語っている。
 結城くんは先週末、街で不良に絡まれたけどすごく頭のいいことを言って論破して、頭にキた不良に殴り掛かられたけどカウンターでやり返して圧勝した。結城くんには武勇伝がいくつもあるけど、語られる度にすごい人だなと思う。文武両道ってのはあの人の為にある言葉だと俺は思う。頭いいし喧嘩できるし女にモテるし、クールだぜ結城くん。
 遠野はその話を何度か繰り返してるけど、途中で結城くんが言った台詞とか話の流れを間違えてる。…こいつ絶対に真面目に聞いてなかっただろ。俺が訂正を入れると「さすが結城ファン!よ!ストーカー!」とかはやし立ててくる。殺したい。

「そういや、こないだ急に雨降った時さあ、結城くんが傘持っていかれたって言ってガチギレしててすげえ面白かった」
「は?なにそれ知らない。いつ?」
「あれ?田辺いなかったっけ?あのーほら、雷ヤバかった日あったじゃん。うちのクラス国語の小テスト中に雷ドッカーンきてさ、女子からすげえ悲鳴上がってた」
「あーたぶん先週の水曜だろそれ。その日俺休んだわ。でも結城くんって置き傘5本くらいあるって言ってなかったっけ」
「全部持っていかれたんだって。かわいそ。ウケる」

 プフフと笑ってたのがムカついたので、結城くんに代わって殴っておいた。



 結城の周りには常に人が絶えないが、田辺が学校を休んだ日は自動的にその取り巻きが二人減る。
 遠野は田辺が欠席の日は、基本的には席から立たず大人しく過ごした。平素率先的に近付いて興味津々に結城の話を聞いているはずだが、同一人物であるのが疑わしいほど淡々と一人の時間を過ごす。その間、結城に対する興味は一切見られることがない。
 結城に対して一目置いているのは何も遠野や田辺だけではない。他の者も、結城は自分たちとは違う特別な人間と思いながら彼のことを認識している。故に、周囲が判断する遠野の態度は「一人では結城に近付くことができない小心者」であった。しかし、その推測は恐らく間違っている。結城はそう感じていた。

 学食の席で、結城は遠野の席一帯が空いているのを見つけて向かいに腰を下ろした。遠野はちらと結城を一瞥し、ニコッと笑って「やっほ」と明るく短く声を出すが、すぐに目の前のトマトラーメンに視線を戻して麺を啜った。結城もおう、と答えると自分のカツカレーを食べ始める。食べながら結城は、自分の取り巻きの名前を挙げながら、ゲーセンで他校と喧嘩しているのが見つかって、今頃生活指導にこってり絞られていると話した。遠野と田辺が好きそうな話題であるはずだが、遠野はふーんと気のない返事しかしない。目線も申し訳程度に渡すだけで、そこには興味の欠片すらなかった。

「…田辺今日風邪だっけ」
「うん、そう。雨に濡れて熱出たんだって。虚弱だよねえ」

 それまで相槌しかなかった遠野の口から意味のある情報が流れた。やっぱもしかして、と手応えを感じる。遠野の行動は田辺主体であるということを、結城は薄々察していた。遠野が興味を持っているのは結城ではなく、田辺なのではないかと。
 そのことを確かめるように結城は話を続けた。

「遠野って結構田辺にべったりだよな」
「うんぼくたなべだいすき」
「くっそ棒読みじゃねえか」

 ようやく会話らしい会話が成り立っていく。ゲームを攻略するように、遠野の関心をこちらに向かせられたことを結城は楽しんでいた。
 正直、結城は田辺に対する関心が毛ほどもない。が、田辺の存在一つであからさまに態度を変える遠野をいじれる機会はあまりない。いまこの場での田辺の話題は、遠野を喋らせる為の主材料だ。

「お前さ?田辺がいる時しか俺の近く来ねえよな」
「そうだね」
「なんでよ?」
「結城くんの近くにいれば田辺が来るからですよ」
「そんなに田辺好きかよ。わっかんねー。どこよ魅力は」
「顔」
「顔ぉ?まあ確かに悪くねーけど。それだけ?」
「事大主義なとこ?」
「いやそれ貶してるだろ」
「んなことないない」

 面白いほどに喋る遠野に、結城は遠慮なく言葉を続けた。思いの外に田辺が中心になっている遠野に内心驚いたが、行動の割に好きな理由が短絡的なのが意外だった。田辺は確かに顔は悪くない。年上の女に好かれそうな線の細い潔癖そうな顔立ちだ。しかし、田辺に関する色恋の話題は聞いたことがない。判断力がなく、基本的には人に付いて回る質が不人気の理由かと思うが、遠野はそこが魅力らしい。そもそも結城は、遠野も事大主義であると認識していたが、こうして二人で話してみると自立している人間と会話している気やすさを感じる。平素の行動を田辺に合わせていたために、本質を見落としていたように感じた。
 それにしても、魅力的なところが事大主義とは、と少し呆れた思考が流れる。事大主義が悪いとは言わないし、そもそも大きい力に従う者が大半だと思うが、そこを魅力的に思う人は少ないだろう。結果的にそういう人間を好きになることはあっても、事大主義が好きになる理由になるとは思えない。想像してみたが、結城はそれを魅力として認識することができなかった。
 難しい顔をする結城に気付いて、遠野は箸を落ち着けて得意げに口を開いた。

「圧倒的な力を前に目ぇキラキラさせてさ、守ってもらいたいみたいな気全開でいるのがすっげー可愛い」

 はー…と短く声が出る。なるほど、そういう感じ方か。そう言われると、確かに可愛いような気もする。だが、日常的に尊敬や羨望などの好意的な感情を向けられてる結城は、肯定的に認識するよりも複雑な気持ちが先に出た。顔にも出ていたと思う。確かに、悪い気はしないのだが。

「いやー…、そういうの向けられんの結構重いぜ」

 結城の口から出た反応は苦いものであったが、遠野はその回答をあらかじめ承知していたかのように受け止めた。

「うん、だから俺成績抑えてんだよね」
「は?」
「俺がさ、田辺が追いつけないくらいの成績とってたら田辺俺のことかっこいいって思っちゃうじゃん。ほら、田辺って惚れっぽいし馬鹿じゃん。でも憧れられたら距離感生まれるからヤなんだよね」
「えーキモ。お前そんなことまで考えてんの?」

 普通、他人を先において自分の振る舞いを変えることはしない。百歩譲って人間関係を築いていくための直接の対応なら話はわかる。しかし学校の成績は個人の行動範囲だ。そんなところまで調整して田辺の意識をコントロールするのは常軌を逸している。結城は完全に引いていたが、遠野はどこ吹く風といった態度でにんまりと笑った。

「賢い結城くんにだから話したんだよ」
「…こっわ」

 遠野から目を伏せて、乾いた笑いを出して短く返した。
 …他言無用ってことね、と結城は理解した。同時に、こいつには必要以上に関わらないようにしようと心に誓った。恐らく、今の遠野は素に近い状態なんだろうが、平素の何も考えてないような無邪気な様子とは雲泥の差だ。こんなに裏表が激しい人間は初めて見た。腹の底が読めない。いや、それよりも注意すべきは田辺との距離感だろう。遠野がこんなことを話したのは、結城に対する友好意識によるものではない。完全に釘を刺しに来たのだ。
 遠野にとって望ましいことは、田辺の憧れが少し遠い存在にいることだろう。グループの中でも親密さに順番がある。結城と田辺は相互的な友人ではない。田辺の憧れだけで成立しているような関係で、結城はそれを拒否していないだけだ。今がベストな状態なのだろう。大きな力に巻かれている田辺を継続させるなら、近付いても、拒否してもよろしくない。意識してしまうとなんとも面倒と思ったが、やることは今までと変わらない。ここで話したことは忘れてしまえばいいだけの話だ。ただ、ほんのわずかに田辺を不憫に思う。

(田辺、めんどくせぇのに気に入られてんなぁ)

 しみじみとそう頭の中で呟いたが、それはカツカレーを口に入れた後の「うめえ」という感想により霧散した。





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