冷やす水のない火傷。






(お粗末/あつトド/学生時代)





「同性同士のキスなんて数に入らないよ」

 呆然とする僕に、彼はそう言った。にっこりと笑う彼を許しそうになる。そりゃあ君は何十回としたことがあるから数に入らないだろうね。でもこっちは初めてのキスだったんですけど?





 あつしくんがモテて、女の子とも結構奔放に遊んでて、だけど馬鹿もやるし話しかけやすいし性格もいいから男友達も多い。そんなことはとっくに知ってる。僕自身はそんなに親しくはないけど、友達と話しててよく話題に出るし、あつしくんを悪く言う人はいないから、すごいいい人なんだろうなって思ってた。だけど僕は彼が苦手だった。あの日から変に意識してしまってどう接していいのかわからなくて、挨拶すらぎこちなくなってしまった。
 あの日、というのは、他人の睦み合いを現実のものとしてこの目で見た日のこと。理科準備室の薄暗い中で、あつしくんは可愛い女の子とキスをして、細い体を撫でていた。





「えー、あつしあの子ともう別れたの?可愛い子だったのに!」
「あ、うん。振られちゃったんだよね」
「マジかよ!あつしでも振られることあるんだな」
「あるある。振られてる方が多いかも」

 そんなすぐ別れる子とキスできるもんなんだ、と、僕は口の中で呟いた。羨ましい気持ちもあったけど、薄情だなと思った。話題に上っているのは、僕が見つけてしまった熱っぽい空間であつしくんと密かに触れ合っていた女の子。この記憶はまだ新しいものだ。そもそも、あれを見てから付き合ってるってことを知って「いつの間に?」って思ったから、付き合って別れるまで二週間も経ってないんじゃないの。尻軽の男ってなんて言うんだろう。なんという僕とは違う世界。理不尽だ。それくらいな感想。そして、あの子可愛いのにもったいないな、とも。







 あ。
 ドアを開けた瞬間、閉めて立ち去りたかった。教室にはあつしくんが一人きりでいる。珍しい。何もこんなときにそんな珍しい状況にならなくてもいいのに。

「あれ、どうしたの」
「ん、忘れ物取りに来たんだ。あつしくん、まだいたんだ」

 愛想笑いをして何でもないように答える。正直、あつしくんは苦手だ。グループでいる間は相槌打って笑ってるだけでいいけど、二人になると話すことなんてない。僕とあつしくんは共通の友達がいるだけで、僕たちお互いが友達ってわけじゃない。だけど僕は笑って話す程度の社交性は持っている。
 机を漁って、さっさと持つもん持って出て行こう。だけど多少なりとも雑談をした方が後腐れはないのかなと考える。あつしくんに邪険にされたら失う友達もきっといるから、友好的に接さなければ。

「あつしくんはどうしたの?一人なの珍しいね」
「僕はなんとなく帰ってないだけ」

 そうなんだ、と、当たり障りのない適当な返事。彼も会話を続けるつもりはないようでぼんやりとした様子だ。それ以上は話しかけなくてもいいだろう。
 目的のものを掴んで鞄に入れてる時に、気怠げに座っていたあつしくんが何かを思い出したように体を起こした。それと同時に僕を見る。





「松野くん。あの時準備室で何してたの?」





「なんのこと」

 動揺しすぎてカタコトみたいな喋り方をしてしまった。それ蒸し返す?普通だったら気まずくなるんじゃないの。むしろ隠そうとしたり誤魔化さなきゃいけないのはあつしくんの方でしょ。
 あつしくんは僕がはぐらかそうとしているのを手に取るようにわかっていると言いたげに微笑んでいた。

「君と目が合った」
「他の五人の誰かじゃない。僕たち六つ子なの知ってる?」
「あの後も見てたよね」
「だから」

 僕は何も見てない、と言おうとした。だけど言葉の途中で挟み込まれたあつしくんの声に僕は押さえつけられた。

「僕は君に見られて興奮したよ」

 何故か僕は声が出なかった。何言ってるの?って信じられないような気持ちと怪訝さが混ざり合って、少しあつしくんが怖くなる。怖い、というか、感じたことのない緊張が体にまとわりついて身動きが取れなかった。
 歩み寄るあつしくんに、何すんの、と心の中で声が湧く。

「君、あの子のこと好きだっただろ」
「なん」

 不意にあつしくんの手が僕に伸びて頭の後ろに添えられた。え、と思ってるうちに彼の顔がすごく近くて戸惑っている間に唇が合わされた。
 …え?なにこれ。
 唇はすぐに離れたけど、僕は訳がわからなくて何も言えないし体は硬直していた。
 僕とは正反対に、あつしくんは余裕のある顔で相変わらず微笑んでいた。先程よりも楽しそうに。

「同性同士のキスなんて数に入らないよ」

 呆然とする僕に、彼はそう言った。にっこりと笑う彼を許しそうになる。そりゃあ君は何十回としたことがあるから数に入らないだろうね。でもこっちは初めてのキスだったんですけど?
 返す言葉が一つも思いつかなくて、赤子同然の思考で立ち尽くした。あつしくんは僕の様子を見るとふふ、と笑って離れた。僕がよく知っている距離までお互いの間隔が開いて、やっとまともに物が見えるようになってくる。頭が回り始める。あつしくんは鞄を持って僕を振り返った。

「また明日ね。松野くん」

 笑ってそう言って、あつしくんは僕に手を振って教室を出て行った。僕の知っているあつしくん。あつしくんを知っている人はみんな見たことのある笑顔。



 きっとあつしくんにとっては大したことではないんだろう。自分が口を付けたスプーンで、プリンを一口誰かに分けてあげる程度のことなんだろう。
 だけど、それはあつしくんにとってはその程度という話だ。僕はそうじゃない。僕はつい先日、その先に続く行為もこの目で見てしまった。それが我が身に降りかかると想像してしてしまった。取り残された僕は何もできなかった。

 いったいどうしてくれるんだ。この下半身の熱を。この胸の動悸を。




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