電車の通らない速度。








(♂夢/忍卵/尾浜勘右衛門/小ネタ『約束破り』のようなもの/田舎)





●○が一匹狼なのは、彼の固有名詞と共に知れている常識だった。

●○はつるまない。
●○は笑わない。
●○は信じない。

あからさまな態度は周囲からも反感を持たれ、○が誰とも関わらないのと同じく、誰も○には踏み込んだりしなかった。

一日三本しか電車が通らない無人駅のホームで○が放課後の暇を持て余していることなど誰も知らないし、暇つぶしに駄菓子屋で買ったヨーグルト味のラムネを一粒ずつ噛み砕いていることも誰も知らない。

だが、その常識は人が知らぬところで少し変わった。










草が茂っている。使ってる人間はいるのかと疑えるほどに、駅は手入れがされていない。
こんなところに駅があるなど、町の大半の人間は知らないような気がする。農村の人間が使うはずの駅だ。町からは一時間も自転車を扱がなければならない。

勘右衛門は見慣れたシルバーの自転車を見つけて、その隣に滑り込んだ。キッとブレーキを掛けると土埃が低く舞った。少し先にあるホームを見ると、そこに見慣れた黒い影がある。ホッと何か緩んだような気持ちを自覚しつつ、勘右衛門は荷物を引っ掴んで短い階段を二歩で駆け上がった。

蒸し暑さの名残が肌に張りついて、生え際や背中が湿っぽい。部屋に帰ってクーラーで涼みたいけれど、それよりも彼の隣にいられることが何倍も魅力的だった。
たった数メートルの距離が遠く感じる程度に、勘右衛門は彼のいるこの場所に惚れ込んでいた。

ホームのセメントで靴底を擦らせて止まると、ざっ、と砂の音がした。見下げた先の○は片膝を立てて、それをひじ掛け代わりにしてだらり手を垂らしている。気だるそうだといつも思う。そしていつものように、勘右衛門には一瞥もくれない。
ぽり、とラムネを噛む音が○の口から聞こえた。

「よ」

○の返事は期待せずに、勘右衛門は声をかけた。同時に隣に腰掛けて、○に倣って線路側の縁に足を投げ出した。電車はもう今日はこの駅には来ない。日常の全てから忘れ去られたように、ここには○と勘右衛門だけがいる。勘右衛門はこのことがたまらなく楽だった。
日常的につるんでいるクラスメイト、成績優秀だと評価する教師、そんな日常に冷め切った目を向けているのに気付かずに「よくできた息子」だと鼻高くしている親や親戚。
嫌いなわけではない。だけどたまに、勉強も社交辞令も全部放り出して楽になりたくなる。一人の時間はあるのに、自分だけでは自分を解放できない。

○は勘右衛門を楽にさせるのに最適な人間だった。誰も信じない、誰ともつるまない。そんな奴に当たり障りなく思われようとは勘右衛門は思わなかった。どうせ評価しないのだ、猫を被るのは馬鹿げてる。


勘右衛門はコーラ味のグミをフィルムから剥がした。最近は買い慣れたそれらだが、駄菓子屋通いをするのは三年ぶりくらいだ。決して美味いと思わないそれらを、かつては特別なものに思って好きだと言っていた。それらをただ口に運び、咀嚼し、飲み込む。
それだけだ。
いつのまにか橙色に染まる空をぼんやりと眺めて、気付いたら光の影を映した藍色が闇に溶け込んでいるのを見収め、忘れた頃に○は不意に立ち上がり帰路につく。勘右衛門は雛鳥が親鳥を真似て歩くように、○の後を追って自転車に跨ぎ、ぼんやりと走っていく背中を見つめながらペダルを踏む。街で別れ道に差し掛かると別れの挨拶もせずにそれぞれ帰っていく。


二人の関係は友達とは言い難い。そもそも勘右衛門には気の置けない親しい友人が数人いる。だから心許せる友達が欲しいとか理解者が欲しいとか、そういったもので○を追っているのではない。
言うなれば、憧れているのだ。つまらない社交辞令を重んじない彼に。周囲にどう思われようと決して自分を捨てない彼に。彼のそういう部分にひどく惹かれているのだ。

彼が何を見て、何を聞いて、何を思い、感じているのかを知りたいのだ。あわよくば彼の感覚に近付ければ。
羨望や憧憬や願望が混ざりあった結果に芽生えた好意だ。言ってしまえば彼が欲しいのだ。存在ではなく、彼の感覚が。だから毎日毎日、代わり映えの無い景色を見ても厭きないのかもしれない。彼が見ているものだから、同じものを見れば少しでも彼に近付けるかもしれないから。



いっそ体が融けて彼と混ざり合ったらそれほど素敵なことはないのに。それで自分という存在が消えてしまっても構わない。それで彼の感覚や思考が手に入るならば。



きっと二人は明日もこうして並んで同じ景色を見る。○がここに来るのをやめない限りは今日と同じように明日を過ごすのだ。





この安らかな心が、ずっと通過しなければいいのに。

勘右衛門は触れている空気の中に○の気配を感じながら、心の奥でそう呟いた。




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