正反対な彼。四








(♂夢/忍卵/火薬)







「うん、よし!在庫点検終わり!解散していいぞー」

兵助の号令にはーいと返事をすると、伊助は○に駆け寄った。

「○ーこの後どうする?」

委員会の後いつもそうしているように、伊助は訊ねた。い組とは組に分かれている二人だが、○の穏和な性格故に二人の間に確執はない。人見知りの○を伊助はよくフォローしたし、○も伊助に助けられながら少しずつ心を許した。仲良くなった二人は、委員会の後は毎度一緒に遊んでいる。

「あ…ごめん伊助。僕今日は勉強するんだ」

「え、そうなの?○十分頭いいじゃん」

「そりゃアホのは組と比べたらな」

「横から出てきて何ですか三郎次先輩!怒りますよ!」

「でも実際○は頭いいよな。誤字脱字多いけど」

「…はい」

三郎次に言われて○は顔を赤くした。抜き打ちテストの答案を三郎次に盗み見られたのは記憶に新しい。

伊助と三郎次の言うとおり、○は頭がいい。誤字脱字により点数が引かれているものの、問題を理解する力はあるし、それにより正解も導きだせる。ただ、書く能力が極端に低いのである。ちなみに字も小さい。
しかし○の答案用紙を見たことがない同級生たちは、○が優秀なんてことは知らない。誤字脱字さえなければ常に満点であるとは、誰一人、夢にも思っていないのだ。

一応、書き取りの復習はしている。しているが、前回と同じ問題が出るなんてことは滅多になく、一つ覚えてもまた新しい知識がやってきて、字を覚えるまでに至らず、結局書けなくて参ってしまうのだ。

いつもならば、テストの点数が満点でなくとも、結局間違えたことを理解して吸収すればいいと自分を慰めている。だが、昨日伝七から―――例えそれが○の伝七に対する好意の何分の一程度のものだとしても―――好きだと言われて、このままではいけないと思い至ったのだ。伝七が「あんな根暗で勉強ができない奴を好きなんてどうかしてる」と思われるわけにはいかなかった。伝七まで冷たい目で見られるのはどうしても避けたかった。せめて勉強だけでもできるようにならなければ。


「じゃあ今から勉強会でも開くか?」


ひょっこり顔を出して、兵助は言った。伊助は素直に「えー」と眉を下げてやりたくなさそうな顔をした。もともと一人で勉強するつもりだった○は、伊助のその反応を見たのと、自分の都合で周りを巻き込んでいるような気がして慌てた。

「あ…だ、大丈夫です…僕一人で勉強しますから」

「だけど自分で誤字に気付かないから減点されてるんだろ?」

「そ、そうですけど…」

三郎次の的確な指摘に○の語尾は萎んだ。「でも…」ともじもじと言葉を探す○に、兵助は苦笑した。

「遠慮するなよ○。勉強なら俺も三郎次も教えられるし、成績上げたいっていうなら手伝いたいんだよ」

「勉強会するなら僕も混ざりたいな。こないだ赤点取っちゃったし」

「タカ丸さん、それ堂々と言うことじゃないです」

「いざって時はカンニングすればいい」

「久々知先輩、教えること間違ってます」

「よし、そうと決まれば早速夕食まで勉強会だ。勉強道具持ったら五年長屋の俺の部屋な」

「ええっ!僕もですか〜っ?」

「たまには勉強しろ伊助。土井先生喜ぶぞ〜」

「とほほ…」

「ご、ごめんね伊助…」


伊助には申し訳ないと思ったが、○にとっては有難い機会である。一人で部屋で勉強していると知識を詰め込んだ途端に集中力が途切れてしまうし(だから漢字を覚えるまでに至らない)、わからないことは三郎次や兵助に聞くことができる。何より、誰かと一緒に長くいられるのは嬉しい。故郷では常に周りに誰かがいたためか、馴れ親しんだ誰かと一緒にいるのは落ち着くのだ。

「よーし、じゃあ先に長屋に行って待ってるぞ。○、伊助が逃げないようにちゃんと連れてこいよ」

「や、やだなぁ逃げないですよ〜」

「みんな後でねー」






















あ、と思った。


「○、そんなに何持ってきたの?」

「今までのテストの答案…前復習したところも間違えてるかもしれないし」

「うひゃー真面目!それだけ丸いっぱいついてたらいいと思うけどなぁ」

「ダメだよ、ちゃんと覚えなくちゃ」


○と伊助が歩いているのが見えた。
歩の進みが緩んだ伝七に気付いて藤内は足を止めた。どうしたのかと問い掛けようとしたが、じっと何かを見つめているのでその視線を追う。先には一年生が二人、長屋の方向へ並んで歩いている。片方が随分猫背という印象は受けたが、特に注視するようなことはなさそうに思えた。

「伝七、どうした?」

「…すいません、なんでもないです」

名残惜しげに視線を外し、伝七は再び歩きだした。伝七の意識がまだその二人へ向いているのを藤内は感じ取ったが、特に何も言わなかった。

「…藤内先輩」

「なんだ?」

「…、お互いに好きだって言い合ってるのに、話したり一緒にいたりしないのは、友達とは謂わないですか」

「え」

藤内は言葉に詰まった。好きだと言い合っているならば親しいからじゃないのか、とはじめに思い、それから先は言葉すら浮かばなかった。藤内は先程視界に入れた一年生の方をちらと見たが、もう二つの背中は小さくなっていた。仲の良さそうな二人を見て、二人は友達だとは言うまでもなくわかった。それを見た後にこんな発言をしたということは、つまり、友達と呼んでいいのか曖昧な相手がいるからなのだろうか。

「………話した数が友達の基準じゃないと思うけど、友達ってお互いに交流持って成り立つものだから、それが足りないならこれから親しくなっていけばいいんじゃないか?」

頭の中で整理しながら必死にそう答えたが、伝七は無言だった。無反応な伝七に不安になったが、この話題の中の相手も事情も経緯も知らない藤内はそれ以上の言葉を見つけられなかった。
伝七は藤内の言葉を頭にしみ込ませたが、親しくなるための話題なんてまったく思いつかなかった。

「何を話せばいいのでしょうか」

いつもと違う弱気な伝七に、藤内は焦った。何か答えなければ、と思ったが、何しろ相手がわからない。苦し紛れに、天気の話とか…と口籠もって返した。伝七は少し考えて、ありがとうございますと言った。以降再び口を閉ざし、伝七の態度は会話の終わりを藤内に知らせた。まだ少し伝七のことが心配であったが、藤内は足の速度を戻し、二人は委員会室へ向かった。


…『今日は晴れだ』


頭の中で○が『そうだね』と返したが、会話はそれで終わった。



二人は何を話していたのだろうか。

小さくなった背中は、角を折れて姿を隠した。




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