15:00
午後3時−
冬ともなれば西に日が傾いて、空が宵闇の準備を始める時間帯だが…
「ん、ん〜…」
枕元の鳴り止まない携帯に、鳴は手を伸ばした。
「もしもし…うん、そぉ…寝てたよ、えー…だって、帰ってきたの、朝5時なんだもん〜…」
だるそうに毛布から体を引きずり出しつつ、ふぁ、とあくびをする。
「ん、今日…?うん、居るよ、お店…9時ぐらいかな」
「…えーと、今日、は、……だめ!ごめんね、また今度…うん、待ってるね、ありがと」
ぷつ、と電話を切ると、そのまま勢いよく布団に倒れ込む。
「あーもー!最悪!あと2時間は寝てられたのに!なんってタイミングで電話かけてくんの!」
ばかー!とばふばふ布団を殴りつけていたら、寝室の扉が開いて、原田が顔を出した。
「起きたのか」
「起こされたの!」
電話かけるなら5時ぐらいにしてねってゆってるのにー!と、ベッドの上でバタバタと駄々をこねる鳴を見て、珍しいな、と原田は呟いた。
「なにが」
「だってお前、寝てる時電話かかってきても基本シカトで、あんまりしつこい時は、かけてくんなって怒鳴って切るだろうが」
「…えー…多分あの人、昨日初めて来たお客さんなんだもん…」
むう、と不満げに、鳴は指先でコツコツと携帯を弾いた。
原田は、俗に言うキャバクラ、そしてホストクラブのオーナーである。新宿歌舞伎町にキャバクラとホストクラブ1店舗ずつ、六本木にキャバクラを1店舗所有している。
それぞれ店長を雇って経営を任せているが、歌舞伎町のキャバクラだけは、自分で店長を務めていた。
鳴は、その店のキャストだ。
およそ接客業とは思えない態度で席に着き、営業メールも電話も、自分からはほとんどしない。その鳴が、客相手に自分の睡眠妨害を甘んじて受け入れるという事実に、原田は眉を寄せた。
ほんのちょっとだろうが、ひとのために自分を犠牲にするなんてことは、昔からしないやつだ。
…自分が気に入った人間以外には。
じっと見つめる原田の視線と、その意味とに気づいて、鳴は慌てて付け足した。
「ちがうよ!ヒデ君にこないだ怒られたの!新規の客相手くらいには最初だけでいーからネコ被れって!!」
ヒデ君、とは原田の店でマネージャーを務める吉沢のことだ。
あんまりな態度の鳴にお説教したのだろう。
基本的に、鳴に説教なんかしても馬の耳に念仏なのだが、凶悪な顔に気圧されるからなのか、単純に吉沢のことを気に入っているからなのか、鳴は比較的吉沢の言うことは聞いた。
「ああ、わかったよ……で、鳴、今日の予定は」
「ん、どーはん、」
2台ある携帯を忙しなくチェックしながら、鳴は顔を上げずに答える。返信が終わると、無造作に二つをベッドへ放った。
「雅さん!」
ベッドから飛び下りて、鳴は勢いよく原田に抱き着いた。
出勤前の、よくわかんねえけど儀式みたいなもんだな、と原田は思う。
ドレス姿でもなくて、スプレーで固めた髪でもなくて、煙草の臭いも、香水の匂いも着いてない、真っさらな鳴。
その感触と匂いを確かめるように、柔らかい髪に顔を埋めると、鳴が体に回した腕に力を込めるのがわかった。
鳴も原田も、何も言わない。
ただ日が暮れて、街が毒々しい灯りで溢れてから夜が明けるまでの間、二人が分断されるのは知っていた。
こんなに近くに居るのに触れられない、なんて、陳腐な劇の台詞じゃあるまいし、感傷に浸りすぎていて嫌だと原田は思うが、毎日感じることではある。
そうして、儀式はいつの間にか日課になった。
「…は、じゃあ、雅さん、そろそろ行くね!」
「ああ、気をつけてな。お客さんと会えたら、ちゃんと店に連絡しろよ」
はーい、と返事をして鳴は身支度を始めた。
原田も夕食を作るためにキッチンに向かう。
これから長い夜、2人は他人の顔をして過ごす。
−−−−−−−
とりあえず雅鳴。
出勤前。付き合ってるのは秘密。
ばらばらにお店に入ります。
基本的にうざいくらいのバカップル。
片時だって離れたくないし、離したくない。
2010.1.30