眩しい、とただそれだけ思った。
あれは、どこまでも気高い者たちの、果てしなく尊い想いの全てなのだと。
「なぁ色男」
「なんだ暗殺者」
珍しいこともあるものだと離れた位置から自らのマスターを眺めていた軋間はあまり変わらない表情を少しだけ動かした。
元の性質から相いれないのか白野のサーヴァントであるこの赤いアーチャーと七夜の相性はあまり良くないようで、険悪とはいかずとも滅多に話すことなどなく、ましてやマスターである白野がいない時を見計らうなど今まででは想像すらできなかった。
口を開けば台本を読んだかのような言葉ばかりを紡ぎ、それを鼻で笑うかのように現実で、あるいは皮肉で返すその様は見ようによっては心の通った友にすら見えるのかもしれないが、根本を理解し合えない者同士、友になることは一生なく、腹を割って話すなんてこともまずないと踏んでいたのだが。
「あんたは傭兵だとばかり思ってたんだが」
「違いないが?」
「笑わせるなよ色男、俺だって暗殺者の端くれだ、依頼主に寄せる感情と主人に向ける感情の違いくらい分かる」
「…話の方向性が見えないんだが」
赤の弓兵が困惑を隠しもせずに首を傾げる。
自分が言うのもどうかとは思うが、型物で皮肉屋で現実主義な男であるあの弓兵にはその仕草はどこか幼く、けれど不自然ではない。どちらかというと体に染みついているからこそ咄嗟にでた仕草の用にも見える。彼のマスターであるあの少女は突飛な行動をすることもあるが、彼女一人のせいでついた癖ではないであろうと勘が告げている。
あれでいてなかなか苦労だらけの人生だったのかもしれない。
いや、苦労や苦痛なくして英霊になどなれないのだろうが。
そんな弓兵をいつもとは逆に鼻で笑った七夜は握られていた彼の掌を指さして、憎々しげに、あるいは羨望を乗せて止まらない口をまた開く。
「迷宮で使っていただろう?あの天才君が作った兵器相手に」
軋む歯車の浮かぶ赤い剣の丘、贋作の貯蔵庫、お前だけの固有結界《リアリティ・マーブル》
「あれは良かった、あんたのことを理解できたかのような気持ちにすらなった!削れた夢!遠い理想の終着点!贋作に囲まれたアンタはなかなか良かった!いや、実に良かった!」
突然大仰に腕を広げて語りだすその様は、かつての夜の主を彷彿とさせる。
その軽やかな口が、青い瞳が、その奥を覗こうと弓兵の鋼の瞳を覗きこむ。こちらからでも分かるほど熱を込めた、感情の籠った熱視線。恋するかのような、愛するかのような、憎むかのようなそんな、逃さないと瞳だけで語る、役者のような語り部の瞳。
じり、と弓兵が半歩足を引いたのが見えるが、逃げられない。それは軋間が誰よりもよく知っている。
「それがどうだ、あれはなんだ!赤錆びた希望は!果て見えぬ夢は!擦り切れた理想は!あんたの存在概念は!」
砕けたからこそ美しかった、異常であるからこそ尊かった、ああそうさ!俺はあの世界のお前を美しいと思ったのさ、それなのに!
ダン!と軽いはずのその体からは想像もつかない力で足元の床が踏みつけられ、舞台上の音響の用にただの廊下をオオンと揺らす。暗殺者《アサシン》でもなく殺人鬼《シリアルキラー》でもない舞台役者《アクター》がその場を支配する。見せつけられるためのそれから、英雄は目が離せない。
魅せつけられて、動けない。
スキルにも満たない、ただの話術でしかないと分かっていても、魅せるために演じられたその動きは観客を逃してなどくれない。それは度々観客へと回される軋間には覚えがありすぎることだ。
しかしいつもは軽い狂言回しでしかないのに、今日のそれは大分熱が入っているように見える。
弓兵に伸ばされる手の先までも、近寄る足の指ひとつひとつも、口より雄弁な瞳も、嘘と真実が溶け合ったその口上も、どこを捉えても目が離せない。夜の主と同化でもしたかと言いたくなるほどの舞台を今作っているのは、それでも間違いなく七夜だ。
「その眼で誰を追いながら、その頭はなにを夢見て、その身体はなにを目指した、その為になにを使い、その腕でなにを磨いた、その過程でなにを想った、繰り返される悪夢の中でその魂はなにを重ね、なにを刻んだ」
あの黄金の剣は、お前のなにを変えた!
そこでようやく、ああと軋間は理解した。
先ほど白野とアーチャーが迷宮で戦った時の話であることまでは分かったが、なにがそこまで七夜の線に触れたのかと納得できていなかったのだ、しかし理解をすればなるほどそこに執着したのかと感慨深い気持ちにすらなる。
弓兵が使ったものがなんなのかは軋間では詳しくは分からないが、弓兵の手に握られたあの黄金の剣が間違いようもなく騎士の剣だった。
誰もがそこに夢をのせ、死したものの思いを繋ぎ、希望を見て、絶望を退け、自らを鼓舞し、周囲を導く、そんなどこまでも尊い黄金の騎士の剣の贋作であった。
それが彼の弓兵からつくられた以上、それは彼の経験と概念に蓄積されたもので、つまりそれが七夜のなかの何かに触れたのだろう。
なるほど、と言うしかない。
月での七夜は存在としてあまりに曖昧で、それ故か見たことのない表情を幾度となく見てきたが今回のそれはなかなかに珍しい。
本人は怒りながらも、弓兵に対して憐れんでいるような、そして少しだけではあるが羨望すら覗かせているような、きっと本人にすらあの感情の底は読めないのだろう。
だからこそ余計に憤っている。
「そんな重いだけのもの捨ててしまえ、誇りなんていうものは背負いすぎたあんたにはその音ほど軽くはないぞ」
「些か、見当違いな罵倒ではあるがね」
そしてあの弓兵はそんな自分の「届かぬと分かっている理想」の剣が不相応であると知りながら、それでも己の荒野から捨てることは出来なかったことを理解している。
戦場を移す度にその身を空にしていく傭兵には確かにあるまじき重さであるが、その重さこそを己の柱にしていけることを知っている。
「私にも捨てきれぬ理想…いや、幻想、あるいは誇りだけはあるというだけの話さ」
「黙れよ贋作者、傭兵にも至れん半端者め、借り物の誇りなぞいつか己を焼き焦がすだけと知れ」
だから穢すなと、言外に攻め立てるような弓兵の言葉は、七夜に届く前に鋭利な言葉ではじき返されて届くことは無い。
話して勝手に満足してしまったのか、それとも余計に憤りが増してしまったのか最終的には睨みつけるような視線を投げながらその場を舞台としていた暗殺者は言葉の刃だけを残し霊体化をして消えた。一度消えてしまえばあれの気配遮断を易々と追えるものは今この場にはいないだろう。
だから、もしかしたら案外近くにいるのかもしれないと思いはしたが軋間は特に躊躇うことなく、眉間にしわを寄せたまま立ちつくしている赤い弓兵の元へと歩を進めた。
マスターの不届きを注ぐのもサーヴァントの仕事であろうし、今後のことを考えれば白野の相棒である弓兵との関係が良好なことにこしたことはないだろう。
なにより、少しだけ話たいこともできた。
皮肉を込めないと話せないようなこの弓兵に、皮肉を混ぜ込んだ語り口ばかりの少年が最後に誇り以外を捨て去ってやってきた夜の事を少しばかり、マスターに怒られない程度に。
そのための第一声は、きっと暗殺者も思ったであろうこの言葉から始よう、そう。
「眩しいと、そう思った」