「絵や写真はね、その人の心を映し出すのよ。」
彼女はなんだか自慢げに、『わたしはすべてを悟っているのよ』とでも言わんばかりの態度で、それはそれは誇らしげに語りました。
「へえ、そうなんですか。あたし、初めて知りました!博識でいらっしゃるのね。」
まるで、『たっていまとてもすごいことを聞いた!』みたいに私が、それこそ過剰なくらいに目を見開いて言うと、彼女はそれを待っていたの、とでも言わんばかりに、はにかんでみせた。 正直作り物みたいな笑顔に吐き気を催したが、なるべく表情には出ないように、にっこりと笑みを返した。 おそらくは彼女、自分を『博識で、何でも知っているのに、謙遜する、わたしってなんていい子でかわいいの!』とでも思っているのだろう。 もちろん、無意識下での、話だが。 表面上、彼女は照れて笑った、くらいにしかとらえていないのだろう。
それにしても、なんてくだらない知識なのだろうか。愚かしいにも程がある。 では、黒や赤を基調とした、一般的にグロテスク、に分類される作品は、美しくないとでもいうつもりなのだろうか。 そしてそれを描く人々の心は、美しくないとでもいうつもりなのだろうか。なんてばかばかしい。
美しさ。 それを美しい、と感じるか、気持ちが悪い、と考えるかは、人それぞれなのだ。 美の定義なんて、千差万別で十人十色だというのに。 なぜ彼女は勝手に自分の物差しで、物事を図るのだろう。 行き過ぎた美しさもあれば、穏やかな美もあるというのに。片方だけしか美しいと感じられない感受性はなんて素敵なんだろうね、なんて嘲笑いたくなった。
そもそも、彼女は美しい、ときれいだ、の違いを把握しているのだろうか。 これはあくまでも私の自論だが、きれいだ、というのは、空間や空気、容姿を指すのではないだろうか。 そして、美しい、というのは内面に向けられるものだと思う。行き過ぎた何か、極めきってしまった何か、最果てを見てしまったもの。 ……そんな極端な『なにか』のことを、美しい、と形容するのではないのだろうか。 まあ、しょせん私も、彼女と同じくらいしか生きていない小娘。正しいかどうかはわからないが、美しい、ときれいだ、は違うと思うのだ。 ああ、話がずれてしまった。そういえば彼女に聞きたいことがあったのだ。
私の中で、最高の笑顔と、最低で最悪な皮肉をこめて、言った。
「では、死体を好んで描くあなたは、一体どんな心なんですか?」
彼女は、私の知る中で、最美で最大の笑顔と、最厄な皮肉を込めた言葉を返した。
「そうね、内臓を好んで描くあなたを同じかしら。」
つまりはそう、私たちは、
似た者同士
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