芹が、噛みついてから一カ月。 さすがに一カ月も朝も夜も話していればヴァルトレードも、ほとんどのことを芹に話し終えていた。美術系は知っている限りのことは教えたし、音楽は話している間にBGMとして流し、勉強だって見た。芹は吸収が早かったから、たぶん、元に戻ったらまわりよりずっと頭がよくなっているだろう。さりげなく知識欲にどん欲な芹は、見ていて飽きなかった。それに無駄にもっている知識を共有する相手がいるのも、なんだか好ましかった。この城は時間の流れ方が、現世と違う。先々代だか先々々代だかが、衰えたくなかったとかで、城に何かを仕掛けたらしい。だから、ヴァルトレードはできるだけ外にでて、早く老いることを願っていた。だって、それは。
「(たってひとりで、ずっと生きることの、なにがいいんだ。)」
きっと自分は、いままで淋しかったのだろうと思った。 柄じゃないけれど。
「吸血鬼、暇でしょう。」
「…否定ができないところが何とも言えんな。」
「でしょ?勉強見てよ。」
芹は遠慮がないほうだと思う。当然だが拉致されたに近いから、しかも理由が退屈だから、そんなものなら遠慮なんてしないわよ、とこの前彼女自身が云っていたのをヴァルトレードは思い出した。
「いいぞ。どこだ。」
「ここー…、本当問題作った人舐めてるわ。」
「お前が馬鹿「怒るよ。」…っふふ、分かった分かった、むきになるな。」
いつかは、返してやらないと、いけないとわかっている。 でも、それでも。
「(ここに、いてほしい?)」
ばかばかしい。こいつはただの餌なのだ。こいつはただの餌だ。一カ月と一週間とちょっと、それだけしか過ごしていない。たとえ四六時中近くにいたとしても。餌、なんだ。ヴァルトレードは自分に言い聞かせた。
「分かった、ありがとう。」
芹が、笑った。 どく、心臓が疼いた気がした。
ああ、これが。…これが。
ヴァルトレードは答えを見つけて優しく笑んだ。
「(っー!イケメンってずるい!)」
芹は、最近やけに優しい吸血鬼に、揺らいでいた。 仕方ない、なにせこれだけ色気があって、格好良くて、落ち着いていて、そのうえ博識だ。しかも彼は人間世界ではどこかの社長の御曹司という設定らしい。だからこんな豪華な城を維持できるのだろう。むかつく、世の女性が想像する理想を兼ね備えやがって。芹は心の中で悪態をついた。餌扱いは気に入らないが、仕方ない。吸血鬼だって生き物だから、食べなくては生きていけない。 そうやって彼を受け入れ始めている自分がいることに、彼女は気づかない。
そうして、また楽しい夜がきて、朝が来る。
永遠に続けばいいと、ふたりは密かに思っていた。
「そうだ、吸血鬼、ダンス教えて。」
「ダンス?」
「ほら、帰ったらあっちはダンスパーティーのまっただ中じゃない。わたしワルツくらいしか踊れないし。足踏んじゃうけど。」
「足を踏む時点で、もう踊れるとは言わないが。」
「うるさーい。」
「まあ、いい。お前の来ていた服あるだろう。」
「え、なによ急に。うん、それがどうしたの。」
「あれよりも、」
ヴァルトレードは、芹に背を向けやたらでかいクローゼットから白い、どこまでも白いドレスを取り出し、芹に渡した。
「こっちが似合う。」
「っー…!ずるい…。」
「ああ、知ってる。」
「…着替えてくる。」
「…ああ。」
顔が熱くて、ヴァルトレードの部屋を飛び出してきたしまった。ドア越しにヴァルトレードが、大広間で待ってる、といった。芹はドレスを抱え自分の部屋まで急いだ。今まで来ていた服はロザーリエが用意したものだ。ドレスを身にまとう。ヴァルトレードの香水の匂いがして、どきり、とした。心臓の音がうるさい。シルクでできているだろうドレスは優しい手触りだった。美しいドレスだ。プリンセスラインが優しい輪郭をしている。ヒールもいつもまにか部屋に置かれていてた。少し低めのヒールは履きやすかった。 かつん、かつん。広間へ向かう。 ぎぃいい、扉を開く。
「ようこそ。」
ヴァルトレードが、赤い目を細めて笑い、手を差し出した。芹はぎこちなく手を置く。スマートなエスコート。手馴れているのが少し悔しかった。簡単なワルツ。この前までは踊れなかったのに、エスコート役がいいのか、足を踏まずにスムーズに踊れる。
「なんだ、踊れるんじゃないか。」
「…ほら、いったじゃない。」
強がって見せた。本当にそんな余裕はない。いっぱいいっぱいだ。ヴァルトレードは、独り言のように話し始めた。
「本当に暇つぶしだった。でも食事を見られたからには記憶を消さないとならない。でも…俺には無理だ。」
「きゅ、」
「お前は知識欲豊富で、いつも楽しそうで、俺を、ヒトみたいに扱ってくれた。」
「だって、あんた、…わたしたちとあんまり変わらないじゃない。」
「それが、嬉しかったんだ。吸血鬼なんていいものじゃない。人よりはるかに能力も上だが、何年も一人で生きることの、なにがいいんだ。」
「…。」
「俺は、ずっと淋しかったんだろう。お前といると楽しかったよ。」
「……。」
切なそうに笑う。いつのまにか踊りは止まっていた。 芹を撫でるヴァルトレードは、とても優しいただの男だった。 目線が逸らせない。
「なあ、芹。俺と生きてくれ。」
芹は返事の代わりに、かわいい悪態をついて、眼を閉じた。
「遅いのよ、ヴァルトレード。」
エンドレス・グットナイト
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