「影山って柚野さんと付き合ってんの?」
名前もろくに覚えていないクラスメイトにそんな風に問いかけられたのは、中学に入学してすぐの時だった。子供の頃から何度も聞かれたことだが、正直この質問になんの意味があるのかわからない。
「違う」
「でも仲いいじゃん!一緒に学校来てるの見たぜ」
「家が近くて幼馴染だからな」
何度も繰り返したやり取り。どうせまたこの後は『またまたぁ』『でも好きなんだろ』とか腹の立つ顔で言われるんだろう。
好きだの付き合ってるだの、よく知らない奴からごちゃごちゃと言われるのは面倒で嫌いだ。俺と千織が幼馴染で何か文句あんのか。
こいつもさっさとどっか行けよ。苛々とし始めながら次の言葉に身構えていると、返ってきたのは今までにない反応だった。
「えっ、まじで付き合ってないの?じゃあ俺にもチャンスある??」
「チャンス…?」
「柚野さんと仲良くなるチャンス!」
「はあ」
仲良くなりたいならアイツのとこ行けばいいじゃねえか。なんでわざわざ俺のところに来たのかがわからない。
試合のメンバーみたいに、あいつの友達の枠にも人数制限あるとでも思ってんのか。頭の中にいくつもハテナマークを浮かべてる間に、目の前のクラスメイトは何故か顔を赤くして一人で語りだす。
「柚野さんと幼馴染とか正直めちゃくちゃ羨ましいわ。色白くてちっちゃいし、にこにこ笑ってて可愛いなって思ってさあ。実は入学式で一目惚れして好きになっちゃったんだけど、もしかして影山と付き合ってんのかなーって―――……」
よくわからない熱弁を聞き流しながら、思い出すように視線を宙に向ける。千織ってどんな感じだったっけ。
色白くて、ちっちゃくて、にこにこ笑ってて、可愛い。俺にとってはなんだかんだ気が付いたら近くにいる奴で、特にそんなことをわざわざ感じたこともないけれど。
「とびおー!」
「…あ、」
噂をすればというやつか。教室の入口で千織が手を振りながら呼んでいる。
近付いて思わずまじまじと見下ろせば、確かに運動嫌いのせいか色は白いし手足も細い。身長もこんなに見下ろせるくらい低かったっけか。
というか制服、俺と違うんだな。いや、当たり前か。
「何か用か?」
「今日、バレー部の見学行くんでしょ?私も一緒に行ってもいい?」
「おう」
別にわざわざ聞かなくても勝手にすればいいだろ。頷きながらも疑問が引っかかって、首を傾げる。
「お前もバレーやるのか?運動嫌いだろ」
「やりません。あと運動が嫌いじゃなくて運動に嫌われてるの」
「どういう意味だよ…。というかじゃあなんでバレー部見学行くんだ?」
「あのね、マネージャーやってみたいなーって思ってるんだけど…だめ?」
「別にいいんじゃねえの?」
子供の頃からクラブチームの練習だの試合だの見に来てたし、別にその延長みたいなもんだろ。そう言えば、千織はやったと言って嬉しそうに笑う。
確かにアイツが言ってた通り、にこにこ笑ってるな。でも眉吊り上げて頬膨らませて怒ってるのもよく見るし、昔はよく泣いていた記憶もあるけど。
アイツはこいつのことが好きだとか仲良くなりたいとかそわそわしながら言っていたけれど、どういうことなのかいまいちピンと来ていない。好きで仲良くなりたいなら、そうすればいいんじゃないのか。
「よかった」
「何が」
「飛雄がダメだって言ったら、いっそ帰宅部でもいいかなって思ってたんだけど」
「別に俺が決める事でもないだろ」
「そんなことないよ。飛雄がバレーしてるとこ見るのが一番好きだけど、邪魔はしたくないもん」
「………?」
ざわり。
へらりと笑う千織の言葉に、体の奥が蠢くような違和感を覚える。頭の中心から背中を通って心臓の奥でざわざわと暴れたそれは、やがてストンと腹の底に落ちた。
ああ、そうか―――…
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空が白み始めた頃、一度家に帰った俺は部屋に入ると背中を扉に押し付けてずるずると座り込んだ。ばくばくと脈打つ心臓の音を聞きながら、深く腹の底から息を吐き出す。
今の感情を、どう表現すればいいのかわからない。
「あー……」
昨日の千織の笑顔とぽかんと驚いた表情、さっきの怒ったような泣き顔が巡るように頭に浮かぶ。つい、溢れるように、告白してしまった。
アイツのことが好きなんだと気付いたのは中一の春。だけど気付いたからと言って特に何かが変わったわけじゃなかった。
相変わらず俺の世界の中心は大部分をバレーが占めていて、バレーが好きなように、カレーが好きなように、ただ当然のように千織が好きだった。ただ昔から変わらずアイツがいて、これからもそうだと思っていたしそれで十分だと思っていたのに。
いつからだ。幼馴染という関係が見えない壁のように感じ始め、他の奴から千織の名前が出て来ることに苛立つようになり、アイツが他の奴と笑っていることに焦りのような不満を覚え始めたのは。
今までは何度聞かれてもわからなかった、“幼馴染”と“付き合っている”関係の違いにようやく気が付いた。
「………受験って終わるの何月だ」
首の皮がつながったという安堵と、じわじわ綿で首を絞められるような息苦しさ。昨日何事もなかったような表情のまま無言で去っていくアイツの背中を見て、終わったと感じた瞬間を思い出す。
「だっせぇ……」
結局、傍にアイツがいるだけで十分だったわけじゃない。言いたいことを言って、アイツが離れていくのが怖かっただけだ。
この冬が終わったら。そんなことを考えるだけで息苦しくて、俺は白い天井を見上げて大きく息を吐き出した。
春を待つ
20190709