だんだん12月に近付いて冬の気配が濃くなると、夜が訪れるのも早くなる。すっかり暗くなってしまった外を見て、私は鞄を持って自習室を出た。
大学受験がだんだん間近に迫ってきて、嫌でも自分が受験生だという事実に追い込まれていく。幼馴染の2人はスポーツ推薦で大学が決まるだけに、なんとなく不公平を感じてしまっていた。
「みょうじ、今から帰るのか?気をつけろよ」
「はーい、さようなら」
廊下ですれ違った先生に挨拶をして、正門とは反対の方へと向かう。中庭を通り過ぎてもうすぐ体育館が見えるというところで、部室棟の下に幼馴染の1人を見つけて私は小走りになった。
「はじめ!ごめん、待たせた?」
「いや、今出てきたとこだ」
「そっか。及川は?」
「部室で騒いでるからほっとけ」
呆れたような苛立ったような、そんな顔をしてはじめがため息を吐く。及川の面倒臭さにはじめがこんな顔をするのは、いつものことだ。
私は小さく笑うと、はじめと並んで正門の方へと歩き出す。冷たい風がスカートの裾や襟元から入り込んできて、思わず私は身を縮込めた。
「さっむーい…!」
「手袋とかマフラーは持ってきてねぇのかよ」
「持ってきたいけどさ、周りがまだしてないんだもん。自分だけするの恥ずかしいじゃん」
「寒がりのくせに意地張ってんのか。風邪引かねぇように気を付けろよ」
はじめのその台詞に及川の“岩ちゃんってたまに母親みたいだよね”という言葉を思い出して笑いそうになってしまう。笑ったら絶対怒られるから我慢するけど。
しかし寒い。特に手が冷えて外気に晒すのがつらくなってくるほどだ。
「はじめー…」
「ん?」
「ポケットに手、入れていい?」
半分冗談、半分本気で。私よりずっと背の高いはじめを見上げて尋ねれば、はじめは何とも言えない奇妙な顔をする。
寒い、とダメ押しのように呟けばはじめは諦めたようにため息を吐いた。
「幸せ逃げちゃうよ、はじめくん」
「うっせぇ、誰のせいだ!入れてやんねーぞ」
「うそですごめんなさい入れてください」
慌てて笑いながらも謝ると、はじめの左のポケットに右手をそっと差し込む。中ではじめの温かい手と私の手が触れて、どきりと跳ねる心臓。
手を繋ぐわけじゃない、ただ私のよりずっと大きなはじめの手が私の手を包み込んでくれる。手だけじゃなくて、頬も熱くなってきたのは気のせいじゃない。
「なまえ、」
「な、なに?」
「及川にもこういうこと、してんのか?」
責めるような口調ではなかった。けれど感情がよく読み取れない声に戸惑って、はじめを見上げる。
けれどはじめは真っ直ぐ前を向いて歩き続けていて、表情はよくわからない。何を思って聞いているのかわからないまま、私は頭を必死に回転させて言葉を選ぶ。
「及川には、したことないよ。しようとも思わないし」
「そうか。ならいいんだけどな」
「………なんで?」
「あー…あれだ。及川は面倒なことになるかもしれねぇだろ、女関係とかよ」
なるほど。確かに私が及川のポケットに手を突っ込んでいて、それをあいつのファンに見られたら面倒なことになるだろう。
納得しながらも、はじめには気付かれないように落胆する。心配してくれるのは嬉しいけれど、もっと別のことを期待していた自分がいるからだ。
「大丈夫だよ。こんなの、はじめにしかしないもん」
はじめだけ。私にとっては、ずっとはじめだけが特別だ。
ポケットに手を入れることだけじゃない、名前で呼ぶのだってそう。及川のことは周囲に誤解されたり茶化されるのがイヤで、徹と呼んでいたのを変えた。
でもはじめだけは名字で呼ぶのも呼ばれるのもイヤで、色々頑張っていたことをきっとはじめは知らないだろう。及川は多分気付いているけれど、はじめは妙に鈍いところがあるから。
「はじめは、困らない?」
「何がだよ」
「こういうの。見られたら困る女の子とか…」
「いねえよ」
その答えにほっとして、それから納得する。確かにそんな子がいたらはじめとは一緒に帰ることもできなくなりそうだ。
できればそんな子ずっと現れなければいい。そしてこの幼馴染というだけの関係性を、いつか変えることができたなら。
「あのな、」
「うん?」
「俺だってな、こんなことなまえにしかさせねぇよ」
ぶっきらぼうな声が降ってきたかと思えば、ポケットの中の手をぎゅっと握りしめられる。それはさっきまでの包むような形じゃなく、繋ぐような形で。
心臓がバクバク脈打ちはじめて、狼狽えているのを丸出しで頷くことしかできない。ただそっと手を握り返したら体温が2度ほど上がった気がした。
あともう一歩
(いつ踏み出そうか)
20141124