物心ついたころに、私には二つの記憶があることに気が付いた。一つはごく普通の、今まで生きてきた幼い足取り。

もう一つは、別の世界で生きた記憶。年々はっきりと、当たり前のように存在する"今"ではない記憶を、私以外は持っていないと知ったのは小学校にあがってしばらく経った頃だったと思う。

その世界で私は貴族の家に生まれた五番目の子供だった。本来であれば政略結婚により嫁ぐはずが、騎士団と評議会に入った兄が二人とも不出来だったせいで、私に白羽の矢が経った。

男のふりをして、騎士団に入れと。今考えてもとんでもない家、とんでもない親だと思う。いくら背が高く胸がぺたんこで色気がないとはいえ、年頃の娘にいきなり男のふりをしろとは。

しかしこれが意外とバレなかった。複雑なことに。

深紅の髪を短く切り添え男のふりをして、私は騎士団で過ごした。一年ほど経ったところでまるでラブコメのようにある人にバレて、のちに恋人になったりしたのだけれど。

その世界はそんな少女漫画のように、甘い世界じゃなかった。身分が全てのような国。

私の記憶は何気ない仕事帰りの夜道で、黒く塗り潰されるように途切れていた。そこでその私の命は終わったのだろう。心当たりならそこそこにはあった。

その記憶は前世とでも言えばいいのだろうか。だけど前世は前世、今は今。

そこそこ感情移入はあるものの、一つの映画の記憶のように、割り切って受け入れることはできている。一つだけ気になることがあるとすれば、それは残してしまった恋人のことくらいだろうかーーー。


「おいおいおいおい、まさかこんだけしか持ってないわけじゃないだろぉ?」


うるさいな。人がせっかくいい感じに語ってんのに。

眉を顰めながら嫌な声がする方へ首を傾ければ、コンビニの横の路地に複数の黒い影。どこからどう見てもカツアゲだ。

チャラチャラ着崩した制服の男三人に囲まれているのは、いかにも模範生に見える気弱そうな少年。ていうかどっちもうちの高校の制服じゃん。


「…………だっさ」


前世なら実力行使で止めに行ってるところだけれど、今はそうはいかない。少し離れて交番にでも連絡しようと考えていたところ、うっかり本音が口から零れ落ちた。

アっと思ったときには予想以上に響いたその声に、不良たちがぐるりと振り向く。素知らぬ顔をして誤魔化そうとしてみたが、ブルドッグみたいな顔した奴らが体を揺らしながら近付いてきた。


「おう、兄ちゃん。今なんか言ったか??」

「こいつガリ勉くんより金持ってそうじゃーん」


確かにジーンズにTシャツの長身短髪だけど誰が兄ちゃんだ。カチンときながらも、へらりと笑ってみせる。


「何も言ってないですよぉ。それに私、これでも一応女なんですけど」


相手が女だと分かればさっきの失言も忘れてくれるかも。一縷の望みにかけてにっこり笑って見上げれば、不良たちは私の上から下まで、というか人の胸元をジロジロ見て。

ぷっ、と吹き出した。何がおかしい。


「そりゃ悪かったな。そんな前か後ろからわからねえ胸してるから、てっきり男かと」


………………………………す。


「ふーん、よく見りゃそこそこ小綺麗な顔してるじゃねえか」

「よし、今から俺達が遊んでやるよ。金はそこのガリ勉くんがーーーぶぎゃっ!!」


殺す。殺す。絶対殺す。

ニタニタ笑いながら私の肩に触れようとした奴の顎に、まずは一発。ダウンした男のあらぬところを、不能にはならない程度に手加減して踏み潰す。


「ぎぁっ!?!!」

「よっちゃん!?」

「しばらく地面で悶えてな」

「このクソ女!よっちゃんに何しやがる!」

「うっさい!お前らは言ってはいけないことを口にした!!!」


殴りかかってくる二人目の側頭部に、怒りの衝動のまま回し蹴り。路地の壁に激突して伸びる彼を見て、最後の一人とガリ勉くんとやらが小さく悲鳴をあげる。

いや、ガリ勉くんに怖がられたのはちょっとショックなんだけど。


「なに、まだやんの?」

「こ、この…っ!女が調子乗ってんじゃねーぞ!!」


完全にへっぴり腰で胸元掴まれても。ていうか女の胸倉掴んでおいて生きて帰れると思うなよ。

勢いのまま腕を取って投げ飛ばそうとした、その時だった。


「ーーーそこで何をしている!」


げ。慌てて振り返ると路地の奥に人影が見える。

この状況で喧嘩だと通報されたらさすがにまずい。慌てて不良の腕を振り解くと、くるりと背を向ける。


「ガリ勉くん!面倒なことになりたくなけりゃ、さっさと家まで走って!」

「は、は、はひっ」

「ーーー待て!!」


なんとなく、何故かなんとなく、その声に後ろ髪を引かれるような感情を覚えた。

けれどこの状況で待てと言われて待つわけがない。私は最後についでとばかりに地面に伸びた不良二人を踏み付けて、全速力で駆け出した。


ーーー


「はぁ、はぁ………。さすがにここまで来れば大丈夫よね」


10分ほど走っただろうか。閑散とした住宅街にある、もう営業しているかもわからないタバコ屋さんの自販機の隣にずるずると座り込む。

コンビニにアイス買いに行っただけで面倒なことに巻き込まれるなんて。さっきの男の人が学校の先生だったら危うく停学にされるところだ。

そういえば、さっきの男の人。妙に心に引っ掛かる。


「なーんかあの声…どっかで聞いたことあるような………」


学校の先生じゃない。斜め向かいに住んでる猫好きのおじさんでもない。

どこだったけ。ゲーセン?バーガー屋?友達のお父さんとか?いや、あの子のお父さんはダミ声のハゲだしな。


「んー…気のせいかなぁ……」

「何がだ」

「いや、あなたの声どっかで聞いたことがある気が…」


あれ。考え込むうちに俯けていた頭を慌てて上げると、スーツ姿の男の人が私を見下ろしていた。

この声、さっきの男の人だ。まさかここまで追ってきたのか。いや、そんなことよりも。


「あ……………」


この声。銀色の髪。赤い瞳。この面影。

私、知ってる。"私"が、覚えてる。


「アレクセイ…………?」


"記憶"の中で"私"が何度も呼んでいたその名前。親しみと愛しさの詰まった、恋人の名前。

信じられない気持ちで恐る恐る呼べば、彼の表情が何かを堪えるかのように歪んだ。


「ナマエ」

「あ…………」


アスファルトに膝をついた彼に、肩を引き寄せられて抱き締められる。今の私は知らないはずなのに、その腕の中の温もりに覚える懐かしさ。

胸の奥がぎゅっと詰まる。どくどくと心臓が息を吹き返すように脈打ち始めて。

思うより先に、彼の背中にしがみつくように腕を回していた。


「…本当にアレクセイ?」

「ああ…」


前世は前世、今は今と割り切っているつもりだったのに。彼を目の前にした今、私は"私"との境界線がわからなくなっていた。

全身で彼を感じるように、額を押し付けて息を吸い込む。耳の横で微かにため息が響いた。


「……やっと見つけたと思ったら逃げられたせいで、嫌な汗をかいたぞ」

「だって、まさかアレクセイがいるなんて思いもしなくて………ごめん」


この世界に生まれてから今まで一度も前の記憶にある人物には出会ったことがなかったのだ。家族すらまるっと違う。

だからもう、二度と会うことなんてないと思っていた。またこうして出会えるなんて、それこそ少女漫画の中でしか起こらないような奇跡だと思っていた。

今だって、実は『喧嘩で負けて意識を失っているだけの夢オチでした』と言われても可笑しくないと思ってる。


「それにしてもあんなところで喧嘩とは…。大方理由は想像がつくが、君は変わらないな」

「あー…さっきの不良ね。ふふ…、どうせ相変わらず胸か背中かわからないほどの貧乳よ」

「そういう話では……いや、私は君のその控えめさが好きだが」

「怒りにくいフォローをどうもありがとう!!」


抱き締めたままの腕で、彼の背をばしりと叩く。くつくつと可笑しそうに揺れる肩。

こんな時の笑い方は記憶と変わらない。あの頃私は、正義感が強く剣の腕が立ち、頭も切れて誰もを惹き付ける魅力を持った彼に夢中だった。

進む先がどんな茨の道であっても、彼とならばとーー。


「ねえ。私がいなくなったあと、どうしてた?」

「そうだな……。君が生きていれば、間違いなく君に殺されるようなことをした」


聞くんじゃなかった。私がいなくなったあとに変わっちゃってたこの人。私に殺されるようなことって何やらかしたんだ。

それこそ民間人巻き込んでの大革命とかーーーやっちまったのだろうか。もしかして。


「幻滅したか」

「や…別に、幻滅はしてない。なんか、わからなくもないし」


握りしめた拳から血が流れ、腸が煮えくり返るような出来事があの頃はいくらでも起こった。敵は胸糞悪い奴らばかりで。

アレクセイがあの頃目指した先に進めば進むほど、失うものは多かっただろう。きっと私には想像もつかないくらい、狂ってしまいそうなほどに。

だけどもうそんなことを引っ張り出して、ああだこうだと言っても仕方ない。前世は前世、今は今。


「そう、今よ。私は今のこの状況のほうが気になる」

「何か問題でも?」

「いや、スーツの男が女子高生抱き締めてちゃ誤解されかねないじゃん。通報されない?」

「安心しろ、私が警察関係者だ」

「あー…」


なるほど。それっぽい。この人めっちゃ警察の上司にいそうなタイプ。

ドラマでもいるよね、新人警官の主人公にめちゃくちゃ理解ある理想の上司とか。大抵そいつが黒幕だったりするんだけど。

………………………。


「……今度は悪さしないようにね」

「そっくりそのまま返させてもらう。君はもう少し大人しくなるべきだ」


ため息と共に少し腕が離れて、額を合わせながら見つめ合う。記憶にある青臭さの残る真っ直ぐな瞳より、様々な感情が混じり合う深みを増したーー孤独の色。

"私"の知らないその表情が、真っ直ぐ胸に突き刺さって。ああ、もう。

前は前、今は今と割り切ったはずなのに。今の彼を、私はまだ何も知らないのに。


「……大人しくなるように、見張ってみる?」

「私の手に負えればいいんだが」


きっと私はまたこの人を愛してしまう。

きっとまた

20190521


転生現代プチ連載しようと思ったんですがアレクセイ感が出せずに断念してしまったので供養。

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