ミミナナ救出編
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朝一で終わらせた任務の報告もそこそこに次の任務が割り当てられ、新幹線と電車と1日に2本しかないバスに乗ってやってきた山奥。ここから目的地の村まではまだ山道を歩いてしばらくかかるようだ。9月に入ったばかりでまだ暑い。私の歩幅を合わせて歩いてくれている傑くんの背中を見ながら、ふうと気付かれない程度に息を吐いた。
傑くんのテンションがどんどん落ちていっている。原因は今から当たることになる任務だ。今回の任務は窓からの報告で発生したものではなく、住人からの相談で発覚している。ということは必然的に非術師との関わりが生まれてしまうし、田舎だと呪いに対して何かと面倒な認識が生まれていることも多い。
普通の術師でも嫌な思いをすることが多いのだ。非術師嫌いを公言している傑くんは尚更。表面上は以前と変わらず丁寧に対応しているけれど、内心かなりストレスを抱えてしまうようだ。少し精神状態が不安定になる。
「傑くん」
「……うん?」
ぼんやりしていたのか少し反応が遅い。隣に並ぶと少し汗ばんだ大きな手を握る。影を帯びていた目元が少しだけ和らいだ気がした。
「…大丈夫?少し休憩する?」
「いや、何も問題ないよ」
「無理しないでね。呪いの気配がしたらすぐそっちに向かってくれていいから。一般人の対応は全部任せて」
ね、と声を掛ければ傑くんは穏やかな表情で私を見つめる。ふと木々の間から差し込まれていた太陽の光が遮られた。傑くんの顔が近くなったからだ。あ、と思った時には距離がなくなっていた。
ふに、と唇に押し当てられる柔らかい感触。呆けている間にそれは離れていく。けれど少し身じろげば再び触れてしまいそうな距離。傑くんの色っぽい瞳が私だけを映している。繋いでいない方の大きな手のひらが私の頬に触れ、髪に差し込まれて、後頭部に回る。頭がぼうっとして、私は何も考えずに瞼を閉じた。
「ん…………」
今度は少し深く唇が重なる。丁寧にゆっくりと啄まれる感触が心地良い。うっとりとしているとぬるりと舌が差し込まれる。さらに上がる体温。優しく口内を撫でられてだんだん傑くんのこと以外何も考えられなくなってくる。力が抜けそうになって、私は繋いだ手と、傑くんの白いシャツをきゅうと握りしめた。
「…っ、危ない。我慢できなくなるところだった」
「ふえ……?」
「…千里、行けるかい?さっさと終わらせてしまいたい」
「え、あ、う、うん」
少し強引に手を引かれながら再び山道を歩きだす。何度もまばたきを繰り返して熱を帯びた頭を冷ましながら、私は半歩前の傑くんを見上げた。機嫌、直ってる。むしろめちゃくちゃ任務やる気満々になってる。いいことなんだけど気恥ずかしい。
無言で歩き続けていると、少し山道の様子が変わってくる。人の手が加わっている部分が多くなってきた。きっともうすぐ到着だ、と気が緩んだ瞬間のことだった。
「……っいっだ!!」
「千里?」
ビリビリっと首の後ろに電撃が走ったかのような衝撃。思わず足を止めて首筋に手を当てる。今のは。
「大丈夫かい?虫にでも刺された?」
「あ、ううん、なんでもない。ちょっと変に首を捻っちゃっただけ」
「そう?」
大丈夫だと笑って再び歩き始める。だけどまだ首の裏はびりびりと痺れていた。本当に捻ったわけでもなければ、虫に刺されたわけでも呪霊の影響を受けたわけでもない。
これは神気のせいだ。
知った気配じゃない。だけど確かにこの地には神の気配が残っている。それも信仰が厚く残りやすい田舎では珍しいことじゃないけれど、こんな風に干渉を受けるのは初めてだった。自分の加護を与えている土地に神の魂を持つ私が侵入したことが気に入らないのか。それともこの土地で悪さをしている呪霊をさっさと片付けろと急かされているのかもしれない。
なんだか、嫌な予感がする。
「……顔が強張っているけど、本当に首を捻っただけかい?」
「違う、かも…。でも大丈夫、大したことないよ」
「いや、今回別行動は避けよう。呪いの気配はまだしないけど心配だ。呪霊を祓ったあと私も集落まで同行する」
「え、でも……」
「千里。君より大事なものなんて私にはないんだよ」
真摯な眼差しでそう言われてしまえば私は頷くほかない。先に私だけ代表者に会いに行く予定を変更して、2人で呪いの気配を探ることになった。
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呪霊の方は傑くんの力で何一つ問題なく祓い終わった。それでも刺すように感じ続ける神の気配。呪霊を対処してもこれということは、ただの私への嫌がらせだったのかもしれない。よほどこの土地が気に入っていて、他所の神の気配が入り込むことすら嫌ったのだろう。
早く代表者への報告を終わらせてこの地を出ればいい。そう、考えていたのに。
「――――これはなんですか?」
感情の全てを押し殺したような傑くんの平坦な声が響いた。
あとは傑くんと2人で、神隠しや変死の原因は取り除いたのでもう心配いらないと報告するだけだったのだ。なのにこちらの話も聞かずに、住人たちの口からは「あの子たちが」「化物を捕らえている」「退治してくれ」と不穏な言葉ばかり飛び交う。この時には首の裏どころか頭がガンガンと痛み始めていた。そして彼らの言う“原因”の元へ連れて行ってくれと話したところ、コレだ。
古い屋敷の奥に残った座敷牢。その中に、幼い少女が2人閉じ込められていた。暴力によって変形した顔と紫になった肌。破れた衣服にこびりついた血。縋るように互いに抱き締め合う2人の姿に、ざあっと血の気が引いていくのを他人事のように感じていた。
「この2人が一連の事件の原因でしょう?」
「違います。原因はもう私が取り除きました」
「これはれっきとした犯罪行為ですよ。座敷牢の鍵を渡してください」
努めて冷静に手を差し出すが、彼らは納得できないらしく彼女たちが原因だと言い張る。どうやら幼い少女たちには呪霊を視認できるほどの呪力が備わっているようだ。それが彼らには化物のように思えたのだろう。大昔から、珍しくはない話。鍵を手に入れることは諦めて、少女たちと目を合わせるようにしゃがみ込む。
「ね、少し後ろに下がれるかな?すぐに出してあげるから」
「……う、うん」
「い、いけません!この子たちは…!」
抗議を無視して水晶を指先に抓むと、呪力を込めて腕を何度か振るう。スパンッと木の檻が細切れになるのを見て、背後からヒッと小さく息を呑む声が聞こえた。目を丸くしている2人に近付くと、にっこりと微笑んで上着を脱いで掛けてやる。するとその瞬間に、頭を蝕んでいた痛みがすうっと嘘のように引いていった。
「………千里」
静かな声が私を呼んだ。振り返る。深淵を切り取ったかのような瞳が私を見つめていた。わかっている。言いたいことも、彼の目の前にある選択肢も。全部わかっているけれど。
その全てが今は後回しになるほどの問題が、私の足元までせりあがってきていた。
「傑くん、こっちにきて」
「私は、」
「いいから!!早く!!!」
尋常ではない様子の私に気付いたらしい。叫び声に反射するかのように傑くんが私の方へと動き出す。怪訝そうに首を傾げている村人たち。
―――子供は7つまで神の子だ。神そのものと言ってもいい。だから自ら加護を与えた地で、我が子我が同胞である子供が虐げられて、怒りを覚えないわけがないのだ。そして神の怒りは、常に無慈悲。
「伏せて!!!!」
地の底から恐ろしいほど膨れ上がる神気に叫ぶのと、大地が激しく突き上げられるのは同時だった。このままだと建物は崩れて押し潰されてしまう。私たちはまだしも一般人は。すぐに結界を張るべく水晶を投げ飛ばすと、まるで余計なことをするなとばかりに空中で砕け散る。最悪だ。咄嗟に少女たちに覆いかぶさると、視界が暗くなる前に、傑くんの声が聞こえて背中に温もりを感じた。
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何が起こったのかはわかっている。だけどあまりの出来事に脳が処理しきれていなかった。
始まりは思えば千里の不調だったのかもしれない。檻の中の少女たち。彼女たちを化物と呼んで虐げる猿共。もう無理だと思った。私には無理だと。彼らを守る大義が見つからない。
だけど。
私にとって最も大切で愛する女性。彼女の様子が可笑しかった。考えるよりも先に体が動く。視界の隅で砕ける彼女の水晶。彼女が少女たちに覆いかぶさるのを見て、すぐに私はその背を包み込むと使役する呪霊をさらに壁にする。
感じたことがないほど長く激しい揺れ。呪霊の向こうから聞こえてくる猿の醜い悲鳴が聞こえないように、殊更強く彼女たちを抱き締めた。どれほど地鳴りは続いただろうか。ようやく収まったかと呪霊を退かせば、景色は一変していた。
「千里、怪我はないかい?体調は?」
「大丈夫。痛みも治まったみたい。ありがとう」
にこりと微笑んだ彼女が、抱き締めていた少女たちを気に掛けている。双子だろうか。おそるおそる私を見上げてくる少女たちの頭をそっと撫でてやれば、安心した表情が返ってくる。
「もう少しだけ我慢してね。私たちの友達が、あなたたちの怪我をすぐに治してくれるから」
「………うん」
「ありが、とう……」
彼女も反転術式自体は使えるものの、治療できるほどではないし、1年前のこともあって使用は止めている。それにしてもこれをどう担任に説明したものか。立ち上がってゆっくりと周囲を見渡しながら、私は無感情にまばたきをした。
異様な光景だった。あの激しい地震で土砂崩れが起こったのだろう。小さな集落は全て山に飲み込まれていた。私たちのいた座敷牢だった場所を残して。猿共はほぼ全滅とみていいだろう。千里の不調はもしかするとこの大災害を、第六感といえる部分で感じ取っていたのかもしれない。なんにせよ呪いの気配がないのであれば、私たちがするべきことは何もない。
「やっぱり携帯圏外か…。傑くん、どうやって帰る?」
「ひとまず私の呪霊でここを離れよう。この規模なら自衛隊とか派遣されても可笑しくないけど、出くわしたら少し面倒だ」
「うん、わかった」
4人乗れるサイズの呪霊を呼び出すと、おっかなびっくりしている少女たちを乗せる千里の横顔を見つめる。出会った頃から彼女は変わっていた。呪霊に酷い有様にされた猿を見て取り乱すどころか動揺する彼女すら見たことはない。悟や硝子にも「意外と情がない」と言われている。
今も2人を見つめる瞳はとても優しい。けれど先程まで存在していたはずの猿共を気に掛ける様子は一切なかった。一度だけ集落のあった場所を見下ろした彼女の横顔に微かな憐みは浮かんでいたが、他には悲しみも痛みも嘲りも怒りもない。ただ目の前で起こったことが自然であるかのような静かな眼差し。
もしかすると私よりも彼女の方が、猿に救う価値を見出していないのかもしれない。
20201229 pixiv投稿