ミョルゾの街を出てバウルに乗って空を泳ぐ。エステルは遠い地平線の果てを眺めながら、深く息を吸った。
「そういえばジュディス。ジュディスはオルガが始祖の隷長だって知っていたんです?」
「ええ、バウルから話だけは聞いていたわ。さすがに本人に会ったときは人違いかと思ったけれど」
微笑みながら肩を竦めるジュディスにエステルは首を傾げる。どうして人違いだと思ったのだろう。
それに答えたのは床に座って剣の手入れをしていたユーリだった。
「どこからどう見ても人間だったからじゃねえか?フェローが人間のふりをしてても、絶対違和感あっただろうしな」
「ふふ、そうね。でも私が人違いだと思ったのは、彼女が思い描いていたような雰囲気じゃなかったからよ」
「ジュディスはバウルからどんな風に聞いていたんです?」
エステルが尋ねれば、ジュディスは思い出すように空を見上げる。そういえばオルガもよく空を見上げていたけれど、今になればその理由もわかった気がした。
「フェローと同等、もしくはそれ以上に力がある始祖の隷長らしいわ。感情的で気まぐれ、それから怒ったらものすごく怖いんですって」
「へぇ…それだけ聞いてたら、俺は気の強いお姉さんを想像するな」
「私の知っているオルガとは違っている気がします…」
そう言って少し寂しくなる。エステルの知っているオルガはとても落ち着いていて、大人の女性の理想像のような人だった。
けれどそれは人間の世界に溶け込むための偽りの姿で、本当の彼女ではなかったのだろうか。そこでふと気が付く。
「そういえば、オルガってアレクセイの奥様なんですよね。それって…」
「気になるねえ。騎士団長は知らないのか、知ってて結婚したのか。それともお互い利害の一致でってやつなのか…」
軽い口調を装いながらも、どこか憂いを含んだ表情でレイヴンが呟く。ギルドの人間として何か気になることでもあるのだろうかと不思議に思いながらも、エステルが思い出すのは2人が共にいる姿だった。
「私、あの2人はやっぱりお似合いだと思います」
「でも始祖の隷長と人間よ〜?」
「愛に種族は関係ありません!」
「そうね、友情にだって種族は関係ないもの。それに最初は利害だけの関係だったけれど、次第に愛が芽生えてっていうのも素敵だと思うわ」
ジュディスがバウルという種族を超えた親友を見つめて笑う。始祖の隷長と帝国騎士団長、相容れぬように思える種族の2人は一体どのようにして愛を育てたのだろうか。
両手を組んでうっとりと想像を膨らませていると、船室から出てきたリタが近付いてくる。その表情はやや呆れ気味だ。
「実際はまた人魔戦争が起こらないようにって、互いが互いを監視してるだけなんじゃないの?」
「だったら結婚なんてわざわざする必要はないと思います!」
「……ま、どうでもいいけど。とりあえず今はエアルの抑制方法よ」
ぶつぶつとリタが難しい言葉を呟きながら、今後まずはどうするべきかを考えている。そんな彼女をエステルがじっと見つめていると、その視線に気付いたリタが力強い瞳で見つめ返した。
「心配しないで、エステル。あんたのことは絶対私が助けるから」
「いえ、はい、リタのことも皆のことも信頼してます」
「何、そのちょっと含みがある感じ」
「えっと……あの、お願いがあるんです」
目の前のことにすぐ目移りしてしまって、本来するべきだったことを忘れてしまうのは悪い癖だとはわかっていた。そのせいで仲間を振り回してきた自覚もある。
けれど、これはどうしても伝えておきたかった。
「何?お願いって」
「その……私たちで星喰みを何とかできないでしょうか…」
「……………」
ある程度は予想していたのだろう、リタは特に驚いた様子もなくエステルを見つめる。呆れて怒られてしまうだろうかと不安になっていると、リタは深く長い息を吐きだした。
「はぁぁ……あんたなら絶対そう言い出すと思ったわ」
「だ、だって、星喰みになった始祖の隷長たちがかわいそうじゃないですか…」
「でもこの世界が結界に守られてて安全っていうなら、まずはそれを保てる状態にする方が重要でしょ」
「それはそうかもしれないですけど……」
このまま結界に包まれた世界を維持するために、エアルの抑制方法を探しているのはわかっている。けれどエステルはどうしても、オルガの悲しそうな表情が忘れられなかった。
「エアルの抑制方法も見つかっていないのに、星喰みをどうにかしようだなんて夢のまた夢じゃない?」
「ジュディス……」
「そうよ。ま、リゾマータの公式に辿り着ければ星喰みをどうにかする方法もわかるかもしれないけど」
ジュディスとリタが視線を交わして笑みを浮かべる。そんな2人を見て、エステルはぱっと笑顔になった。
「じゃあ、早くリゾマータの公式を見つけなきゃいけませんね!」
リタならばきっと見つけてくれる気がする。確かな期待を胸にエステルは青い空を見上げた。
偽りを剥ぎ取って
(本当の空をあげたいから)
20150419