愛しいあなたとの間に雨が降る


ぼろぼろと涙がこぼれて止まらないのに、なぜか現実を受け入れてしまう自分がいることを冷静に受け止めていた。
溢れる涙は網膜に焼き付いた先程の光景を洗い流してはくれず、車のワイパーのようにかえって記憶を鮮明にさせる。
ブチャラティの腕に絡む白くて細い腕と絹糸のようなブロンドが風になびく。均一にカールされた睫毛に縁取られたブルーアイズとコケティッシュなピンクのルージュがブチャラティへ愛を囁く。
それはどれも私のことではない。
さっき見かけたブチャラティの隣を歩いていた見知らぬべッラのことだ。
私の腕はあんな華奢ではないし、黒髪は風にはなびかないほど短い。マスカラもルージュも童顔の上では浮いてしまうのだ。
申し訳なさ程度に塗ったマスカラもこの涙でとうに流れてしまった。恋するマスカラ、なんてキャッチコピーのマスカラだったことを急に思い出して皮肉だなと思わず笑いが込み上げた。
ブチャラティと話していたベッラの言葉がリフレインする。

『ブローノ。また私と付き合わない?』

彼女の一言で全て解ってしまった。
ああ、彼女はブチャラティの元恋人だ。
綺麗な人。私とは全然違う。月とすっぽん。雲泥の差。
二人で並ぶとモデルみたいで、ブチャラティの隣が良く似合う。
それから、彼女はブチャラティのことをブローノ、と呼んだ。
私はまだ呼んだことがないのに。
あの二人はどのくらい長く付き合ったのだろう。
あの二人はどうして別れてしまったのだろう。
彼女はまだブチャラティのことが好きなんだろうか。
ブチャラティは。
ブチャラティは彼女とよりを戻すのだろうか。
私はどうなるのだろうか。
私は。
決まっている。フラれて終わりだ。

『ナマエ、別れてくれ。俺はやっぱり彼女がいい』

ブチャラティの姿と声を想像してフラれる覚悟を決めようとしたが、更に涙が止まらない。
バタリ、とドアの開く音がして、私は慌てて涙を拭いてキッチンへと逃げた。

「ナマエ?」

「……ん」

俯いたまま振り返らない私を不思議がってブチャラティが回り込んでくる。
顔を見られたくなくてさっと背けた。

「どうした?」

「今は見ないで……見られたくないの」

「……解った」

ブチャラティはそう言って私を後ろから抱き締める。

「ブチャラティ……」

「これなら見えないぞ。……何があった?何もないって言うのは無しだぞ」

ブチャラティは私のはぐらかす癖を見越して逃げ道を残してくれない。
こんな時、どんな風に伝えればいいのか私には最善策が思い付かない。

「……綺麗な人だったね」

「うん?」

「さっき一緒にいた女の人。……元カノでしょ?」

「ああ。……すまん、不愉快な思いをさせたな」

「ブチャラティはなにも。……あんなベッラとどうして別れたの?」

「……今となっては詮ないことだ。つまらない理由さ」

「それなら」

私の肩口に顔を埋めたブチャラティの息がこもって熱を帯びる。

「彼女とやり直すの?」

今の言葉を震えずに言えただろうか。
別れたくはないのだけれど、フラれるならせめてブチャラティに罪悪感を残したくない。

「……まさかだろ」

すぐ耳元で聞こえるブチャラティの声音に、私は震えた。
うんざりとしたような声に、続く言葉に、私はぎゅっと目を瞑って耐える。

「俺がナマエを手放すわけないだろう。毎日これ以上好きになることはないって思うのに、それでも昨日より今日の方がナマエのことが好きなんだ。きっと明日は今日よりもっと好きになってるだろうさ」

「……私は彼女みたいに美人じゃあないよ?」

「アイツと比べても意味がないだろう。俺がナマエのことを好きで可愛いと思ってるんだから他人は関係ないな」

「……ほんと?」

「嘘ついてるかどうか舐めてもいいぞ。それとも具体的に言ってほしいのか?」

ブチャラティが自分の頬を指で指して笑う。私は少しだけ笑って首を横に振った。

「そうか。……真っ白な肌が好きだ。照れると真っ赤になるのが可愛い。黒髪も肌とのコントラストが綺麗だ。ショートヘアーがよく似合っているしうなじについ見惚れちまう。薄化粧も好感が持てるしナマエの元々の美しさを引き立たせていると思うぜ。あとは、」

「ちょっと待って……」

先程の否定を後に言ったことの肯定と取ったのかブチャラティが具体的に誉めてくる。低く甘い声が私の羞恥心を煽る。

「何だ?ああ、照れているのか。首まで真っ赤だ。可愛いな。まだ顔を見ちゃ駄目か?」

「……駄目」

「悪い。見ちまった」

私の肩を掴んでぐるんっと正面を向かせたブチャラティが悪びれもせずに笑った。
ああ。もう。涙でメイクも落ちている顔なのに。
見られるのが恥ずかしくて俯いていると、そのまま引き寄せられて抱き締められた。

「悲しませて悪かった」

「……ブチャラティのせいじゃあないよ」

「それなら尚更だ。ナマエの涙でさえも欲しいんだ、俺は」

ブチャラティの指が私の涙の跡をなぞり、甘いキスが雨のように降ってくる。
ブチャラティが私の涙さえ欲しいのと同じように、私だってブチャラティの過去さえ欲しいのだと言ったらどんな顔をするのだろうか。
この雨が上がったら聞いてみようと思いながら、私はそっと目を閉じた。






モドル


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