Ninna nanna.


慣れないベッドと先程から降りだした雨の音がナランチャの眠気を遠ざけている。
ギシリと何度めかの寝返りをうったところで同室のフーゴがごそりと反対を向いた。
キレやすいフーゴの睡眠を妨げては危険だと思い、ナランチャはこっそりとベッドを抜け出しリビングへ入る。
濡れた窓ガラスに街灯が乱反射して、その傍らに佇むナマエの後ろ姿をぼんやりと浮かばせていた。
扉の開く音に気付いてナマエが振り返る。薄明かりの中に立つナマエの美しさにナランチャは思わず息を飲んだ。

「ナランチャ、どうしたの?」

「何だか眠れなくて。……ナマエは?」

「私も。雨の音が気になって」

「俺と同じだね」

リビングは数時間前まで開かれていた宴会の為にあらゆる酒のボトルやピザの空き箱などで散らかっていた筈だが、今はボトルはまとめて並び可燃物は袋にまとめてあった。
ナマエが掃除したに違いない。汚いものと自分が汚れることが嫌いだと常々言う彼女だが、こまめにアジトの掃除をしたりしていることをメンバー全員が知っているしナマエのそうした一面に少なからず全員が惹かれていた。

「ナマエが片付けてくれたんだな、Grazie.」

「Prego.……何か暖かいものでも飲みましょうか」

「うん」

頷いたナランチャはキッチンへ向かうナマエの後をついていくと、ナマエがクスリと笑う。

「座って待ってて良いのよ」

「俺が傍にいたら駄目?」

「傍にいたいの?」

「うん」

「仕方のない子ね」

ナマエは眉を下げて微笑んだ。ナランチャとしてはナマエに子供だと思われることは心外だが、その一方でナマエから仕方のない子だと甘やかされることも心地好いのだ。18歳未満とは付き合わないナマエに対して年下の特権を使うくらいは許して欲しかった。

「眠れないなら、ホットミルクにしましょう」

「うん」

ナランチャは頷いて、冷蔵庫から牛乳を取るとナマエに渡す。

「Grazie.」

笑顔で受け取ったナマエが鍋に牛乳を注いでいく。雨音の中にカチリというコンロのつまみを回す音が響いた。青い炎が揺れる。二人とも黙ったまま鍋の牛乳を見つめていた。沸々と細かな気泡が鍋の周囲に現れたところで、ナマエが蜂蜜を入れる。
ゆっくりとスプーンを回して、牛乳に蜂蜜を溶かしていく。

「蜂蜜入りは初めて飲むよ」

「そうなの?いつもは何を入れるの?」

「……俺の母さんはいつも少しの砂糖とシナモンを入れてくれたよ」

「そう。優しいお母様ね」

「……葬式の日も雨が降ってて、俺は眠れなくて、でも誰もホットミルクは入れてくれなくて、その時思ったんだ。ああ、もう母さんはいないんだって」

ナランチャがぽつりぽつりと話すのをナマエはスプーンを回す手を止めずに黙って聞いていた。
ナランチャは無意識に痛くもない左目に手を伸ばす。涙が出ているような気がする。

「……ごめんな。こんな話急にして」

「いいのよ。ナランチャの気持ちがそれで落ち着くなら」

ナマエは首を横に振って、コンロの火を止めた。静かにマグカップにホットミルクを注いでいくと、ほのかに甘い香りが漂う。

「良い香り」

「そうね。ナランチャ、これ持っていってくれる?鍋洗ってから行くわ」

「ん。解った」

ナマエに言われたナランチャはカップを二つ持ってリビングへ戻る。
雨は少し強くなったようで、時折風に乗って窓を叩いた。
ナランチャが雨粒が反射する窓ガラスをぼんやりと見つめていると、キッチンから戻ってきたナマエの姿が映る。

「雨、強くなってきたわね」

「うん」

ナランチャとナマエは並んでソファへ座り、両手でカップを包むように持ちホットミルクに口をつけた。

「美味しい……」

「良かった」

ナマエが脚をソファへ乗せて膝を抱える。ナイトガウンの裾からちらりと白い脹ら脛が見えた。
花の蕾のようなくるぶしを経てその爪先にはポリッシュが塗られていて、鮮やかな赤がナランチャの視界に突き刺さる。
普段は隠れて見えない、誰に見せるわけでもない真っ赤な爪先を見てナランチャはドキリとした。
ネイルに釘付けになっているナランチャのことなどお構いなしに、ナマエは膝を抱えたままホットミルクを飲む。

「触ってもいい?」

「なに?」

「あ、その……ネイル。綺麗だから」

ナランチャの言葉にナマエは眉を下げて笑うと、器用に立てていた右膝を崩して脚を組み隣に座るナランチャの方に爪先を向けた。
ナランチャが人差し指でナマエの足の親指の爪を撫でる。エナメルのつるりとした感触がある。

「気は済んだ?」

「うん。……ナマエ、足冷たいね」

「ナランチャの手は暖かいわ」

ナランチャの手がひんやりとしたナマエの足の甲を包み、ちらちらと見えていた脹ら脛をするりと撫でた。
いつから起きていたのだろう、とナランチャは思った。自分が起き出してくるよりもずっと前からひとりでリビングにいたのだろうか。或いはそれとももしかしたらナマエは今夜はまだ一度もベッドにすら入っていないのかもしれないとそこまで考えれば、ナランチャはその理由を聞いてみたくなった。

「……ねぇ、どうしてナマエは眠れなかったの?」

「さっきも言ったでしょ。雨のせいよ」

「俺は雨の音で母さんのことを思い出した。ナマエも何か悲しいことを、あの事件のことを思い出したんじゃあねぇの?……もしかして夜あまり眠れないんじゃあ……」

「ナランチャの思い過ごしよ。何もないわ」

ナマエはさっと足を戻して残りのホットミルクを飲み干す。
上下するナマエの喉元を見つめながらナランチャも冷めつつあるホットミルクをぐいっと飲んだ。
空のカップを持って立ち上がるナマエをナランチャは呼び止める。

「ねえ、ナマエ。もしまた眠れない夜があったら次は俺がホットミルクを作ってやるよ。あのさ、だから!いつでも、その、俺を起こしていいからさ。ナマエに頼られるのは本当に嬉しいんだから。こういう片付けもさァ、アジトの掃除もだけど。俺に言ってよ。作ってくれたから片付けは俺がやるんだ」

ナランチャがナマエの手からマグカップを取り、キッチンへ向かった。

「……Grazie,ナランチャ」

「いいって!」

カップを洗い終わったナランチャはがナマエを寝室の前まで送っていく。

「Buonanotte,Sogni d'oro.ナマエ」

「Buonanotte e sogni belli.ナランチャ」

ナランチャがナマエを優しくハグすると、ナマエもナランチャの背中に手を回して子供をあやすように撫でる。
目を閉じたナランチャの耳に、Ninna nanna(ねんね ねんね)と雨音が聞こえた。






モドル


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