この想いは未完結のままでいい
ジョルノがその部屋を訪れたのは随分と経ってからだった。
いつから、と言うにはあまりにもその時がありすぎて一体いつからなのだろうとジョルノ自身解らずにいた。
ナマエがチームから離脱した時かブチャラティが死んだ時かボスになった時か。
どれも違うようで結局のところ同じなのだ。
結果的にブチャラティが死んだのはナマエと別れたヴェネツィアなのだから。
彼の死さえナマエには伝えようとはしなかった。
ヴェネツィアでボートに乗ろうとしたナマエを必死に止めたのはブチャラティであり、その覚悟を思えばどちらに対しても無下にしてはいけない。
ジョルノはこの先もうナマエに会うことはないだろうと思っていたが、そのナマエから電話をもらったのはつい先日のことであった。
彼女はブチャラティの死を知っていた。
受話器越しに聞こえる懐かしくも愛しい声にジョルノの決意は簡単に瓦解した。
普段無駄ばかりを嫌う己が未練がましく一人の女に執着するなど恋とはなんと恐ろしいものであろうかと自嘲せざるを得ない。
ジョルノはずっとナマエが好きだった。
チームに加入した時からずっとブチャラティの隣で笑うナマエのことが好きだった。
恋に落ちたのと同時に失恋したジョルノの恋心は残った棘のように思い出してはちくりと痛むのだ。
「Ciao,ジョルノ」
「Ciao,ナマエ」
玄関で出迎えてくれたナマエをハグすれば、随分とほっそりとしていた。
見れば玄関にはヒールの折れたナマエのお気に入りの靴が飾られている。
このヒールにジッパーがついていたことを覚えているジョルノはそっと視線を移した。
リビングに入るとナマエがジョルノをソファへ促す。
「ソファへどうぞ。こっちは足が壊れているから、そちらへ」
「修理しないの?」
「……カーテンレールを直したからお金がないのよ。それにこうしてブロックを嵌めておけば座れるもの」
「そう言われれば、綺麗な色のカーテンだね」
「そうでしょう?本当は変えるつもりはなかったのだけれど、この青を見てたら懐かしくて……」
ナマエはコバルトブルーのカーテンを眺めて呟き、ジョルノもつられて真新しいカーテンが揺れるのを見た。
そよりと風に吹かれるカーテンはまるで波間のようで、ナマエがどうして懐かしくなったのかジョルノは解った気がした。
海のような眼をした男を知っている。
「お茶を淹れるわね。紅茶?それともカッフェ?」
「ナマエと同じものを」
「Si.」
ナマエが微笑んで頷くとキッチンへ引っ込む。ジョルノは窓に背を向けゆっくりと部屋を見渡した。何もかも変わっていないような気がしてくる。奥の部屋のドアから今にでもブチャラティが出てきそうでさえあった。
こんな部屋にずっと居たらナマエだって堪らないだろう。
「お待たせ。熱いから気を付けて」
「Grazie.」
紅茶と共にクッキーが並ぶ。皿に並べられたクッキーは箱を見ずとも解る。ブチャラティの好きだった菓子だ。
ジョルノの視線に気づいたのかナマエが溜め息混じりに笑う。
「つい買っちゃうの。彼が好きだったものとか好きそうなものとか」
もう居ないのにね、と目を伏せて笑うナマエの横顔は見ていて痛々しい。
「どうして彼の死を?」
「……彼が会いに来たの」
「え……?」
「信じられないでしょうけど、本当なのよ。ブローノが天へ昇っていく途中に、この部屋の窓の外にいたの。金色の雲に紛れて、雨上がりの美しい朝陽を浴びてたわ」
「信じますよ。僕も彼が天へ昇るのを見たから」
「……そう。あんな風に別れたのに最期のお別れをしにくるなんてとても酷い人よね。そう思わない?」
「……ブチャラティらしいと僕は思う」
「彼が直してくれた物が全部壊れてしまってから漸く気付いたのよ。それなのにブローノったら……“元に戻るだけだ”って……そんな訳ないのにね……」
「彼がいなかったら僕はここにこうしていることが出来なかった」
「……ジョルノ?」
「彼には沢山助けられたのに、結局は助けることが出来なかった。僕がもっと早く治していたら……とそう思うんですよ」
「ブローノは……何処で最期を?」
「……ローマのコロッセオです。でも彼の体はその前に既に死んでいた。ヴェネツィアの教会で彼は死んだ筈だった」
「どういうこと?だってヴェネツィアでブローノが負傷した時治したのはジョルノでしょう?あの時、確かに治っていたわ」
「僕もずっとそう思っていた。でも違った。どういう訳か彼の体は確実にその時に死を迎えていたのに何かの力の作用によってずっと動いていたんだ」
「何かの力の作用?」
「彼は“運命”と言っていた」
「運命?」
「ええ。天がちょっぴりだけ許してくれた偶然の運命だと。ブチャラティはそう受け取ってました」
「……彼は納得していたのね」
「はい」
ジョルノは思い出しながらブチャラティの話をナマエに聞かせた。
ブチャラティが生きる屍になったのはジョルノが初めて出逢った時にゴールドエクスペリエンスの生命エネルギーを彼に注いでいたからである。
それをブチャラティは運命と言った。
「ブローノにとって運命を動かしたのはジョルノなのね」
ナマエが呟いて冷めかかっている紅茶を飲む。
「私はブローノにとって何だったのかしら。最期すら看取れなかった私は彼の何かになれていたのかしら」
「ナマエ……」
「ごめんなさい。こんなことジョルノに言っても仕方ないのにね。今日は来てくれてありがとう。久々にブローノの話が出来て良かった」
ナマエの弱々しい笑顔にジョルノはグッと奥歯に力を込めた。
ブチャラティが死んでもまだ尚ナマエは彼のことを愛している。
ナマエはブチャラティを想い続けるだろうし、ジョルノもまたそんなナマエを秘かに想い続けるだろう。
終わりのない終わり。
ジョルノとナマエが生きていく限りそれは続いていく。